キスからの感情分析


靖友はめったなことがないと好きなんて言わない。愛してるなんて聞いたことがあったかな。少なくとも私の記憶上ではない。
私が寝てる間に愛してるとか言うような柄じゃないので、本当にないかもしれない。

大学2年から付き合い始めて、今はお互い社会人2年目。同棲生活も2年目。つまりは靖友との付き合いは4年目に突入している。
会社は同じだけど部署は違う。靖友の部署は開発部なので、研究室みたいなところに完全に篭った仕事をしていて社内ではほとんど会うことはない。

そして今日は休日なのに、私は1人だ。
いいけどね、別に。どこか行こうとか約束してたわけでもなんでもないただの休日だし。
そんな靖友は私がぼーっと何気なくテレビを見ている間に、仕事が佳境らしく休日出勤していった。そして夜はその打ち上げなんだとさ。

靖友の性格上、付き合ってるとはいえ常にべったりしてきたわけじゃないけど、4年も付き合っていれば、ましてや一緒に住んでいればわかることもそれなりに多くなる。

結論から言うと、あの男は言葉の愛情表現はほとんどないが、キスの仕方でどういう気持ちを持って私にしているのかなんとなくわかってきたということ。

たぶんそれが言葉では表現出来ない靖友なりの愛情だ。
逆に言うと、靖友は言葉じゃ伝えられないほど私のことが好きってこと。
自惚れてる?
でもそうでも思わないと、不安で潰れそうなときもある。特に人の彼氏の話を聞いているときだ。
あー靖友はそんなこと言わないなぁって思うことばっかで、ネガティブ思考が生まれてくることもしばしば。

長く付き合ってても、靖友に対してそのくらいにはまだ愛情があるらしいって思い知らされるんだけど。




夜中。
もう0時をまわった。
ご飯も食べたしお風呂も入ったし、面白いテレビもやってない。
靖友はまだ帰ってこないし。
結局丸1日1人の休日だった。何をしたでもない、いつの間にか過ぎていた時間を思い出すと、ほんとに薄っぺらいものだった。
そう思いながら開くこともない玄関のドアを見つめる。

「……寝よう」

電気を消してベッドに潜り込む。1人で入るダブルベッドは、右側が異様に空いていて寂しいものだった。

今日の私はなんなんだ。
1人の時間を満喫できる絶好のチャンスだったじゃん。それを無駄にして、居もしない人物に想いを馳せるなんてほんとにバカみたいだ。
けどなんの周期なのか知らないが、たまーにそういうときが訪れる。靖友と一緒にいたくていたくて仕方ない、みたいな。そういうときに決まって靖友はいないんだけど。いないからそう思うのかも、最早わからない。

こんなに靖友に振り回されてぐるぐる考えるのも嫌になり、無理矢理目を閉じた。





ガタ、カタン。

目を瞑っていたらいつの間にか眠れていたみたいで、物音に意識を取り戻す。瞼を持ち上げるとまだ室内もカーテンの先の外も暗かった。

「名前チャァン…帰ったよォ」

玄関の方からいつもよりも少し高めで舌っ足らずな男の声がする。
身体を起こして時間を確認するのにスマホを起動させると画面のライトに目が眩んだ。
瞬きすること数回、確認できた時刻は夜中の1時半だった。
このまま寝入ろうかと思ったのに、靖友は何かにぶつかっているのか、ガタン、バタンと音が鳴り止まない。
こりゃあ相当酔ってるな。
靖友はザルではないが、そこそこ飲める方だと思う。それがおそらくフラフラになっているんだろうから、相当な量を飲んだのか。

私はベッドから出るとキッチンに向かった。棚からグラスを取って、冷蔵庫で冷えている水を注いで玄関に持っていく。
すると玄関で今にも寝そうな靖友がスーツのまま座り込んでいた。

「おかえり、靖友」

「ンー?アー」

「はい、ほらお水飲んで」

私はしゃがんで緩みきったネクタイの前にコップを差し出してあげると、黒髪の奥からちらりと覗く小さな黒目が私を捕らえてからコップへと視線が移っていく。
靖友はそれを黙って受け取り喉に流し込んだ。静かな部屋にコクコクと靖友の喉仏が上下する。

「スーツ汚れるから早く上がっ、んうっ!?」

靖友が飲み終わったコップを返してきたので、それを手を伸ばして受け取ったときだ。後頭部を押さえ込まれながら靖友の身体の中にすっぽりおさまって唇を落とされる。
靖友のスーツに染み込んだ煙草の匂いがする。靖友は煙草は吸わないから、きっと一緒にいた人が吸った煙草なんだろう。
強く押し付けられる唇やその合間に漏れる吐息からは、こっちが酔いそうなほどのお酒の味とアルコールの匂い。それに靖友の甘みの少ない爽やかな匂いが混ざる。

「んん、や…すともっ…は、んっ…スーツ、」

「っ、るせ……黙っててェ」

靖友のこのキスはかぶりつくような激しいキスを何度も角度を変えながらしてくるもの。私の全てを吸い取るような。
舌は侵入してこない。
私の後頭部と背中にまわされた手に痛いほど締め付けられる。

知ってるよ。
靖友がこうやって私を強く抱き締めて、離さないってくらい何度もキスを求めてくるのは、私を愛しいって思ってくれてる証拠なこと。
寂しさを埋めるような、充電をするようなとき。私が足りないって靖友の身体が叫んでるとき。

なんだ、今日私が馳せていた想いは無駄じゃなかったのかも。

すると突然ずるっと力をなくしたように垂れ下がり、私にのしかかる靖友の身体。私の後頭部も背中も解放される。

「はぁ……っ、ちょっと…靖友ー?ここで寝ないでよ」

息を整えてから靖友の身体を揺さぶってみても顔をあげることはなく、代わりに聞こえてきたのは寝息。
はあ?マジで?
とりあえずコップを流しに置いて玄関に戻る。脚から履いたままの靴を抜き取ると適当に並べた。
さて、起きないとなると私に残されたのは2択だ。
このまま玄関で寝かせておくか、中まで運ぶかだ。こんなとこで寝かせて風邪を引かれても面倒だけど、果たして私に靖友を運べるんだろうか。
とにかく肩に靖友の腕を担ぐようにして、持ち上げるのは無理なので廊下を引きずる。
その間靖友の寝言なのか何か聞こえるが、何を言ってるのかまでは聞き取れなかった。

引きずられた靖友の脚は痛いかもしれないけど、なんとかリビングまで運ぶことができた。でもベッドに乗せるのは到底無理なので、ゆっくり屈んで靖友の身体を降ろす。

「靖友?降ろすよ?」

「ンー…名前……」

「ひゃっ!?」

靖友を降ろしている最中に、後ろから伸びてきた手で顎を掴まれて首筋をちゅうっと吸われた。
起きてるなら自分で歩いてよ、と言おうとして振り返るも、そのまま覆い被さるように体重をかけられて床に突っ伏す。

「…え?何?寝ぼけてたの…?」

靖友に潰された身体をなんとか抜き取った。
どうせベッドには運べないんだからここでいいか、という結論に至る。スーツだけは救出しなければと苦戦しながら靖友の身体からジャケットを引き抜き、ハンガーにかける。
下は……ベルトだけ緩めておけばいっか。
カチャカチャとベルトを緩めて適当にあった掛け布団を靖友にかける。
そして私が再びベッドに入ったのは2時だった。




どんなに遅く寝たからといって朝は平等に訪れる。それは例外なく私も。そして今日は月曜日で私は仕事だ。
靖友も仕事のはずだけど、開発部の面々は遅出が許されてるらしい。
ベッドから上半身を起こすと、長い下睫毛さえ微動だにしない靖友は、まだ昨日の恰好のまま眠っていた。
起こさないように静かにご飯を食べたり着替えてメイクを施す。

「行ってきまーす……」

たぶん私の言葉なんか聞こえてないだろうけど、一応玄関前でそっと言う。案の定靖友から言葉は返ってこない。そのままドアを閉めようとしたとき、ゴツゴツした4本指がその隙間に差し入れられた。

「わあっ!?」

「チッ、あンまでけー声出さないでくんナァイ?二日酔いなンだよねェ…」

そんなこと言われても閉めようとしたドアを阻んだ挙句、私の腕を掴んで家の中に引き入れたのは靖友だ。そりゃあ驚くわ。
二日酔いと言いながら後頭部をガリガリ掻く靖友は、目の前で大きな欠伸をした。
シワになってる乱れたワイシャツにベルトが意味もなく引っかかっただけのズボン。
昨日のままのだらしない恰好だった。

「何?私もう行かなきゃなんだけど…。あ、靖友のご飯?お味噌汁もあるしご飯も炊いたから作ったおかず冷蔵庫にあるし温めて食べて?」

「ア?そりゃァドーモ」

「?……じゃあ行ってくるね、靖友も寝すぎて遅刻しないように」

家を出ようと回れ右した私のパンプスの踵がカツンと響く。
なのに再び腕を引かれて結局180度回転し、軽く触れるだけの唇が降りてきてすぐに離れる。普段荒々しい靖友のくせに、唇で優しく包むようなキス。

「…ハッ、マヌケ面ァ」

目を見開いてぽかんとする私の前で、口角を上げて満足そうにする靖友。
そのまま数秒玄関で立ちすくんでいると、靖友はリビングへ引き返していく。ヒラヒラと適当に手を振りながら。
「轢かれンじゃねーぞ」って背中を向けたままの靖友に半笑いの声で言われたもんだから、「何その心配、小学生じゃないし!」って突っ込んで今度こそ家を出た。

靖友は頑張れって言われるのが嫌い。
前に聞いたことがある。
だから人にも頑張れなんて言わない。

でも今のキスは、仕事へ行く私へのエールだと思う。それから、もしかしたら昨夜のことを反省してるのかもしれないね。

靖友のせいで少し早足で行かなきゃならなくなってしまったのに、とても足取りは軽かった。





「名前さん!これ、見てもらっていいですか?」

「うん、いいよ」

会社に行けば、私は2年目ということで後輩もできた。この男の子は私の後輩でとても人懐っこい。犬みたいだ、なんて言ったら失礼かもだけど、1つしか違わないのに尻尾振ってそうなくらいいつもフレッシュだ。
そんな私はこの男の子の教育係をやっている。年齢が近いし去年覚えたばかりの仕事を教えられるからという理由で、大体2年目が教育係を受け持つ。つまり新人を育てながら、ちょっと会社に馴染んできた私たちも成長させようってことなんだろう。

「ん、よくやったんじゃなぁい!?」

私よりも背の高い頭に手を伸ばして、犬みたいなふわふわの頭をわしゃわしゃとしてやる。
あれ?なんか靖友が移ったみたいだ。
なんて1人心の中で笑った。

「ほんとですか!?」

「うん、上にはこれで出しておくね」

「あざーーす!」

「そうだ、コーヒー奢ってあげるからちょっと休憩しよ」

そう誘って自販機のある簡易的な休憩室へ後輩くんと向かった。
自販機にお金を入れて、好きなの選んでいいよと言えば、甘めのコーヒーを選んでいた。私は微糖派だ。
2人で壁に寄りかかりながらコーヒーに口を付ける。

「あの!オレこの企画にOK出たら言おうと思ってたんですけど」

「んー?」

「オレと…付き合ってもらえませんか!?」

「っ、んぐ!!?………え?」

思わず吐き出しそうになったコーヒーを喉の奥で飲み込む。さっきから飲んでるはずなのに、後輩くんの告白の甘さに反してとても苦いものに感じた。

というかこれって告白…?
そう思って恐る恐る覗き込んだ後輩くんの顔は真っ赤だし、何をそんなに必死になってるんだって思うくらい切羽詰まっているように見えた。
こんな顔されたら嫌でもわかる。これは何物でもない愛の告白なんだと。

「…あ、の……えーっとね…?」

「オレが嫌いですか!?」

「い、いやいや、そんなんじゃないんだけどね」

「じゃあ彼氏がいる、とかですか!?好きな人ですか!?」

おおう……結構グイグイくるんだな…。
なんて年下に押されてる場合じゃない。

「あー……いない、けど……」

自分でわかるくらい目が泳ぐ。

「じ、じゃあ!あの、ご飯行くとこからでもいいんで!」

「あー……はは……」

断らなきゃいけない。
靖友と付き合ってる。

靖友とは会社に入る前から付き合ってる。でも入社前から恋人同士っていうのは、そこで働く人たちにとって良い印象はないんじゃないかと思う。
彼氏彼女と一緒にいたくてここに来たの?なんて思われかねない。
靖友もそれはわかってるのか、ただ言いふらすような性格ではないからなのか、会社では会ってもただの同期のフリ。大学時代の付き合う前の関係に戻ったみたいな。
それが暗黙の了解になっている気がした。

「ならオレの企画が通ったら!どうですか!?」

「っ、…わ、わかったから……近い離れて……」

隣にいたはずの後輩くんが、ぐるぐる考えてる間に私の目の前に立っていてぐっと顔を寄せられて距離を縮められる。
それに押されて了承しちゃったし!今なら取り消せるか?
とにかくあまりに近くて押し返そうと後輩くんの胸元に手を添えたときだった。
まだ押し返してもいなかったのに後輩くんの身体は私から離れていき、私の手は横から来た何かに引っ張られる。その瞬間にふわりと嗅いだ匂いは、よく知ってるような気がした。
それに何か薬品関係の匂いが混ざっている。
見上げればスーツの上から前を全開にした白衣を纏って、眼鏡をかけている靖友だった。
正直この姿の靖友はいつもよりかっこいい。仕事出来る人って感じだった。実際仕事出来るし期待されてるみたいなんだけど。

「ワリ……邪魔だったァ?」

「や、っ…荒北!?」

包まれた身体からは通りでよく知ってる大好きな匂がするわけだ。
けど階も違う靖友がなんでこんなとこにいるのかとか、私は今会社で靖友に抱き締められてるんだけどとか軽いパニックがおさまらない。

「え……名前さん?誰ですか?」

「あ、えっと……」

「ハッ、気安く名前サンなんざ呼んでンじゃねェよ」

「や、靖友待って。この子は私の後輩で…」

「フーン…名前はその後輩にコクられて喜んでんのォ?」

「ち、ちがっ」

「アー、はじめましてェ。名前のあンなとこやこンなとこまで知ってる開発部所属荒北靖友。よろしくネェ」

靖友がかけていた眼鏡をはずして白衣のポケットにしまう。
ちょっと!私の後輩になんてこと言ってくれるんだ!
私は明日も明後日もこの子の教育係なのに気まずいでしょうが!
唐突な爆弾発言に靖友を睨み上げると、私よりも鋭い目付きが後輩くんを睨みつけていた。
もともと目付きの悪い靖友に睨まれて、後輩くんは尻込みしている。
その顔、よろしくって顔じゃないでしょ。

「なンなら見っかァ?名前のエロい顔」

「ちょ、何言って、っ…ひゃっ!」

靖友の手が脚からいやらしくなぞるようにせり上がり腰を抱き締められ、もう片手は私の首筋から頬を強く包まれた。
靖友を見上げるようにさせられた私に、靖友の黒髪が降ってくる。

「やす…まっ、」

「チッ、さっさと出てけ……ンで、二度と触んじゃねェ、ボケナス」

靖友のキツイ瞳と私の耳元で低く響いた声にすっかりビビってしまったワンコ後輩くんは、逃げるように休憩室を後にした。
2人きりになった休憩室。
すぐ近くにある靖友の黒目が私を見下ろしていた。
逸らしたいのに靖友の大きな掌が、私の首から頬をホールドしたままで上手く動かせない。
誰もが利用できる鍵のかからない休憩室。
なんとなく嫌な予感がして脚だけがかろうじて1歩引く。

「あ…の、やす…っん!」

もうそろそろ離れてって言おうとしたのに、その前に言葉も吐き出した二酸化炭素も靖友の薄い唇に奪われた。腰にまわった手に力を入れられて身体を離すこともできない。

「ちょ…んんぅっ」

反論しようと開いた口内に、靖友の熱くなった舌を捩じ込まれて結局言葉を発せないまま荒される。舌をなぞられてしつこいくらい絡められ、口内の隅々まで舌が這わせられるとちゅっと吸われる。

「は、ぁ…んっ……やぁ…っ」

腰を掴んでいた手は徐々に下がっていきお尻を撫でられてタイトめのスカートの裾から侵入してくる。
太腿をなぞる手がゾワゾワっと私の背中を粟立たせた。

やばい。完全に靖友のスイッチが入ってる。
ここでエッチなことする気満々だ。
こんな執拗なキスがまさにその合図。
でもいつものただエッチがしたいってキスじゃない。何か違う。
噛み付くような、貪るような。怒っているような自分勝手な口付け。

”気安く名前サンなんざ呼んでンじゃねェよ”

”二度と触んじゃねェ、ボケナス”

ねえ靖友。
もしかして嫉妬してる?

「ぁ…んっ…やす…ともぉ、っ……は、んんっ」

「おめェは…っ、ンっとに……!」

「ん、ぇ…?っ……は、ぁっ」

ちゅぱっと音を立てて長いキスが終わる。私は靖友のキスに全身の力が奪われて、抱き支えられていた。
それから私の肩口に靖友の額が乗っかる。

「…チッ、他のヤツに隙なんか見せてンじゃねーヨ。ボケナスがァ」

あ、やっぱり。
そういえば、私もちゃんと言葉にすることっていつ以来だっけな、なんて思いながら。
でも伝えたくなった。

「…ねぇ、靖友。好きだよ」

途端にガバッと上がる顔。
靖友の顔は一瞬で手で覆われて見えなくなったけど、確かにほんの一瞬だけ見えた。耳まで真っ赤になってるところを。

「……っ、オォ……」

出た。
靖友の「おぉ」。
これは靖友が照れたときによくやる相槌。

靖友は好きなんてめったに言わない。
けど言葉で表現できない分、キスをするときや態度は私が好きだって気持ちがダダ漏れなんだ。
それが意識的なのか無意識なのかはわからないけど、ちゃんと伝わってるんだよ。



End



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