「出立?」
「そう、三日後には出るって。シンから聞いていないのか?」

 白湯の入った茶器を私に手渡しながら、ジャーファルさんが言った。私がふるふると首を振ると、彼は拙い事を言ったか、とでもいう風に顔を顰めて片手で口許を覆った。気遣われているのだ、と気配で察して、眉根を寄せた。

「何を気にしているのです?むしろ早くに教えてくださって有難いくらいです」

 気にしていない、というポーズをとっておこうと、私が背を預けた枕の位置を直しながら言う。彼は「そうか」と言葉少なに返した。ばれているのだ、と苦々しい気持ちになりながら、私はその演技を続けるしかない。
 もともと彼らは渡り鳥のようなもので、こんな人里離れた場所にとどめ置けるような存在ではないのだ。ただシンドバッドの厚意で、たまに私の様子を見に滞在しているだけの。
 それが分かっていても、やはり彼らがいなくなった後の静かな屋敷は寂しいものだ。どうせ、そんなのは数日で慣れてしまうものではあるのだけれど。

「マスルールも、もう読み書きの練習には来てないし。ここに留まる必要もないだろうって、シンが」

 そう言って、ジャーファルさんが寝台の端に腰掛けた。やはり音はしない。それでもマスルールくんあたりならば聞き分けることも出来るのかもしれなかったが、私には無理だ。
 私はそうですか、と言って、白湯に口をつける。白湯にしても良く冷ましてあるようだったが、一口飲んでふぅと息をついた。

「このまま貴方たちがここから去ったら、きっと次の訪問にマスルールくんは来ないのでしょうね」

 先の滞在で、「俺は身体が大きいから迷惑だっただろう」と笑ったイムチャック人の男のように。今回彼は来なかった。優しい男らしいから、これからも遠慮して来ないだろう。あの時私は酷く具合が悪かったので、あまり彼とは親しくしていなかったのもあるかもしれない。
 手の中の白湯に目を向けた私に、ジャーファルさんが何か言おうとして、しかし沈黙したようだった。その沈黙は肯定だ。肯定されずとも、分かっていたことではあったけれども。
 私は白湯をもう一口飲んで、ジャーファルさんに「ありがとうございました」と頭を下げた。それは出立の日を教えてくれたことに対してでもあるし、滞在中世話を焼いてくれたことに対してでもある。シンドバッドが言うには、彼はとても丁寧に屋敷の掃除をしてくれたそうだし、礼の一つでは足りないのだろう。しかし、私が彼に感謝を伝える手段はこれしかないのだ、呆れるほど無力なのだから。

「…また来る」
「はい」
「……もしシンが来られなくても、俺は来る。あんた、放っとくと死んでそうだから」

 心配だ、と。ジャーファルさんが言った。私はそれに笑って、「そんなにやわではありませんよ」と返した。しかし返ってきた彼の視線は胡乱げなものだったので、信用されていないのかもしれない。



大丈夫です




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