はぁ、と溜息をついた私を見て、廊下でふと擦れ違ったシンドバッドが「疲れてるな」などと言ってきた。疲れていると言えば疲れている。しかしそれを肯定するのすら億劫で、私はもう一度溜息をついて返事に代えた。
 先日、事故のような形で私の肩を脱臼させてしまったマスルールくんは、それからずっと私を避け続けている。避ける、とは言っても、全く会わない訳ではない。むしろ逆だ。常に私の視界の中には入っている。しかし、近付いていこうとするとその分彼は私から離れるのだ。つまり、一定の距離を保ちながら、彼は私を視界に入れつつ避けている、という何とも器用な真似をして見せているのである。
 シンドバッドやジャーファルさんに頼んで捕獲してもらうという手もあるが、相手はファナリス、そう簡単にはいかないことは目に見えている。そんなわけで、私は微妙な距離感で避けられているというよくわからないストレスを常に受けているのだ。

「あいつもな、悪気はないと思うんだ。ただ君に嫌われるのが怖いだけなんだよ」
「…誰がいつ嫌いだと言ったのですか。私はただ、」

 と。そこまで言って、私はふと言葉に詰まった。…ただ、何なのだろうか。私は彼を捕まえて、何を言いたいのだろう。考えるとどんどん分からなくなって、私は首を傾げる。
 彼も彼で、私が怒っていないことはとうに分かっているはずだ。私の視力で認識できる距離から、ファナリスの聴力がここ数日の私とシンドバッドやジャーファルさんとの会話を聞き取れない訳がない。

「……?」

 結局は考えがこんがらがって、私は顎に手をやって首を傾げた。シンドバッドは、私が突然考え込みだしたことに困惑して私にあわせて首を傾げている。とりあえずそれが何だかむかついたので、「お前にそんな可愛い要素は求めていません」と一刀両断しておいた。シンドバッドは「巷のお姉さんにはやんちゃで可愛いと大人気なのに…!」とか言っていたが、その巷のお姉さんとやらの見方と私の見方は違うのだ。そのお姉さんに「視力大丈夫ですか」と問いたいところではあるが、この屋敷から出られない私には一生無理な相談だろう。
 とにかく。私はマスルールくんと今まで通りに接したいだけなのだ。しかしマスルールくんは私を避けているためにそれは敵わない。私は苛々と溜息を吐いて、廊下にある窓の外に視線を投げた。中庭を中心にコの字型になっている屋敷の、向かい側の屋根にマスルールくんが膝を抱えて座っているのが見える。

「……私、嫌われてしまったんでしょうか」

屋根の上のマスルールくんを見ながら私が呟くと、シンドバッドはそんなことないだろうと苦笑する。

「マスルールは、君が何をしようと君のことが好きだろうさ」

 ここ最近は親鳥の後を追う雛鳥にしか見えなかったぞ、と笑うシンドバッドは、私の肩をぽんと叩いた。雛が親について回るのはただの刷り込みであって慕っているとは言い難いのだと、この男に教えてやりたい。しかし私を励まそうとしているのは分かったので、その厚意だけは素直に受け取っておくことにした。

「お前も人の子ということでしょうか。気遣いだけは受け取っておきますよ」
「君はまたそういうひねくれた受け答えを…」

 そういうのはやめなさい、とシンドバッドが私の頭を撫でる。こういったときだけ年嵩の余裕を振りかざすのは、この男の特徴だった。狡い男だ。いつもは子供のように駄々を捏ねているくせに、と妙にとげとげしい気分になりながら、私は頭を振って彼の手を振り払う。

「……私はただ、今まで通りに彼と接したいだけですよ」

 そう、彼に声が届いていると知って言う私も、この男に負けないくらいに狡い女なのだが。



考えてみましょう




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