君の手を取るのはオレでありたい


あー……っと、今日は練習のあとミーティングだっけか?
名前が部活で使ったものを片付けてる間、ミーティングの時間までちょっと自主練してるか、なんて考えて鞄を肩に担ぐ。騒がしい廊下を掻き分けてそそくさと部活に向かった。

名前はうちのマネージャーでよく働く。気も利くし人当たりもいい。
男ばっかの中でやりづらさもあるだろうが、充分にやってる。
オレも、主将の塔一郎も信頼を置いてるやつだ。

マネージャーっつーのは女子にとっちゃ憧れのあるもんかもしんねーが、そんな生半可な気持ちじゃ務まらねぇ。体力勝負の部分もあるし決して綺麗なもんじゃない。蓋を開けてみりゃオレらがローラーまわしてるより地味な仕事が待ってんだ。誰よりも早く来て準備をし、自主練のヤツらを除けば誰よりも遅くまで残っている。それが王者を支える者の使命。
だが社会人みてぇに働けば働いた分だけ金が発生するわけじゃない。そういう意味じゃ、ただのボランティアみたいなもん。
だから本気で好きじゃねーと続かない。根性も必要だ。
マネージャー1人に何人の世話させんだよってくらい。
それを女がやっているんだから、そんな必要ねぇってわかっちゃいるが感心するって話だ。
そういや、文句や愚痴を言ってるとこも聞いたことねーし、嫌そうな顔も疲れたって顔も見せやしねぇ。
だからオレらはそれが当たり前だと思ってた。




着替えて練習場に向かうと、数人の部員が練習の準備をしながら、やっぱり名前がすでにせかせかとあっちに行ったりこっちに行ったり動き回っていた。
オレはその動きに合わせて目を左右に動かすと、ふわふわと揺れるポニーテールがピタリと止まった。オレに気付いた名前は首を90度動かしてオレと目が合う。見てたのがバレたような気がして、なんとなく逸らしちまったが、その数秒後に名前はオレの目の前まで来ていた。

「ごめんユキ、気付かなくて。今日は外だよね?はい、これボトルね」

オレに向かって斜め上に伸ばされた両手には、いつも見るボトルが握られていた。
オレを見るこの真っ直ぐな目に、いつからだったかオレだけを映せばいいだろっつー変な想いを抱えるようになっちまった。
めんどくせーなオレも。
けど、はっきり言える。
好きだ。

「…わり、サンキュ」

特に気の利いたことも言えねぇで、名前の手に触れないようボトルの上部を5本指で鷲掴んで受け取る。
それからね、と話を続ける名前は近くで見るとより小さく見える。違和感なく男ん中に混ざって溶け込んでるからか、女だって忘れそうになる。
オレらの管理は名前がやってくれるかもしんねぇけど、じゃあこいつの管理は一体誰がやってんだ?

「……なんだけど、……ユキ?聞いてる?」

「っ!…あー聞いてたよ」

名前が距離を詰めて覗き込んできて、思わず1歩引く。
正直名前の話は耳を素通りしてたが、インハイも迫ってんのにンなこと言ったらぶっ飛ばされる。
とりあえず名前から受け取った紙にはレギュラーメンバーの前回のタイムが集計されていた。おそらくこれを頭に入れて今日走れってことなんだろう。

「ありがとな、名前」

頭にぽんと一瞬手を置いて、髪を梳くようにそれを離すと「あ……うん…」っつーちょっと戸惑ったような名前の声が後ろからした。




▼▼▼

少し前のお話。
オレは箱根学園エースになると同時に、福富さん、新開さんに千葉のヒルクライムレースに出るように言われた。それに出場する前年度覇者、総北高校の小野田坂道を体感してこいというものだった。
それに名前ちゃんはマネージャーとしてオレに同行した。

「拓斗、今日は勝つよ?」

「うん」

そういえば、ここに来るまでに他の部員から頑張れって何回も声かけてもらったけど、名前ちゃんからは一度も聞いたことがない。今までのレースでも。部活中でも。オレ以外にも言ってるとこ聞いたことがない。
言ってほしいとかじゃなくて、なんとなく気になった。

「名前ちゃんは他の人に頑張れって言わないよねえ」

「……うん、言わない。私より頑張ってる人に頑張れなんて言えないよ」

「名前ちゃんは頑張ってるよ!」

レースに向かう途中の車内で思わず立ち上がると、すぐに頭が天井にぶつかって「あいたっ」と声を上げてしまった。下ではオレをぽかんと見上げる名前ちゃん。
するとふふっと笑われながら「大丈夫?」って声がした。
オレは力が抜けたようにすとんと元の位置に座った。

「オレ、洗濯係でずっと名前ちゃんのこと見てたから!わかるよ!」

言葉にしちゃってから気付く。
ずっと見てたって……なんか告白みたいになっちゃった!?
違う、違うよ?たぶん女の子としてとかそういう意味じゃなくて!
ただ仲間として……。

「ありがとう、拓斗」

オレの心の中で変な論争が起きているのをつゆ知らず、名前ちゃんはオレの言葉の意味を深く考えてないみたいだった。
それはそれで…なんか寂しいような気がする。


そしてヒルクライム。
結果は小野田坂道に負け、2位。

悔しくて脚の間で握り締めたペットボトルが、ペキペキと骨が折れるような音を立てて少し潰れた。
そのめり込むようなオレの手をぎゅっと上から握られる。そっと添えるとかじゃなくて、文字通り握られた。
その手はあったかくて柔らかくて、オレよりもずっと小さくて、なのに力強かった。
誰かなんてそんなのオレの横にいる子に決まってる。

「名前ちゃ、」

「インハイ、絶対勝とうね」

名前ちゃんはオレを慰めるでもなく、情けをかけるでもなく眉を少し寄せて一緒に悔しがってくれた。次を見据えてくれた。それがこの手に込められてる。

女の子としてずっと見てたわけじゃない。
ううん、訂正。
オレは名前ちゃんを1人の女の子として見てる。
好きだよ。

「うん、勝つよ、名前ちゃん」

名前ちゃんがいてくれるなら、応援してくれるなら、オレはもっと強くなれるよ。





▼▼▼

来ない。
ミーティングって言っておいたのに。誰ひとり来ない。
どうせ自主練してて時間見てないんだ。
全く、自転車バカたちめ。
ま、そんな人たちを力の限り支えたいって思ってるんだから私もすでに結構な自転車バカに染まってるのかもしれない。

テーブルには私がまとめた総北高校のデータの資料を人数分印刷して置いてある。パイプ椅子も7脚用意して。
まだ暑すぎず春が残る陽気。
部屋の掛け時計の秒針が、カチカチ規則正しい音を奏でる。
一気に脱力感というか、疲労感が襲ってきた。土日はすぐに部活を始められるように誰より早く行くようにしてるし、昨日も部活終わってから夜な夜な前年度のインハイのビデオを見て、今年残ってるエース今泉くんと優勝者小野田くんとファーストリザルトを塔一郎より早く通った鳴子くんのデータを取っていた。
それから新たに3年生の2人、手嶋くんと青八木くん。手嶋くんは拓斗が出てたヒルクライムで途中拓斗に食らいついていたし、青八木くんは去年ファーストリザルトを獲った田所さんに鳴子くんと迫る勢いだったレースを見ると侮れない。
それから1年生で入ってる鏑木くん。高校生になっての実力はわからないけど、チームSSという千葉では強豪なチームで大人も混在しているにも関わらず、ずっと残ってきた子だ。
そう簡単には勝たせてくれないメンバーばかりなのは間違いない。
そうやってまとめていたら、少しだけ空が明るくなっていた。

ちょっとだけ……5分…いや、10分だけだから……。
もしその間に誰か来たら起こしてくれるよね…。

パイプ椅子に座って、重たくなる瞼に逆らわず目が閉じられた。




意識が遠のいてきて途切れそうになった頃、少し廊下から話し声が聞こえた。
どんどん近付いてくるのはよく知ってる2つの声。
低めで鋭くて、でもどこか優しめなユキの声とふわふわ甘いのに、急に大人っぽくなる声。そう考えると2人はデクレッシェンドとクレッシェンドみたいだ。

ガラッとドアが開く音がする。
あ、いいかげん起きなきゃ。

「悪ぃ名前、遅れた……って寝てんのかよ」

「わあ、名前ちゃんが学校で寝るなんて珍しい」

たたたっと足音がしたと思うと、突き刺さるような視線を感じて起きるタイミングを失った。さらっと頬を撫でる感触はユキか拓斗の髪の毛か。
ふわっと香ったのが甘い匂いだから、これは拓斗なんだろう。
何、もしかして至近距離で寝顔ガン見されてるの…?
目を開けたら開けたで、すぐ近くにいるであろう拓斗と目を合わせることになるからなかなか開けられない。
早くどいてくれないかな。

「おい葦木場。おまえ近ぇだろ」

「わっ!そんな引っ張らなくても…」

「うるせーよ。んなバカみたいに見てんなっつの」

「へへへ、珍しいなって思ってつい。ユキちゃん、名前ちゃんの寝顔可愛いよー?」

いやいや、そんな報告わざわざユキにしなくていいから。

「はぁ?興味ねぇよ」

「えー?じゃあもっと見ちゃお」

おいこら。

「バッ、だから近付きすぎだっつってんだろ」

「……ユキちゃん…もしかしてオレが名前ちゃんに近付くの…嫌なの?」

「そんなんじゃねー」

「じゃあいいじゃん。オレ、名前ちゃんのこと好きなんだぁ」

…………ん?
これは…拓斗の声?
今なんて言った?
好きって……え?誰が?名前ちゃんって誰?
私?ここでそんなこと言うなんて私しかいないよね?
まるで目の開け方を忘れたかのように開かない。接着剤でもつけられたみたいだ。
でも今起きても何も知りません聞いてませんって顔できるほど器用じゃない。
もう少しこのままでいるしかないじゃない。

するとファスナーが上がる音か下がる音か、そんな音が聞こえた。
テーブルに突っ伏している私のポニーテールから覗くうなじに風が当たったと思うと、胸元からお腹に若干の重みと体温を感じる。
首元をを通って香ったのは、全く甘みのない男らしい匂い。
あ…あったかい。これはユキのジャージか。

「おめーもかよ」

「……ユキちゃん…?」

拓斗の声とかぶって、私もユキ?って心の中で呼んでいた。

「葦木場……オレも、名前が好きだ」

なっ……ななななっ……えっ?
てか私が起きてたらとか微塵も思わないわけ?
このあとしれっとミーティングしろって?
ユキと拓斗以外はいないの?まだ来ないの?
早く来てこの話終わらせてー!!

もう眠気も吹っ飛びそうな事実を2つも知って、頭の中だけがザワザワと騒いでいた。
そこに入り込んできたのはユキのわざとらしいほどの大きなため息。

「やっぱこいつ、無理してんだろ」

「無理……?」

「朝も早ぇ、夜は遅ぇ、どうせこの資料だって名前1人で徹夜覚悟してやってんだろ」

隣から紙が擦れるような音のあとバサバサとその紙でテーブルを叩かれる感じがした。

「ったくよ、ちゃんと休めよな」

「もう少し寝かせておいてあげようか」

「ああ、つってもさすがに他のやつらが来たら起こすけどな」

ユキがいると思われる方とは反対側で椅子がガタンと音を立て、ギシッとパイプ椅子に体重がかかったときの音と私の方へ椅子が引きずられる音がする。

「へへへ、今ならいいかな」

拓斗の言葉の意味がわかったのは、私の太腿の上に置いてあった手に大きくて温かい手が包んだからだ。なぞるように私の指の間を滑っていく。
肩がピクッと反応しちゃったけど、起きてること気付かれてないかな。
拓斗の指がきゅっと折られると私の掌に向かって握られた。

「っ、拓斗てめっ」

「名前ちゃんも安心して眠れるかなと思って」

いやいや、むしろ変な汗とか出そうだしよくわかんないけど心臓バクバクいってるんだけど。

振り払うことも出来ずにそのままの状態でいると、ユキがいたはずの方の椅子までも同じような音がする。

え、ちょっと待ってよ。
まさか…まさかだよね?
ユキはメンバーの中で唯一と言っていいくらいの常識人でしょ?
拓斗に乗せられないでよ、煽られないでよ。

そんな私の小さな願いも思い切り砕かれて、ユキのゴツゴツとした指がぶっきらぼうに私の手を握った。
私の両肩は2人に密着している。
左側には拓斗の体温が、右側にはユキの体温が感じられる。
少し拓斗の方が体温が高めかな。

いつしか心臓の音は穏やかになり、さっきの眠気が途端に帰ってくる。
遠のいた意識が今度こそ途切れた。もう2人の声も聞こえない。





「このまま寝かせとこうぜ」

「…名前ちゃん疲れてたのかな?」

「当たり前だろ。オレらは名前に頼りすぎなんだよ」

「えー、そういうユキちゃんだって…」

「だからオレらっつってんだろ」

「しーー。名前ちゃん起きちゃうよ?」

「っ、…悪い」

オレとユキちゃんは両側からそっと名前ちゃんの寝顔を覗き込む。
名前ちゃんの閉じた目は、長い睫毛が綺麗にそろっていて静かに呼吸を繰り返していた。
オレとユキちゃんは、はぁぁと安堵の息を吐く。



本当は名前ちゃんが疲れたときに寄りかかるのはオレだけであってほしい。

ほんとは名前がつらいときに手を差し伸べるのはオレだけであってほしい。


それでも今は、君がゆっくり休めますように。






(あれー泉田さん入らないんですか?後ろ詰まってますけど)
(何してんだ泉田さん)
(あ、ああ……)(アッブゥ…)
(なんすかー?オレ先に入りますけど)
(ま、待て悠人)
(あーっ、へへへ、黒田さんと葦木場さんが名前さんと手繋いで寝ちゃってますねぇ)
(こら真波…!)
(マジか。こんなとこで葦木場さんも黒田さんも何考えてんだ)
(ヒュウ、つーか苗字先輩、2人に寄りかかられて潰されんじゃないっすかぁ?)
(と、とりあえずここはユキと拓斗に任せてもう少し練習してくるとしようか)
(あー泉田さん、オレはここで寝ててもいいですかー?)
(だめだ。行くぞ真波)
(ちえぇ……)




End



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