恋のテーマソング
*手嶋が洋南大学へ進学します。OK寿一の方はどうぞ。
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オレは運命の出会いってものを二度したんだと思う。
一度目は青八木一。
オレがどんなに努力をしても所詮は凡人と悟り、ロードを辞めようとしたときだ。
二度目は苗字さん。
2年のとき青八木と行ったカラオケ店員。
名前は胸元の名札を見た。下の名前は知らない。
運命の出会いとは名ばかりの、ただの一方的な一目惚れだった。
その想いはオレの中だけで封じ込めた。
青八木にも話してない。
ただオレはそのカラオケ店に客として行くだけ。
それも3年になってインターハイが近づくにつれ、なくなった。
自転車に専念する。そう誓った。凡人であるオレは人の何倍もの練習が必要だ。先輩たちが残したもののために。
だから想いだけがオレに残ったまま。
そのうち簡単に捨てられると思っていた。
「純太」
「おー、青八木。部活行こうぜ」
荷物を鞄に詰め込みながら青八木がオレの席まで来たのを確認した。
詰め終わった鞄の口を閉めて肩に背負う。
「いいのか、純太」
「んー?何がだよ、青八木」
青八木の隣を放課後の賑やかな廊下の中歩いていく。
下駄箱に着くまで青八木はそれ以上何も言わなくて、靴に履き替えた直後、青八木の口が開いた。
「……苗字さん」
「ッ!」
踏み潰した靴の踵に手を伸ばしたまま、身体が硬直した。
その肩に乗った鞄の紐だけがずるりと腕をすり抜け地に落ちる。
「………ははっ、誰だそれ」
潰れた踵に指を入れて直し、鞄を持ち直す。
なんで青八木が知ってんだ。
オレ、言ってねぇよ。
忘れようとしていたのに蒸し返すなよ。
もうちょっとだったんだ。もうちょっとできれいさっぱりなくなると思ったのに。
青八木はそれ以上何も言わず、左目がただオレを見ていた。
…そうだよな。言わなくたってわかるってやつだよな。
逆だったらオレもわかっちまってるんだろうさ。
観念したように静かに目を閉じた。
「もういいんだ。今はインハイだけで。集中しなきゃ、先輩たちにもあいつらにも示しがつかない」
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そう思ったのに一度開かれちまった蓋はそう簡単には塞がらなくて、オレの脚は部活、自主練が終わった夜、カラオケ店へ向かっていた。
店の前でキュッとブレーキをかける。
何やってんだオレ。ヘルメットの上から頭を抱えた。
入るつもりは毛頭ないんだ。じゃあ何しに来たんだよ。
「バカみたいだな……帰ろ」
ペダルに脚をかけたときだ。
「お疲れ様でしたー」と店の入口とは異なる場所から出てきた女子。
ここの店の制服とは違う格好なのに、苗字さんだとわかるのにそう時間はかからなかった。
全然行ってない間に肩くらいまでだった髪が、背中まで流れていた。
それに今着ているのは隣の高校の制服だ。
同い年か年下か。
やべ、こっち来んじゃん。
ジロジロ見すぎたせいか、ちょっと不審そうな目でオレの横を通り過ぎる。
目も合わせられなくてヘルメットを押さえつけ目元を隠した。
「…あーっ!」
すぐ後ろで甲高い声がする。首だけ後ろに動かすと目を真ん丸にしてオレを指さしている苗字さんがいた。
「あっごめんなさい、指さすなんて」
苗字さんはそう言って手を下ろして頭を下げた。
「あーいや…」
「あの、総北の歌うまさん!」
「……は?」
「私ここのカラオケ店でバイトしてて、ドリンク持ってった子が総北の制服着た人の歌モノマネがすっごくうまいって。最近ずっと来てくださらなかったからどうしたのかなって思ってたんです」
オレのことを知ってる…のか?
いや、知ってるとはまた違うか。
つーかすげえネーミングセンスだな、おい。
「まあ、ちょっと忙しくて…な」
「そうなんですか、暇ができたらまたいらっしゃってくださいね」
オレにペコリと軽くお辞儀をして夜道に光る街灯の中を歩いていく。
もう行くつもりなんてない。
これで最後にする。
最後に。
……ほんと、最後にしときゃいいのによ!
オレは自転車を反転させ、彼女を追いかけた。
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「…っ、苗字さん!」
「ひゃあっ!?…え、?さっきの総北の歌うまさん?」
追いついたところで自転車から降り、肩を引く。苗字を知りながら、今日初めて呼んだ。
掴んだ肩はだいぶ細めだった。それが率直な感想。
「…その呼び方、なんとかならねぇかな?」
「え、あーでもお名前……」
「3年手嶋純太」
「私も3年です。苗字名前といいます」
約半年越しにやっと知った下の名前。
どーすんだよこれ。今からこの気持ちをティーブレイクさせましょうっつったって無理な話。
やっぱ好きなんだ、オレ。
理屈じゃないんだなこういうのって。
「じゃあ手嶋くん、でいいかな?」
「ああ…それで」
オレはやっと始まれた。
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「んー…おはよう純太ぁ」
「おはよ、名前。紅茶飲むか?」
「うん、飲む」
奥のベッドがゴソゴソと動き、ボサボサの頭をした名前が目を擦りながら少しだけ上半身を起こす。
オレはそれを見ながらティーカップを傾けた。
そこから見えた肩はあの日掴んだ感触と同じ細いまま、あの日と違うのはその白さを知ったということ。
名前は布団で胸元を隠しながら自分の服を手繰り寄せていた。
オレはキッチンへティーカップを取りに行く。
あの日からオレの恋はやっと始まれたんだと思ったが、オレはインターハイでいっぱいでまた会わない日が続いた。
インターハイが終わってからカラオケ店へ向かうと辞めちまってるしまあ受験のためなんだろうけど、連絡先もそういや知らないしでもう学校に押しかけるしかねぇじゃんというストーカー行為は流石に出来なかった。
ほんとに彼女がオレの運命だったらまたいつか会えるんじゃないかって、結構楽観的に考えていたんだ。
それは思ったよりも早く訪れて、洋南大学に入学した間もない頃。
「あーっ総北の歌うまさん!」
そんな風に呼ぶのは彼女しかありえない。
あの日と同じようにオレを指さす姿は、オレが初めて出会った頃と同じ、肩くらいの髪の長さだった。
彼女はオレがいることに驚いていたが、オレはそこまでじゃなかった。
ただこんなにも早く再会できたことには驚いてる。
「あ、じゃなかった……手嶋くん、だよね?」
一度名乗っただけなのに、覚えてたのか。
オレの二度目の運命の出会いってやつは間違いじゃなかったみたいだ。
「な、なんで?手嶋くんが…」
「…突然で悪ぃんだけどさ、苗字さんが好きなんだ。オレと付き合ってほしい」
あれだけ自分の中で溜めていた言葉がサラッと出てきた。
だからっていい加減な気持ちなんかじゃない。
ただ、次に会ったときには必ず伝えると決めていた。それがオレの運命の出会いへの答え。
ティーカップを持って戻ると、服を着終わった名前がローテーブルの前に座っていた。
ティーポットから柔らかな湯気と共にオレンジ系の水色がカップへ注がれた。
「どーぞ、お嬢様?」
ちょっと甘めが好きな名前にミルクも添えて彼女の目の前に置く。
「ありがとう」
ミルクを入れてティースプーンで数回かき混ぜたあと、赤い唇がカップに触れる。
「純太の入れる紅茶はほんとに美味しい。大好き」
「なんだよ。名前が好きなのは紅茶だけか?」
「じゅ…純太も大好き…」
名前はカップを両手で握りしめながら頬を朱に染める。
朝から誘ってんのかって気持ちを抑えんのは大変だ。オレが言わせたんだけどな。
「…はは、バカだな、オレの方が先に好きになったんだ」
オレはローテーブルに手をついて前に体重をかけ、名前の唇を奪った。
名前の唇についた滴をペロリと舐めると、少し甘めの紅茶味。
End