Re:start
私が好きだった人は、野球をやっていた。
中学1年で新人賞を獲る、結構すごい人だった。
1年の終わりに彼が顔を真っ赤にしながら告白してきて、それがとても嬉しくて付き合い始めた。
部活で忙しくてあまり恋人らしいことはできなかったけど、私は野球をする彼も好きだったから不満はなかった。
でも中2の夏、彼は肘を壊して野球から去ったと同時に、私からも去った。
同じ学校に通っていたのに、2人で会うこともなくなって口もきかなくなって、私はそれから彼の進路も知らなかった。
だから私は別れたんだと思ってる。
はっきり別れようと言われたわけじゃないけど、これは恋人としての関係が破綻していると言わざるを得ないと思う。
そんな私も今は大学生だ。
ふと、たまに人生の分岐点で彼はどうしているのだろうと考えることもあるけど、その程度の昔話くらいにはなっていた。
「ねぇ、真護、今日も部活?」
「ああ、いつもすまない。埋め合わせはする」
「わかった、また明日ね」
今はね、私には別の人がいる。
付き合ってはいるけど私も彼もドライな関係だ。
私の彼、金城真護はこの大学で自転車競技部に入っている。
中学のときの彼のおかげで、部活に忙しい彼氏には慣れている。
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中学のときのケガが原因で、オレは好きだった野球を辞めた。
オレはそれから毎日イライラに支配されていて、すっかりアイツのことをおざなりにしていた。
それに気づいたときにはもう遅く、会うことはおろか口すらきいていなかった。
オレはアイツの進路も知らないまま、とにかく野球から逃げるように箱学に入学した。
そこで福チャンやチャリ、仲間に出会ってまた打ち込めるものが見つかった。
ただそれを見ていてほしかったヤツはもういない。
そう思ったら物足りなくなっていた。
別れたつもりはないが、彼女にはそう思われていても仕方がない状況だ。
彼女がどういう道を選んでいようと、例えオレ以外を選んでいてもオレに口出しできるはずはねぇからな。
「金城ォ、遅ぇぞ」
「悪いな」
「カノジョかァ?」
「いや、授業が少し長引いた」
「まァおめーのカノジョは物分かりがいいヤツだから、ンなわけねーか」
顔も名前も知らねぇが、金城がカノジョを理由にしてチャリに影響があったことはない。
そういや、アイツもそうだったな、とこうやって今もたまに重ねるときがある。
アイツは今、どんな選択をしてんだろうなァ。
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部活にもサークルにも所属していない私は真っ直ぐ家に帰った。
大学の近くのアパートに住んでいて、ごくたまにだけど真護も来る。
「…あ、これ返すの忘れてた」
真護から借りた教材。
明日必要だって言ってたっけ。
明日でもいい気がしたけど、私は明日午後からの授業だ。
真護は明日1限からのはず。
わざわざ授業もないのに、朝早く大学行くのはめんどくさい。
私はスマホを取り出して、謝罪と教材返すから部活が終わったら大学まで行くとメッセージを送った。
それから返事が返ってきたのは3時間後。
私が借りたから自転車競技部の部室まで行くのは当然だけど、行ったこともない場所だからよくわからなかった。
「名前」
真護からの連絡を見ながら歩いていると、前からちょうど歩いてきてなんとか会えた。
「ごめん真護、これ」
私が教材を返すと、真護はそれを受け取って鞄にしまった。
真護の隣には同じ自転車部の人だろうか、男の人が立っていた。
その人は自分の服の袖で目元をゴシゴシ拭いて、目を見開いた状態で私を見ていた。
…なんだろう、この人。
私がちょっと怪訝そうな顔をすると、その人は顔を反らした。
…あ、でもこの人の横顔、彼に似てる気がする。
まあ似てる人ならいても不思議じゃないけど。
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オレの目の前にいる女はもしかして、もしかしなくても彼女だとわかった。
金城が名前と呼んだとき、自分の心臓が飛び跳ねた。
でも同じ名前のヤツなんていてもおかしくない、そう思っていたのに、オレが思い描いていたヤツと同じで、ああ、世間はクソ狭いなと思った。
「じゃあ私は帰るね」
オレを見てもコイツは特に反応がない。
オレだと気づいていないのかもしれない。
でもオレはわかる。
少し茶色に染めた髪でも、少し化粧をした顔でも、大人っぽい服を着ていても。
「せっかくここまで来たなら何か食べにいかないか?夕飯は済ませてしまったか?」
もう1つ気づいてしまったことがある。
コイツに選ばれたのは金城だということ。
「ううん、まだ。じゃあ行こうか」
金城のカノジョがコイツだと知って、ああ、カノジョがチャリに影響しねぇわけだと納得した。
オレも中学のときそうだった。
「じゃ、オレァ帰るわァ」
コイツらが付き合ってんならここでジャマなのはオレの方だ。
「名前、こいつもいいか?」
「…別にいいけど…」
金城がオレの肩を掴む。
帰るつもりが、成り行きでメシを食いに行くことになった。
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私たちは大学からさほど離れていない居酒屋に入った。
「コイツ、金城のカノジョォ?」
「ああ。会うのは初めてだったか。苗字名前だ」
私の正面に真護が座り、その隣に同じ部のお仲間さんが座っている。
正面から見ると、あの目、やっぱり似ている。
「名前、こっちは同じ自転車部の荒北靖友だ」
名前を聞いた途端、全身がぞわっと身震いした。
…え?
今真護、なんて言った?
荒北…靖友?
おそるおそる彼の顔を見る。
ビールジョッキの横で頬杖をついて私を見ていた。
向こうも気づいてる。
そういう顔だ。
こんな偶然、どれくらいの確率で起こるものなんだろう。
「は…はじめまして。荒…北くん、」
なんともないように私は平然を装ったつもりだが、やっぱり動揺は隠せない。
「ドーモ、よろしくねェ名前チャン」
靖友のあのギラギラしたような目、好きだったな。
私を見る靖友を見て、そう思った。
中学の頃、彼は私を名前と呼び私は彼を靖友と呼んでいた。
もう別れたのだから、真護と付き合っていてもやましいのことはない。
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オレの名前を聞いて、名前の表情が変わった。
やっと気づきやがったか、ボケナス。
しかもはじめましてときたもんだ。
金城にバレたくねぇってか。
ならその茶番にちょっとだけ付き合ってやんヨ。
なんつーか…名前がオレ以外の誰を選んでもいいと思ってたが訂正。
やっぱオレ以外は認めねェ。
だがオレが突き放したようなモンだから、今は言えねぇのがもどかしかった。
「名前チャンはさァ、金城といつから付き合ってんのォ?」
オレがそう質問すると、名前の顔が強ばった。
「に、2年になってからかな」
「…フーン」
「そういう荒北くんはどうなの?彼女とか」
「………いるヨ」
名前の肩がわかりやすく震えた。
「中学のときから付き合ってるヤツ」
オレが名前の目をじっと見ると、名前は目を見開いた。
横にいる金城が長いんだな、と口を挟む。
「…よ、よっぽど好きなんだね」
「………あー、好きだヨ」
オレが名前の目を見据えて言うと、彼女は頬を染めて俯いた。
その反応、まだ見込みあるって期待していいのかよ。
「でも浮気されてんのかもな。ま、オレが今までほっといたのが悪ィんだけどォ」
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靖友は彼女がいると言った。
しかも中学からいると言った。
そんなの私しかいない。
靖友は私とまだ付き合ってるつもりだったんだ。
ならどうして何年も連絡くれないの。
私は終わったと思ってあなたじゃない、違う人を選んだんだよ。
「オレはアイツ手放す気なんてねぇけどな」
…嘘つき。
靖友は一度私を手放したよ。
靖友のことを見ると気持ちが持っていかれそうで、私は精一杯そっぽを向いた。
「トイレに行ってくる」
真護がそう言って立ち上がる。
…待って、私も行かなきゃ。
靖友と2人は嫌だ。
そう思って立ち上がろうとしたのに、名前チャンさァ、と靖友の声によりタイミングを逃した。
真護は店の奥へと消えていく。
私は仕方なくそのまま座った。
「気づいてんだろ?名前」
……ああ、懐かしい。
中学のときよりも少し低くなった声が私の名前を紡ぐ。
けど、私はもう戻れない。
「気づいてるよ、荒北くん。久しぶり」
「…ハ!荒北くんだァ?んな呼び方してなかっただろ」
「もう彼女じゃないから。それより自転車やってたなんて知らなかったよ」
本当に知らなかった。
野球からは立ち直れたんだろうか。
「おかげでなァ根っこまで腐らずにすんだヨ。……つーか、カノジョじゃないって何ィ?」
「何って…」
あれ?
私、そもそもあのときから彼女じゃなかったのかな?
あれは幻だったのかな?
「オレのカノジョはあとにも先にも1人だけだ」
「…でもそれは私じゃない。私たち、別れたんだよね?」
「だァれが。別れるなんつってねェよ」
え、それじゃあ私、本当に浮気してるみたいじゃないか。
いやいや、待って。
付き合ってたっていうの?
あれで!?
いやいや、ないない。
「荒北くんの態度は別れようって意味でしょ?」
「遅くなって悪ィけど、前向けるようになったら迎えにいくつもりだったんだヨ」
「ーーッ!そんなっそんなの!」
私は崩れるようにテーブルに雪崩れ込んだ。
結局私が悪いのか。
私が待てなかった。
靖友は待っててほしかったのか。
「名前」
靖友が私の左手に自分の右手を重ねた。
それだけで私の気持ちが揺らぐ。
触らないでほしい。
触ってほしい。
交差する想い。
「金城と別れてオレとやり直せ」
私が少し顔をあげると、真剣な顔をした靖友がいた。
正直揺らいでいる。
でもそれは真護を裏切ると同義。
「無理…だよ」
「金城にはオレが話す。金城が戻ったらいつでもいいからおめーは便所に行け」
「無理だって…。私は真護を選んじゃったんだよ」
「…チッ、金城が戻ってきやがった」
靖友が私の背後に目をやる。
真護がこっちに戻ってきてるんだ。
「いいからァ。勝手で悪ィけどオレは別れたつもりねェ。忘れたこともねェ。好きだ」
ああ、私は結局この目には敵わない。
ギラギラ獲物を狙う目も、私を愛おしそうに見る目も、授業中眠そうな目も全部好きだったから。
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オレは言い終わると、金城が近づく前に名前の手を離した。
戻ってきた金城はオレの隣に座る。
名前を見るが、動く様子はない。
マジでオレとやり直すつもりがないのか、そのボケナスの頭で懸命に考えているのか、金城にバレねぇようにじっと見る。
それから30分。
金城がそろそろ帰るかと言い出した。
名前が顔をあげてオレと金城を交互に見た。
その顔は今にも泣きそうで。
……結局、オレが遅すぎたってわけェ。
金城は帰り支度を始めている。
それに合わせてオレも重い腰をあげた。
「わ、私、お手洗い行ってくる!」
名前が勢いよく立ち上がって、オレも金城も彼女を見上げた。
「あ、ああ」
金城が不思議そうに答えた。
そりゃそうだ。
あんなに意気込んで便所に行くヤツいねーだろ。
オレは内心、クククと笑った。
けど、アイツはオレを選ぶという表明だ。
ここはきちっと男としてケリつけねーとなァ。
「…金城ォ」
オレは再び腰を落とし、金城に話しかけた。
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私は靖友に言われた通りにした。
イコール、靖友を選んだのだ。
トイレに行くまでの数十メートルの間、真護への謝罪を心のなかでずっと述べていた。
けど、わかった。
どうやったって、私は靖友から逃れられないのだと。
私が求めていたのは、いつだって靖友だったってこと。
トイレに着くと、とりあえず個室に入って扉に身体を預けた。
話がついたら靖友が連絡をくれるという。
靖友からの連絡なんて、中学以来ない。
何度か機種を変えても電話帳にだけ名前が残っていて、それ以外は靖友の形跡なんてない。
連絡をくれると言った靖友もきっと同じだろう。
今どんな話をしているんだろう。
そればかりが気になる。
主に真護のこと。
性格的に怒り狂ったりはしないだろうが、どういう気持ちで靖友の話を聞くのだろう。
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名前が便所に行ったからかオレが声をかけたからか、金城は元々いた場所に座り直した。
「さっきの話ィ。中学から付き合ってるっつーヤツ」
オレがそこまで言うと、金城は思い出したようにああ、と言った。
「あれ、名前なんだよねェ」
コイツもあまり表情が変わんねぇけど、少しだけ目を見開いた。
「…ということは名前がオレと浮気をしていた、ということか?」
「ン、や、違ェ」
オレは出来ることなら話したくもない昔話を引っ張り出して金城に伝える。
「つーワケ。悪ィけど、もらうわ、名前」
「ふ、そうか。前からオレを誰かと重ねてるんじゃないかとは気づいていた」
まさか荒北だとは思わなかったが、と続けた。
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靖友が終わったら連絡をくれると言うので、スマホを祈る様に握りしめながら待つ。
そのスマホがブルっと震えると、「戻ってこい」の一言。
久しぶりの連絡だというのに、実に靖友らしい。
真護とどんな顔をして会えばいいのだろうと思いながら戻ると、そこには真護の姿がなかった。
「真護、は?」
「あー、帰ったぜ」
靖友が私の手を引いて、会計を済ませて店を出る。
「金城とは和解した。そんでおまえはもっかいオレのモンだ」
私が不安そうにしていたからか、靖友がそう言った。
「つーか、金城は薄々気づいてたみてぇだけどォ?」
「えっ!?」
居酒屋を出た私は靖友に手を引かれたまま。
私の家とは逆方向に歩いていく。
「どこ…行くの?」
「オレんちィ」
私が驚いて靖友の手を離しそうになると、靖友がそれを阻止するように力を入れ直した。
「オメー、金城と何回ヤッたんだよ」
「なんっ!?ヤッ!?」
靖友の爆弾発言にうまく喋れない。
しかも、あれ、よく考えると……。
「付き合ってたんだろ?なんもねぇわけねーだろ」
「あ、いや…それが…」
私が何を言いたいのかわかったように、靖友が足を止めて振り返る。
「…マァジで?」
「う…はい、マジです」
「ハッ!エース様っつーのはソッチでもお堅ェのかねェ。ま、オレには好都合」
靖友が妖しく口角を上げると、足早に歩き始めた。
End