窓から身を投げた私に、マスルールくんが血相を変えるのが見えた。

「シルディアさんっ!」

 マスルールくんが声を荒げるのは初めて聞いたなぁ、と思いながら、私はやってくる衝撃に堪えようと目を瞑った。しかし、予想した衝撃はいつまでもやってこない。その代わり、とさり、と軽い音がして、温かいものが私の体を受け止めた。そっと目を開けると、私を横抱きにしたマスルールくんが何とも言えないような表情で私を見ている。私は手を伸ばして彼の首元に巻きつけ、「捕まえました」と囁いた。
彼が逃げようと思えば私を投げ出して逃げることも出来るのに、彼はそうしない。マスルールくんがそうしないことを、私は見越していたのだ。優しい子だから。それを利用する私は、きっとずるい。

「…シルディア、さん…何して…」

マスルールくんが私を地面におろす。私の足は軽い音をさせて地に降りた。マスルールくんは、何だか悲しそうな、今にも泣きだしそうな目で私を見ている。表情は流石に元の無表情に戻っていたが、割合素直な彼に関して言うならば、目は口ほどに物を言うらしい。

「マスルールくんと、またお話がしたかったんです」

 マスルールくんを逃がすまいと首元に抱き着いたままで私が言うと、彼の睫毛がふるりと震えた。目元を縁取る黒い睫毛は、案外長いのだと気が付いた。

「俺、おれは…」
「うん?」

 彼が私の言葉に答えてくれたので、私は彼を抱いていた腕を解いた。マスルールくんが、躊躇うように言葉を繋ぐ。

「俺は、ファナリスです」
「…そうですね。私は世の中の事は知りませんが、珍しい種族だと聞いています」
「……力が強くて、」
「うん」
「でも、シルディアさんは弱いから」
「うん」
「……俺は、壊すから」

 ふるふると、彼の睫毛が震えて。シルディアさんを壊すのは嫌です、と。彼が、痛みを耐えるように言う。
 そう簡単には壊れませんよ、と言えば、壊れるんですと硬い声音が帰ってきた。ジャーファルさんもだが、彼らは私を硝子細工か何かと勘違いしているのではあるまいか。
 私は再度手を伸ばして、彼の頬に触れた。中庭の空気に冷えた頬は、しかしそれでも私より温かい。私はマスルールくんの頬を撫でて、「壊れませんよ」と再度言った。

「私は弱いですけど、貴方が思うほど簡単には壊れません。以前は少し不幸な偶然が重なりましたけど、ちゃんと治ったでしょう?」

 だから、大丈夫。そう、宥めるように笑う。マスルールくんはそんな私を見て、ぐっと唇を噛んだ。静かな双眸が私を見て、一度瞬く。

「ねぇ、マスルールくん」
「……はい」
「私ね、マスルールくんに逃げられている間、とても寂しかったんですよ」
「は…?」
「貴方に避けられてしまうと、私は寂しくて、それこそ壊れてしまいそうで」

 私の言葉に、マスルールくんはまた瞬く。今度は驚きの色を混ぜて。
 だから、と。私は彼の頭を撫でた。

「また私と、仲良くしてくださいね」

 見開かれた彼の目から、はらりと。一筋の涙がこぼれる。
 こうした方法で彼を繋ぎとめるなど、私はなんとずるい女なのだと。そう思いながら、もう一度彼を抱きしめた。


捕まえました




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