告白のルール


重なった瞼が意識を覚醒させるために開かれる。そこに飛び入ってきたのは、見覚えのあるローテーブルにその奥にあるキッチン。見覚えはあるのに自分の家のものではなかった。
反対側を見れば薄青緑色のカーテンが光を遮るように閉まっていて、うっすら必要な分だけが透過していた。

まだ怠さの残る身体を起こすと肘が軽く何かに当たった。心地良い体温を纏った白く筋肉質の胸が、規則的な呼吸によって上下しているのが掛布団の動きでわかる。自分だって十分白いくせに、私の肌を野獣のような鋭い目で見るなり「しっろォ」なんて言いながら、赤く噛み痕を残して抱くその男はこれでも自転車というスポーツをやっている。

少し肘で小突いてしまったせいで起こしちゃったんじゃないかと思ったが、そのくらいでは起きないほどに熟睡してるらしい。
2人で寝るには少し狭いベッドにくっついているんだから、少し身体が当たってしまうのは仕方のないこと。

長い睫毛が束になっていて口を半開きにしながら眠っている顔を見ても、可愛いだとか思うんだから私は少からずこの男が好きなんだと思う。
それにしてもお風呂の時間が短いうえに、適当に洗ってるくせしてこの黒髪のサラサラ具合には腹が立つ。額を隠す黒髪をさらりと撫でると、やっぱり指通りがよかった。私なんてトリートメントもして数万円のドライヤーを使ってやっと保っているというのに。

私の服と男物の服がベッドの下に散乱しているので、自分の服だけ掻き集めて起さないようにベッドから出る。寝てはいるがなんとなくここで着替えるのは恥ずかしくて、服で自分の身体を覆いながらお風呂場へ向かった。
ついでにシャワーを浴びてから着替えて戻ると、さっきまで熟睡していた身体がベッドの上で起きていた。下だけジャージを履いていて上は裸のままなのだけれど。

「や、すとも?…起きたの?」

「ン、あー…。つかどこ行ってたのォ?」

「え、あ…お風呂に」

「フーン」

靖友がジャージのポケットに手を突っ込み、上半身裸のまま立ち上がった。靖友を支えていたベッドが重みをなくし、ギシと音を立てる。
ガニ股気味に歩を進める猫背はまっすぐ私の方へ向かってきた。腰を折り、ぐっと私との距離を縮めるとスンスンと鼻を鳴らして口角を上げた。なんとなく恥ずかしくて1歩引く。

「…おめーオレと同じニオイすんなァ」

「だ、だって靖友の家だし……」

「ハッ、いんじゃナァイ?」

くわっと大口を開けて欠伸をかました靖友は、ガリガリ髪を掻きながら戻っていく。ベッドの手前にあるクローゼットを開けてシャツを引っ張り出すと頭から被って着ていた。
私はベッドの下でぐしゃぐしゃになっている靖友のシャツを拾い上げると私の物と一緒に洗濯機に入れた。さっきのいいんじゃない?と言った靖友の言葉の意味もはっきりとはわからないまま、洗濯機のスイッチを入れた。

「名前、腹減ったァ」

リビングの方から空腹を訴える声がして戻ると、ローテーブルの前に胡座をかいた靖友が空腹を紛らわすためかベプシに口をつけていた。
急いでキッチンに立つと、予約をしていた炊飯器から軽快な音が流れる。手軽に出来るおかずを数品作りテーブルに並べ、ご飯とお味噌汁をよそって私も靖友の前に座った。
いただきまァすと言った靖友はウインナーを箸で刺す。最初に肉系に箸を伸ばすところはやっぱり靖友だなと思った。
朝食を摂りながら話すのは、今日の授業何限からかとか主に大学の話だった。

ここまできたら私と靖友は恋人同士の関係だと思うのが大半だ。
けど正直わからない。
付き合ってるの?って訊かれたらどうだろう?とクエッションマークつきで答えるのが今の私。だってわからないんだもん。
夜の営みはある。昨日が初めてってわけでもない。何度かある。そのときはキスだってする。すごく幸せで蕩けそうなキス。
だけど、靖友が私を好きって言ったことあったっけ?付き合ってくれって言われたっけ?
私の記憶にはない。
だからちょっとだけ過ぎる言葉がある。『セフレ』なんて都合のいい言葉が。

私たち、付き合ってるの?って訊けばいい、靖友に。でも私は恐れているんだ。付き合ってねェ、テメェはただの都合のいい女だって言われてしまうのが。
靖友が好きだなんて言ったらどう思う?喜ぶ?それとも煙たがる?告げたら終わってしまいそうな関係に踏み込む勇気はない。でもこのままじゃだめなこともわかってる。
…訊いて……みようかな……。

箸を口につけたまま、チラリと目だけ靖友の方に動かした。すると咀嚼しながら私をじっと見る靖友と目が合って、ため息が出そうになっていたのを慌てて呑み込んだ。見透かすような三白眼に固まる私の身体。靖友の喉仏がゴクリと動き、咀嚼していたものを飲み込んだ。

「なァ名前、おめー最近なんか隠してねェ?」

「えっ……何…が?」

「なんっつーかァ、言いてェことあンじゃねェの?」

「別にそんなこと………」

「……っそォ」

靖友はどこまで気付いてるんだろうか。未だに私をじっと見る小さな黒目は、見た目以上に敏感で鋭いみたいだ。

今日は私が1限からで靖友が2限からのため、洗い物は靖友に任せて家を出る準備をした。随分私の物が増えた靖友の部屋には、服もアクセサリーも最低限の化粧品だってある。これだけ侵食しているのに靖友の気持ちは何ひとつわかっていない。
バッグを持って玄関に立ち、パンプスに脚を入れると後ろから影が落ちてきた。珍しい、見送りでもしてくれるんだろうか、なんて振り返ると洗い物をしていたのか手を濡らしたままの靖友がいた。

「…今日私バイトだから」

「アー…わーった」

この会話には意味がある。基本私がバイトの日は靖友の家には行かない。終わるのは夜遅いしバイト先からは自分の家に帰った方が近いからだ。
パンプスに踵までおさめると、頭上に手が降ってきて髪の間に指を絡ませながらわしゃわしゃと掻き回された。何事かと思って指の間から靖友の顔を伺うが、なんてことない無表情だった。いや、若干口端がへの字に曲がっている。靖友が拗ねているときによくやる口の形だが、何に対してなのかはわからない。

「……気ィつけろヨ」

「え?………あ、うん」

そう言って離れていく角張った大きな手。それについていた水分が私に移ったように髪は若干濡れてるし、せっかくセットした髪は家を出る前に乱れた。それを手ぐしで適当に直すと、玄関前にずっと立っている靖友に見られながら家を出た。

あれはなんだったんだろう。大学へ向かう道のりの間、ずっと考えていたが答えは出ない。靖友がわざわざあんなことするなんて。大事にされている彼女みたいだ。………ちゃんと彼女、なのかな?





▼▼▼

「お疲れ様でしたー」

バイトが終わり裏口から出ようとすると、同時刻にバイト先の男の先輩も終わりのようで一緒に店を出る。ぶっきらぼうだけど、意外といい人なのだ。そういうところ、ちょっと靖友に似てる。
お疲れ、と何かを私に放ってきて慌ててキャッチすると掌が冷たくなった。よく見てみると、冷えた缶のベプシだった。炭酸を投げるなんて、と思うけどこれを見て思い出すのは靖友のこと。
お礼を言ってから2人でベプシに口をつけ、裏口横でそのまま先輩と10分程度雑談をした。
もう辺りは真っ暗で街灯が夜道を照らしている。それもそのはず、時刻は夜の11時をすぎていた。明日も平日のこの時間は、人通りが少なくなる。

「送ってやる」

「いえいえ、近いから大丈夫ですよ」

「遠慮すんな」

「あ、はぁ……じゃあ…」

せっかくの好意をあまり断り続けるのも申し訳ないなと思って、お願いしますと言おうとしたときだ。缶を持っている方とは逆の腕を掴まれてそちらに引き寄せられる。ぱしゃっと缶の中身がこぼれて私の手を濡らした。しゅわしゅわと泡立つ音も聞こえる。

「…認めねェ」

私の頭上から降ってきた低いハスキーボイスに聞き覚えがあった。黒い前髪に隠れた表情は見えないが反対側には見たことのある形、色の自転車のサドルを掴む手があった。そのまま自転車の車輪の音と共にずるずる引かれて先輩から遠ざかっていく。とりあえず聞こえるように「先輩ごめんなさい!」と叫びながら腕が引かれる方へ脚を動かした。

「や、すとも!」

私がいくら呼んでも見向きもしない靖友は、ただずんずん前に向かって大股で歩く。私の家とは逆方向に。
何も話さずただ歩みを進める光景が、見知ったところになってきた。私は今日の朝ここを通って大学に行ったのだから。

目的地に着くと背中を玄関内に押しやられた。自転車がガシャンと倒れる音と私の手にあったまだ半分中身が入ったベプシ缶が転がる音もしたが、靖友は気にも止めずに私の両手首を外へと繋ぐドアに縫い付けた。

「おめーの新しいオトコってアイツゥ?」

「え?何のはな、しっ」

靖友は私と目線を合わせると今朝よりも鋭い目付きで見てくる。眉もいつも以上に吊り上がってるような気がした。
感情としては怒りなんだろうに、そこにある小さな黒目は怒りとはまた違った感情のように思えた。

「オレと別れてェんだろ?」

「何言って……」

「おめーが言えねェっつーならオレが言ってやンよ」

「え、まって…!」

眉間に刻まれたシワがさらに寄り、への字の口が大きく開かれる。身体は固定されてて動かない。私は咄嗟に靖友よりも大きく口を開け、「待って!!」と叫んだ。きっとドア1枚挟んだ外には丸聞こえだっただろう。お隣さんもこんな夜中にうるさくしてごめんなさい。でもそのおかげで靖友の口は閉された。ただそのへの字の曲線がさらにきつくなっていたけど。
私はずっと隠し持っていたことを靖友にぶつけることにした。

「…私たちって付き合ってるの?」

「……ハァ?付き合ってねェの?」

「え?」

「ハ?」

私の手首を掴んでいた手が離れ、お互い腕がだらりと垂れる。靖友の三白眼は開かれぽかんと半開きになった口を見ながら、私も同じような顔を晒していたに違いない。
先に動いたのは靖友で、舌打ちをしながら前髪をガリガリ掻いた。その手を頭から下ろすと人差し指でクイクイと私を呼ぶように動かした。

「ちょっとコッチィ」

靖友が適当に靴をぽいぽいと脱いで奥に進んでいくのを見て、自分のパンプスの踵に手を添えて脱ぐと玄関に揃えて追いかけた。
早くどういうことか確かめたかった。
ローテーブルの前に片膝を立てて座っている靖友の正面にまわるとココォ、と靖友の掌が2回自分の脚の間を叩いていた。
躊躇いながら靖友の脚の間に背中を向けて立って、お邪魔しますなんて言いながらそこにおさまった。
すぐにお腹に手がまわり、頭に重みが乗ってきたと思ったら靖友の顎が乗っかった。口が動く度に顎が刺さるようで少し痛いんだけど。

「おめー付き合ってねェと思ってたわけェ?」

「靖友こそ…付き合ってると思ってたの?」

「……チッ、思ってたけどォ。つか付き合ってると思ってなきゃヤッたりしねェだろ」

「………だってさぁ、私靖友から好きとも付き合ってとも言われてないよ?」

「ア゛ァ?そだっけェ?」

「…………で、言ってくれないの?」

「ハ!るっせ!」

靖友の胸の中で首を後ろに反らすと、下睫毛に小さな黒目がくっついているように見える程には見下ろされていた。
これはもしかして靖友の口から言ってくれるんじゃないかって、かち合った瞳からドキドキと音が鳴るかと思った。
なのに靖友はふーと長めの息を吐き、後ろ手に体重をかけて身体を反らした。背中に密着していた体温がなくなって、冬でもないのに寒気みたいなものがする。
やっぱり言ってくれないかぁと期待半分諦め半分だっのが、完全に諦めモードになり首を戻してローテーブルに視線を注いだ。

「ふげっ!?」

自分でも可愛げも何もない声が出たと思う。でもしょうがない、両頬を大きな掌が包んできたと思ったら首を思い切り反らされて、私の視界には真っ白な天井が映し出された。ほんと、首が寝違えたような痛み。
その真っ白な中に覆い被さってきたのは、決してイケメンとは言い難い黒髪を纏った男の顔だった。

「…靖友?」

「………アー……好きなんだけどォ、オレと、付き合って…クダサイ」

初めてだった。靖友から好きだなんて言葉が出てきたのは。私の独りよがりじゃなかった。靖友も同じ気持ちだった。 安心が身体を通り越して震えた。
私とすでに付き合っていると思っていた靖友は、改めて言うのが恥ずかしいのか照れているのか目の下が赤みを帯びていた。
靖友の告白に頷きたかったけど、靖友に両頬を固定されていてそれはできない。

「……はい、私も靖友が好きです」

首を反らされたまま身体が覆い被さってきて、靖友の上唇が私の下唇を、靖友の下唇が私の上唇を噛みつくように口付けが降りてきた。




End



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