シンドバッド様が「国を作ってくる」と言って屋敷を去ってから、さらに数ヶ月が経とうとしていた。私は数日寝込んでいたせいで溜まっていた皮脂を落として、風呂場から寝室へ戻る所だった。そんな時に、中庭でギャアギャアとけたたましい声がしたのである。窓から中庭の様子を窺うと、大きな怪鳥が辺りをきょろきょろと見回して鳴いている。アルテミュラ人が好んで使役する、大型の鳥である。
 私が窓を開けると、その鳥はまたギャアと一声鳴いて、大きな翼をはためかせて私の開けた窓の枠に降り立った。大きな体躯は窓枠にはおさまりきらず、少し窮屈そうにぐるぐると鳴く怪鳥は、頭を下げて私に嘴に挟んだ紙切れを渡した。署名を見ると、どうやらシンドバッド様の遣いらしいことが分かる。私がありがとうと嘴をひと撫ですると、怪鳥はケーッ、という甲高い鳴き声を残してまた飛び去って行った。
 怒涛の来訪に呆然としていたが、私ははっと気が付いて手にした紙切れを開く。紙切れというには少し大きめの紙だったが、その白い紙面にはシンドバッド様の名前と、「迎えに行かせるから」という一言の文句だけが書かれている。私は首を傾げて窓の外を見たが、先ほどの怪鳥は既に飛び去ってしまって、影も形もない。迎えに行かせるって誰に、とひとりごちようとした、その時である。

「シルディアさん」
「っ!」

 背中から声を掛けられて、私は文字通りとびあがった。ばくばくと五月蠅く鳴る胸を押さえて振り返ると、そこには見上げるほどの長身。

「……マスルール、くん?」
「……どうも」

 ぺこり、と会釈をした彼は、その仕草こそ変わらないものの、前に来た時よりもまた一段と背が伸びたようだった。見るたびににょきにょきと背が伸びて筋肉質になっているのは、恐らく私の気のせいではない。
 シルディアさん大丈夫スか、心臓止まってないスか、などと見当違いな心配をしてくる彼を見上げて、私はしきりに瞬いていた。何故ここにいるのだと、困惑が頭の中で渦巻く。

「玄関から入ったんスけど、シルディアさん出てこなかったので」

 眠そうな目が瞬いて、それから視線が開いたままだった窓に向かった。シンさんからの手紙は読みましたか、と問われて、私は唖然としたままで頷いた。何と言うか、言葉が出ない。

「じゃあ行きましょう」

 と。マスルールくんが頷いて、私を抱き上げた。横抱きにされて、吃驚した私は思わず彼の首に手を回してしがみつく。

「な、行くってどこに…!」

 混乱しつつも何とか聞いた私には答えず、マスルールくんはゆったりと瞬いて私を見た。

「……何か、あの時みたいッスね」

 と。そう言った彼の口角が、ほんの少し上がっていたように見えたのは、私の気のせいだっただろうか。
 私は彼にしがみつきながら、おぼろげに状況を理解しつつあった。
 迎えに行かせる、というのは恐らくマスルールくんのことで、彼は今から私をどこかへ連れて行こうとしている。想像するにその先はシンドバッド様の国で、私は生まれて初めて、この屋敷から出ようとしている、と言ったところだ。

「…掴まっててください。すぐに麓、着きますから」

 そう言ったマスルールくんが、窓枠を蹴って外に出る。突然の浮遊感に、私は思わず手に力を込めた。意外にも無音で中庭に降り立ったマスルールくんは、怖くないスか、と今更ながらに聞いた。

「……怖くは、ないですが」
「はい」
「出来るだけ安全運転で、お願いします」

 と言う私の声は、何だか恥ずかしくなるくらい震えていた。顔が熱くなるのを感じて、私はマスルールくんの肩口に顔を押し付けて隠す。

「…了解」

 ふっ、と。何だか笑うような気配とともに、マスルールくんはそう言った。私が驚いて彼を見るが、その時には既に、彼はいつもの無表情で前を見据えている。
 マスルールくん、と私が呼ぼうとする前に、彼の足は中庭の地面を蹴っていた。感じたことのない速度に、私の手が更にきつく彼に巻きつく。
 流れていく景色と遠ざかる屋敷の建物に、私は目を細めた。心の中でそっと、さようならと言う。祖父と私が住んで、シンドバッド様と旅の仲間たちが羽を休めた屋敷。私はそこに、もう二度と戻ることはないのだろう。







さようなら




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