愛情ブロック
あれは2ヶ月以上も前の出来事。
あの日のオレは部活の途中だった。
サイクルジャージで汗を拭いながら自販機の前でいつも通りベプシを飲んでいた。
「…あのっ荒北くん、」
オレの後ろから、じゃりと地面を踏みしめる音のあとに声がした。
ベプシに口をつけながら適当に目線だけ斜め下に向ける。
どっかで見たことある顔だった。
よく見るとそーいや同じクラスにこんなヤツがいたな、程度には記憶にある女だった。
なんかクラスの用事でもあったかァ?と体内にベプシを補給しながら頭を巡らせる。
「…好き、なんだけど…付き合ってもらえませんか?」
「………ハイィ?」
聞き間違いかと思った。
だから自分でもわかるくらいのマヌケ声が出た。
口を離したベプシのボトルが手の中で斜めになってジャージにボタボタと茶色いシミを作った。
「アー…」
咄嗟になんかの罰ゲームかと訊こうと思ったら、コイツがあまりに真っ赤な顔して言うもんだからオレも口を噤んで言葉を呑み込んだ。
正直、好きな女ならともかく記憶の片隅にあるくらいの女と付き合ってる暇はねェ。
こっちはインハイが迫ってんだ。
「悪ィんだけどォ、オレインハイしか頭にねェから付き合えねーわ」
「……わ…かった。忙しいのにごめんね。ありがとう」
女は必死にオレに笑いかけてスカートを翻し、またじゃりと地を踏みしめて去っていった。
コクられたのは数えるくらいしかねェが、初めてマジで悪いような気分になってため息をつきながら頭を掻いた。
▼▼▼
そして今は既にインハイを終えて秋の到来。
オレが告白を断った女は苗字名前ということをあとから知った。
断ったからといってクラスが変わるわけじゃねェから同じ空間にいる。
クソ、チラチラ視界に入ってきやがる。
ウゼェ。
苗字はすでにオレのことは吹っ切れてんのか知らねェが、普通にクラスの男女と楽しそうに会話をしていた。
まァインハイ前の話だから充分ありえる。
じゃぁンでオレがこんなに気にならなきゃなんねェ?
あんときの罪悪感からか?
こんなん考えてたってもうアイツはオレのこと何とも思ってねェだろうよ。
それでもなんとなくオレの小せぇ黒目は苗字を追っていることに気付く。
「っ!?」
何か喉の奥から叫びそうになって慌てて口を手で塞ぐ。
アイツがオレの視界に入ってくるわけじゃねェ。
オレが勝手に視界に入れてるだけじゃナァイ!?
無意識の動作にものすごく動揺した。
最悪だ。
気付きたくもなかった。
今更苗字のこと気になってるっつーのかヨ!?
いや、ねェ。
それはねェだろ。
オレはアイツを振った。
興味もなかった。
記憶の片隅にいたくらいの女だぜ?
ほんと、今更……。
好きになるとかありえねェェェ!!
オレは机に突っ伏しながら両手でガシガシ頭を掻いた。
▼▼▼
自覚したら結構認めるのは簡単だった。
だが、こっからが進まねェ。
自分で振った女にオレがコクるとかアリなのか?
今更何言ってんのォ?で終わるんじゃねェ?
そう思ったらただ目で追っているという生活だけで過ぎていった。
そうしている間に、苗字がいつもつるんでる男の中の1人と付き合ってんじゃねェかという噂が立っていた。
ほんとかどうかは知らねェが少なくともオレよりは距離が近い。
オレのモンでもねェのに、勝手に嫉妬心が芽生える。
睨みつけるように2人を見ていると苗字と目が合った。
それはもうバチッと音がしそうなほどに。
けどそれは苗字からすぐ逸らされて再びその男と話し始める。
▼▼▼
「なぁ、マジで付き合っちゃわねぇ?」
そんな声が聞こえたのは図書室で勉強でもすっかとでも思ったときだ。
手には分厚い赤本。
静かになった放課後の廊下から声が届いた。
「噂、マジにしちゃわねぇ?」
赤本を手に持ったまま廊下に出る。
あの男と……苗字だ。
窓を背にして壁ドン状態で、男のつい立てた両腕の中に苗字がいる。
「おまえ、荒北のこと好きだったろ?」
オレの名前が出てきたせいでそこから動こうにも動けなくなる。
幸いにも男は教室を背にしているし、苗字も男が死角になってオレの存在には気づいちゃいねェ。
「あ…でもあれは振られてるから…」
「じゃあいいんじゃねぇ?オレでも」
単純にイラついた。
苗字はアイツが好きなのかもしんねェ。
振っといて今更とかぜってー思われる。
けどそーなったらあのときの気持ちを奪い返せばいいだけのことだろ。
苗字が誰を好きだったのか、わからせてやンよ。
「ハ!ザンネーン」
オレは男の後ろから嘲笑うように声をかけた。
男の肩を強く引き、苗字を解放する。
「荒北!?」
「え?荒北くん?」
「そいつ、オレのモンだからァ。おめーはどっか行ってくんナァイ?」
「……は?」
「おめーがどっか行かねェならオレらがどっか行くわ」
苗字の腕を掴み、静まり返っている廊下をひたすら歩く。
後ろからオレを呼ぶ声を無視したまま階段の踊り場まできて、ようやく腕を離してやった。
「…荒北くん、…どういうこと?」
「苗字はアイツが好きなのかヨ」
「好きじゃ、ないけど……。でも!私荒北くんには振られたんだよね?」
「アーそーだな」
苗字はぎゅっと唇を噤んだ。
確かにあンときは振った。
おまえがどんなヤツかも知らねェし、オレはインハイでいっぱいだったしィ。
けど今は違ェよ。
オレの目でおまえがどんなヤツなのか見てきた。
ウゼェってほど目で追ってなァ。
「……だったら…!」
「けどォ」
苗字のもうそのことは蒸し返さないでくれと訴えてるような口調を遮る。
「…おめーのこと……好きになっちまったんだからしゃァねーだろ」
…くっそ、こっ恥ずかしいにもほどがあンだろ!
ボケナスが!
身体の下から沸騰するようにせり上がる熱を冷やすように、目元を右腕で覆う。
そのとき思い出したのは、苗字がオレにコクってきたときのこと。
コイツも真っ赤な顔してやがった。
あンときこーゆー気持ちでコクってきたのかと理解した。
「…え?好きって…」
苗字は困惑したように目を泳がせている。
「…ごめんね、荒北くん」
コイツの気持ちを取り戻すと意気込んだはいいが、いざ断られると針で何度も心臓を刺される感覚だ。
くっそ、いってェなァ!!
「私、諦め悪いみたい」
「……ハ?」
「私もね、まだ荒北くんが好きみたいなの」
階段の踊り場の上の方にあるデカい窓から夕日が差し込み、苗字の髪を艶々と照らした。
そこに出来んのは、エンジェルリングっつーやつだっけェ?
ったく、天使じゃねぇな。
とんだ小悪魔だよ、テメェわ。
「もしかして、勉強するつもりだった?」
オレの持っている赤本を指さした。
「…オゥ」
「じゃあさ、一緒に勉強しない?」
「オ、オゥ」
「おう、しか言ってないよ。荒北くん」
「っせ!」
こっちとらまだ心臓がおさまってねェんだよ!
▼▼▼
図書室に来て適当な窓側奥に座ると、間を空けずに苗字が隣に座ってくる。
肩が触れそうなくらい近くて、距離を少し空けようと椅子ごとずれた。
「…………」
苗字が参考書とノートを開きながらオレをじっと見る。
「…何ィ?」
「なんでそっちにずれるのかなって」
「…別に狭ェんだからいいだろ。誰もいねーし」
椅子に片足を立て、赤本を開く。
チラリと横に目を向けると、髪の間から真剣な目が参考書と向き合っている。
目はでけェし睫毛も長ェ。
手首ほっそォ。
太腿柔らかそーだしィ?
オレは不謹慎にも苗字に視線を纏わりつかせる。
こんなに近くで見んのは初めてだ。
チッ、全然勉強どころじゃねーヨ。
頭をガシガシ掻いて見たものをリセットしようとした。
「ねぇ荒北くん、ここわかる?」
苗字が参考書と共にオレに擦り寄ってきた。
あんま寄られたくねェんだけどォ。
せっかくリセットしようとしたものがまた引き戻されて、改めて自分が考えていたことに顔が赤くなった。
隠すように身体を引きながら参考書を上から見る。
「アー…こーじゃねェ?」
苗字のノートに斜め書きした。
「あ、そっか。ありがとう」
教えるのは終わったはずなのに苗字はオレの方から離れようとしない。
「…んだよ」
「ちょっとだけこうしてたいんだけど」
苗字はさらにオレとの距離を詰めて肩から腕が密着する。
自分以外の体温がオレの意識をそこに集中させる。
これ以上はヤベェよ。
オレは密着されてる方とは逆の手で顔面を覆う。
「……もしかして嫌?」
「…ハッ、イヤじゃねェけどォ」
足んねぇんだヨ。
これじゃァただの生殺しってモンだ。
オレは舌舐めずりしながら、顔を覆っていた手を苗字に伸ばし頬を引き寄せた。
「苗字さァ、やンならこんくらいやってくんナァイ?」
オレは上から噛み付くように唇を押し付けた。
「っあ、荒北くん……!」
「黙ってりゃこっちにゃ気付かねェよ…」
「ちょっ……んっ」
人が少ないことをいいことに、場所もわきまえずいつの間にか勉強そっちのけでバァカみてェにキスを繰り返した。
苗字から手を離すと、あのコクられたとき以上に真っ赤な顔をしていた。
「続きはまた今度なァ?」
苗字の指通りのいい頭をわしゃわしゃ撫でた。
「……今度っていつ?」
まだ朱を残した頬で苗字がオレを見上げてくる。
ハ!やっぱコイツあざといわ。
けど、たまにはそのあざとさに乗ってやンよ。
End