男子大学生


荒北靖友side

苗字という名前に違和感を覚えたオレだったが、それは日が経つにつれて忘れ去られていった。

違和感から数日後の部活、日が沈みかけてきたのでオレたちは室内練習に切り替えた。
ローラーを引っ張り出し、その上に自転車を乗せ、さらにそこに跨って延々進まねぇチャリに乗る。

そこに片付けが終わった苗字が戻ってきた。
ジャージの袖を捲っているあたり、おそらくボトルでも洗ってたんじゃねーかな。

金城が帰っていいと言うとオレらのボトルとタオルをわざわざ用意してドアの前で軽く手を振った。
金城が気の利いた言葉をかけ、待宮がニヤつきながら手を振り返す。
オレは気の利いたことも言えねェし、手とか振るなんざ冗談じゃねぇから苗字が出て行くのをじっと見ていた。
その苗字と目が合うとオレはすぐに目を逸らし、パタンとドアの閉まる音がして出て行ったのを確認した。

ローラーを廻して1時間。
ここから見える小さな窓からはもう光は見えない。
オレらはそこで練習を終了することにした。
アイツが用意していったボトルを手に取って喉を潤しながら、同じく用意されていたタオルで汗を拭った。

「つっかれたァ」

ボトルは氷水につけられていたのでキンキンに冷えていたし、タオルも洗剤と柔軟剤のニオイが強すぎずバランスがよかった。

マネージャーとしてのアイツを見て数日だが、意外と丁寧な仕事をするヤツだくらいには思っていた。

「ときに荒北は名前ちゃんに素っ気なくしすぎじゃ」

ほんの少し苗字のことを考えていた手前、ボトルにつけていた口からブッとスポーツドリンクを吐く。

「いきなりなんだヨ」

オレは口の端から漏れた水分を手の甲で拭った。

「荒北はそれが普通なんだから仕方ないんじゃないか?」

「じゃけェ、女の子にそんな態度はいかんぜよ」

「うっせェな。オレァこれが普通なんだよ!」

用済みになったボトルとタオルを適当にテーブルに戻し、ジャージを脱いだ。

「そうじゃ、荒北も名前ちゃんって呼んでみィ?」

「ハァ?」

待宮からわけのわからねェことを言われて思わず着替えていた手が止まる。

「よーするに荒北は名前ちゃんを女の子として意識しすぎなんじゃ。だから照れがあるのォ」

…益々わからねぇんだけどォ。
つーか意識もなにもむしろしてねェから呼び方なんかどーでもいいってわかんねェのか、コイツ。

オレのさっさと着替えろという言葉をスルーし、待宮はオレの周りでウザったらしく名前で呼んでみろだの呼べねェのは女に免疫がないだの童貞のアラキタく〜んなんて気持ち悪ィ声色で顔を近付けてくる。

「うっせ!近ェ!」

待宮の顔面を鷲掴んでそのままロッカーに背中を押し付ける。

「わァったよ、テメェがそんなに言うなら呼んでやんヨ!!」

「ほーう。今度名前ちゃんに確認するけェ」

「ハ!勝手にしやがれ」

待宮の挑発に乗っかったオレは、金城が口を挟むまで指をギリギリと待宮の顔面に埋め込むのだった。
その間、痛がるような声を出したが知ったことじゃねェ。




部室を出て、金城が鍵を閉める。

「荒北」

3人で大学を出ようとするときに、金城に呼び止められた。
オレと待宮の少し後ろでチャリを引いていた金城の方を振り返ると、顔の前に鍵を差し出された。

「明日名前に渡しておいてくれないか?」

「…ハァ?なんで」

「名前のことだ、オレたちが使ったものを昼休みに片付けようとか考えているだろうから早めに渡しておきたい」

「じゃねーヨ!んでオレなのかってことォ!おめーの方が仲良いだろ。アイツおまえにベッタリじゃねぇか」

金城はオレの前に鍵を垂らしたまま、ふっと口に出して笑う。

「荒北、名前は工学部だ。おまえの方が会う確率が高い」

「ハァ!?アイツ工学部なのォ?だからってぜってェ会うとは、……あー」

明日の講義を思い出していると、一限が工学部必修科目だということに気付いちまった。
だったら一限からいるか。
まぁアイツがサボんなかったら、の話だが。

「…チッ、ヘイヘイ。渡しァいいんだろ」

金城から奪うように鍵を受け取ると、頼むと言ってきた。

「おーおーこれで名前ちゃんと話すきっかけができたのォ」

「っせ。テメェは黙ってろ」

手の中にある見えない鍵を見つめ、小さくため息をついた。




部活が終わって家に着いたのは夜の7時半すぎだった。
チャリを担いで階段を登る。
隣の部屋の前を通るとき、換気扇から醤油や生姜で味付けられた唐揚げを揚げるニオイがした。
好物のニオイを嗅いだからか、無性に腹が減ってきた。
そして今食いてェのは唐揚げだ。
くそ。
オレはその部屋のドアを睨みつけながら、登った階段を再び引き返してコンビニまでチャリを走らせた。





時計は回り、朝を迎えた。
今日は一限から必修科目があるが、チャリをかっ飛ばして着く時間から逆算して起きる時間を設定している。
欠伸をしながら上半身を起こして頭をガシガシ掻く。
毎日スクランブルエッグを作ってたら、意外と得意になっていた。
時間もかかんねェし簡単だ。
朝メシをかきこんでリュックに教科書を詰める。
そしてテーブルに昨日から置きっぱなしになっている部室の鍵をズボンのポケットに突っ込んだ。
これが今日のオレのミッション。
そしてチャリを飛ばして数分、大学に到着した。

工学部必修科目とあってそこそこデカい教室に入ると、すでに結構席が埋まっていた。

「チッ、こっからアイツ探さなきゃなんねェのかよ」

とりあえず全体が見える一番後ろから見渡す。

「つかアイツ来てんのかァ?」

女なんてチラホラしかいねェからすぐ見つかんだろ。
……あー、アレだ。
あの真ん中あたりの列の端っこに座ってるヤツ。
マァジで工学部かよ。
階段をリズムよく下って、ちょうど後ろが空いていたのでそこに入る。

そこで最悪なことに、待宮の言葉を思い出しちまった。
『名前で呼んでみィ?』

つーかオレがいきなり名前とか呼んだらコイツ気持ち悪ィとか思うんじゃねェの?
苗字すらまともに呼んだことねーんだぞ?

ア゛ーくそッ。
呼んでねェっつったらまた待宮のヤロウがうっせェだろうなァ!
冗談じゃねェ。

オレは息を飲んで教科書を持っていた手に力が入る。

ハッ、こんくらいなんでもねぇヨ!

「名前チャァン」

若干上擦った声で後ろから呼んだが、反応がない。

ハァ!?
テメェ無視してんじゃねーぞコラァ!

持っていた教科書で軽く頭を叩くと、さすがにコイツも振り返ってきた。
顔を見た瞬間、オレがこっ恥ずかしくなって熱が上がり逸らしたが、オレをじっと見る視線は感じた。

コイツもオレが工学部だとは知らずにとんでもねェアホ面をかますもんだから、からかいやがったお返しと言わんばかりに持っていたシャーペンのノック部分で頬を突いた。



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