マンモーニども | ナノ


▼ formaggio

「バールに寄らねぇか。何だか無性に甘いものが恋しくてよォ」

 ぞりり、短く刈り上げた坊主頭を撫でながらホルマジオが言う。ステアリングを切る手つきに迷いはなかった。私が何と答えようと、彼はバールに寄って何か――そう、チョコバーかジェラートか、その辺のものを買うつもりなのだろう。「良いじゃねぇか、大した時間も取らねぇだろう」と、いつもの人好きのする笑みで言う姿が予想できる。彼は生来、憎々しいほど朗らかだ。それは彼の生業からすれば、いっそ気味が悪いくらいのミスマッチであった。
 私はそうねぇと気の無い返事をして、膝の上に乗せた空き瓶を揺らした。……いや、空き瓶ではないのだろうか、これは。だって中にはモノが入っている。「空」という言葉の意味を考えれば、これは空いてはいない。瓶だ。中身の入った瓶だ。果たして、これは空き瓶と比して何と呼ぶのだろうか。私はもう一度、そうねぇと呟くように言った。
 車が滑るようにバールの前に停車する。ギアッチョから借りた、白のスポーツカー。ローンで買ったとか言っていた。ハイリスクでストレスフルな私たちの仕事だが、その報酬は一般的な会社員の給料と大差ない。全く儘ならないことである。その決して多くない収入でこんな目立つ車を買うギアッチョも、これまた儘ならない。車高が低くて乗り降りしづらいし、エンジンは五月蝿いし、乗り心地も悪い。スポーツカーなど金持ちの道楽であると思っていたのだが、どうやらそうとも言えないらしい。貧乏でも欲しいやつは欲しいものなのだろう。

「ねえ、車の中で飲食したらギアッチョが怒るわ」
「ン?バールで食えばいいじゃねぇか。大した時間も取らねぇだろう」

 ビンゴ。想像したのと同じ台詞で、同じ笑顔で、ホルマジオは言った。シチュエーションは違うけれども、私の予測能力もなかなか、捨てたものではない。
 しかし私は彼の言葉に眉根を寄せて見せ、また膝の上に乗せた瓶を揺らした。

「これを持って?馬鹿みたいだし、何より目を引くわ」

 ホルマジオは私の言わんとしていることが分からなかったのか、不思議そうな顔で瓶を見下ろした。
 いつの間にやらエンジンは止められて、キーも彼の指先でちゃりちゃりと軽い音を立てている。停車ではなく駐車しやがった、この男。どうあってもバールで甘いものを摂取する気らしい。アジトまで待てないのか、我慢のきかない男。

「空き瓶1つ持ってたくらいで目立つかよ」
「空き瓶じゃあないってことは、貴方が一番よく知ってるでしょ?人の入ったガラス瓶なんて、人目を引いて仕方ないわ」

 私が瓶を今までよりも少し乱暴に揺する。中のモノが転がった。中に入っている、何処かの企業のお偉いさんか何か。それが転がったのだ。瓶の中で、仕立てのいいスーツに醜く皺が寄る。強い既視感。何だか着せ替え人形を振り回して遊んでいる気分で、ひどく居心地が悪い。
 それを見たホルマジオが喉奥で笑って、「一体どこの誰がそれを人間だなんて思うって言うんだ?」と問うた。そういう反応をされると、何故だか私の方がおかしなことを言ったような気分になる。

「とにかく嫌よ。貴方のスタンドの射程距離じゃあ車に置いて行くことも出来やしない」
「しょーがねぇなァ……ほら、こっち寄越せ」
「私の精神衛生と矜持のために言っておくけど、しょーがねぇのはどう考えても貴方よ」

 私が瓶を手渡すと、ホルマジオはそれを片手に、もう片方の手で懐を探った。そうして彼の合成皮革のジャケットの胸から掌大の、褐色のガラス瓶が出てきたのを見て、私はつい溜め息を吐いた。そんなものがあるなら早く出して欲しかった。
 中に人が入った透明なガラス瓶なんて、持っていて気持ちがいいものじゃあないのだ。中のターゲットがガラスを叩いて必死の形相で何か言ってくるし。蓋を閉めた分厚いガラス瓶の中からじゃあ、何を言われたって聞こえやしないけれど。

「これで良いだろ?」

 中身を移し替えた褐色の瓶を軽く振って、ホルマジオは悪戯っぽく言った。その悪気の無さに、味気ない殺意が湧いた。段ボールでも噛んでいる心地だ。言い換えるなら、こんなことやってる場合じゃねぇよという焦燥に似た苛立ち。
 私は返事をせずにドアを開けて、路地の石畳に降り立った。ハイヒールがかつりと固い音を立てる。

「女に車のドアを開けさせるなんて、それでも貴方イタリアーノなの?」
「怒って勝手に出ていく女のことまでは、面倒見きれねーなァ」

 続いて運転席のドアを開けて出てきたホルマジオに吐き捨てれば、にやついた視線と共にそう返ってきた。私が片眉を跳ね上げる様子を見て、ホルマジオが笑う。これじゃあ私が勝手に腹を立てている馬鹿女みたいだ。気まずさと恥ずかしさで引っ込みがつかない子供のような気分で、ひどく不愉快だった。これだから歳上の男は苦手だ。

「このサディスト」
「おう、よく言われる」

 ホルマジオが開けたバールのドアを潜りながら毒づく。手渡された褐色の瓶を受け取り適当な席についた。
机の上に置かれていた灰皿を端に追いやる。コトリと目の前に褐色の瓶を置くと、茶色のガラスの向こうで小さなシルエットが暴れているのが見えた。貼られたラベルに隠れて、私以外には見えてすらいない影なのだろう。ラベルに印字されたウイスキーの文字が何だか素っ気ない。
 そんなことを考えながら蓋を指先で押さえて、かたりかたりと瓶を揺り動かした。また既視感。
 我知らず溜め息をが出た。これは何だったろうか。似た光景を見たことがある、気がするのだけれど。
 そんなことを考えていると、突然目の前に何かがぶら下がって、私はつい仰け反ってしまった。

「ほらよシニョリーナ、チョコバー」
「……ありがと」

 それがチョコバーの袋であったことに気付いたのは、それを受け取って、ホルマジオが向かい側に座ってからだった。どうやら少し頭の回転が鈍い。
 市販品の袋を荒々しく破いてチョコバーを引き出し、ホルマジオは存外に白い歯をチョコレートに突き立てた。

「中はヌガーなのね」
「ああ、嫌いか?」
「口紅が取れるから、外でものを食べるのは好きじゃあないわ」
「そりゃあ悪かった」

 ホルマジオの歯に着いたヌガーの茶色がちらちらと覗いた。口を開けてものを食うほどではないが、話すときに歯に着いたソフトキャンディーを隠すことはしない。中途半端に矯正しきれない育ちの悪さが、強面に反して可愛らしい。
 チョコバーの袋を開けずに手の中で弄ぶ。それも何だか手持ち無沙汰で、私は目の前の瓶にまた指を伸ばした。

「……子供がよォ、虫の手足を千切って遊んだりするだろ。あれはあれで正常な発達の過程らしいぜ」

 無造作に瓶をひっくり返した私に向かってホルマジオが言う。
 私はそれを聞いて、心中で「ああ」と漏らした。それだ。感じていた強い既視感。子供の頃の、無邪気で残酷な遊びだ。それに似ていたのだ。
ホルマジオのスタンド能力は、そんな悪気のない残忍に酷く似ている。

「蟻の巣を水没させたり、蜻蛉の羽を毟ったりよ。したよな」
「……したかしら。覚えていないわ」

 よくもまあ、そんなことを。
 自分の吐いた言葉に毒づきそうになった。しかし嘘とするのは少しばかり躊躇われて、私は顔をしかめる。
 覚えていないのは本当なのだ。幼馴染みがよくそういうことをしていた記憶はあるけれど、自分がやっていたという思い出はとんと無い。思い出の中の私は、小さな命で遊ぶ幼馴染みをただ見ていたように思う。
 私は私の子供時代の思い出を持たない。私の思う子供のモデルは自分ではなく、いつも一緒にいた幼馴染みであった。積極的で自信に満ち溢れた幼馴染みの隣にあって、私はただただ、観測者であったのだ。

「何でも残酷な遊びの経験がない奴は、成長してから命の尊さを理解できない大人になるらしいぜ」
「あら。じゃああんたは子供の頃蚊も殺せなかったクチね」
「馬鹿言えよ、俺ァ生まれ育った環境にしちゃ至極まっとうに成長したって自負しているんだぜ」

 ふん、と笑ったのはほとんど無意識だった。それ程に抱腹ものであったと言わざるを得ない。手慰みに小動物を、時には人間までもを瓶に詰めるような男が至極まっとうだと言えるだろうか?私が眉尻を下げて笑ったのは、全く当然の反応であったのだ。
 店員が運んできたホットコーヒーを相変わらず屈託のない笑顔で受け取った件の男は、次いで私の笑声に非難の視線を浴びせた。命をクソとも思わない社会不適合者のくせに、なんて人並みの反応をしやがるのか。

「思いつくインモラルの一切をブチ込んだ肥溜めに生きてたにしちゃあよ、平和的に毛虫を潰したり蜘蛛の脚を千切ったりしてたモンだよ。14になるまでは人を殺したことも無かったんだぜ」
「嫌だわ、さも自分は善人みたいな顔をして。胸糞悪いこと」

 私は笑う。ホルマジオもそれを受けて笑った。人を食ったような、いやらしい笑みだった。甘いものをねだる時や、バールの店員にむけるものとは違う。取り繕う一切を要らないものとして捨て去った、言ってしまうなら丸裸の笑みだった。私も同じように笑っているのかしら。ああ、胸糞悪いこと。

「虫を殺す話で思い出したんだがよォ、聞くか?」
「私、自分の体験をいかにも誇らしげに話す男って小物だと思うわ」
「厳しいこって」

 ホルマジオは肩を竦めたが、話をやめる気は無い様子だった。くしゃりとチョコバーの袋を握りつぶした手が伸びて、私の前に置いてあった褐色の瓶を取り去る。それを手の中で多少乱暴に弄ぶ。私はそれを見て、乗っていたバスが突然巨人に持ち上げられて振り回される図を夢想する。全く考えたくもないことだ。

「バッタを虫かごいっぱいに入れて、カマキリを1匹だけ入れたことがあったんだ。どうなったと思う?」
「さあ……カマキリにとっては天国だったんじゃなくって?餌が溢れているわけでしょう」
「ところがよォ、翌朝ンなって籠を覗いたら、死んでたのはカマキリの方だった」

 私は瓶を注視していた目を少し上向けて、ホルマジオを見た。表情には特に変化はない。手の中の瓶を弄りながら、世間話に興じているようにしか見えなかった。実際は瓶の中の標的に拷問にも等しい責め苦を与えている最中であったし、話している内容も決して世間話のようなライトなものとも言い難かったのだけれど。

「あればあるだけ食うんだな、ああいうのは。食った獲物で腹が破裂して死んでたんだよ。ただ殺すってことが出来ねぇんだ」
「……」

 ことり、と瓶をテーブルに置いて、ホルマジオはゆるりと顎を撫でた。

「食うために殺す、ってルールがあるんだろうな。本能とかそういうレベルでよ」
「ホルマジオ…ねえ、何が言いたいのか分からないわ」
「分かんねえってこたぁねえだろ、タルトゥフォ。オメーは頭のいい女だよ」

 知らず鼻頭に皺が寄った。無価値で無意味な信頼を寄せられているのだ。仲間に信頼されるのはもちろん悪い事ではないけれど、まさか今このシチュエーションで擦り付けるように知らしめられるとは思わなかった。
 苦い顔をする私を愉快そうに眺めて、ホルマジオはコーヒーを手に取る。大きな紙コップ。どうやらこの店で一番大きなサイズであるらしかった。

「熱い飲み物は苦手でよ」

 と。ホルマジオはそう言って、湯気の立つカップから一口、コーヒーを嚥下した。片手間に、目の前の瓶のコルクを引き抜く。

「……あ、」

 私は小さく声を上げた。
 それは、なんとなく想像がついたからに他ならない。これから彼が何をしようとしているのか、察してしまったのだ。

「ほら、頭のいい女だろう?オメーは」

 ホルマジオはそう言って、躊躇なく――まるで観葉植物に水をやるかのような気軽さで――、瓶にコーヒーを注ぎこんだ。瓶の中からきっと上がったであろう悲鳴は、バールに充満する様々な音にかき消されて聞こえない。

「……ああ、ああ。何てことかしら、ホルマジオ」

 コーヒーは出てきたばかりで、火傷するほど熱いはずだ。そして、カップの中身を半分ほど注いだところで、そう大きくはない瓶はコーヒーでいっぱいになった。中に入っていたモノがどうなったかなど、もう見えない。
 ホルマジオは仕上げとばかりに瓶にコルクで栓をする。本当に、胸糞悪いこと。

「あんた、やっぱり肥溜めで育ったクソ野郎だわ。私たちとおんなじよ」

 私の手の中で、チョコバーのパッケージがくしゃりと音を立てる。
 ホルマジオはまだ半分も残っているコーヒーをテーブルに残したまま、おもむろに席を立った。手にはなみなみとコーヒーを湛えた瓶。その表情は、これから酒を買いに行こうとでも言いだしそうなほどの晴れやかな笑みだった。

「気分がいいなァタルトゥフォ。仕事も終わったことだしよ、いいワインでも買って帰るか」
「……ええ、それは妙案だわ色男」

 ああほら、私の予測能力もなかなか、捨てたものではない。

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