マンモーニども | ナノ


▼ risott

 親類を轢き逃げした犯人を殺してこの社会に足を突っ込んだという、言ってしまえば大変に安っぽい悲劇であった。前途ある若者がケチな轢き逃げ犯のために将来をふいにするという、ありふれた類いの。
 私もあまり暗殺者という職業には向いていないが、彼だって同じくらい向いていない。もっと合理的であるべきなのだ。彼はもっと、自分の未来と復讐とをまっとうな天秤にかけるべきであった。
 過去の分岐点のことをあれこれ考えるのは懐古主義の悪いところであると言える。冷えた思考に沈んでいると、ふと耳を低い音が撫でた。

 ――誰も寝てはならぬ。

 どこの世界にトゥーランドットをフルで歌いながらシャワーを浴びる奴がいるのか。元々の高さでは歌えないのか、1オクターヴ下げた旋律が耳を打つ。それが妙に上手いことに無意味に腹が立つ。
 私はシャワーの水が床に叩きつけられる音を聞きながら、乱暴に本のページを捲った。ホルマジオが出張先のホテルからくすねてきた聖書である。聖書を盗むなど罰当たりかつ本末転倒なことこの上ないが、無神論者である私としては至極どうでもいい。
 腰掛けた便座の固さに眉根が寄った。便座の蓋は閉めたままで、私も下着を下ろしていない。ただ、腰掛けとして使っていた。
 私が座る便器の隣、ぴっちりと閉められた象牙色のカーテンの向こうでは、リゾットがシャワーを浴びている。平たく言えば監視である。私だってこんな、刑務所の看守みたいな真似はしたくないが、見張りを怠るとリゾットは適当に水を被っただけで出てきてしまうのだから仕方ない。
 リゾットがシャワーを終えたら体を拭かせて服を着させて髪を乾かして、……などと考えていると、カーテンの向こうからタルトゥフォ、と私を呼ぶ声がした。いつの間にか歌も、シャワーの水音も止んでいる。

「終わった?」
「ああ」

 私は短く問い掛けると、膝の上に置いていたバスタオルをカーテンの隙間からリゾットに手渡した。

「着替え置いておくから、着たら出てきてね」

 そう言い残してバスルームから出る。リビングまで来て、テーブルに置いたままにしていた炭酸水のボトルに口を付ける。しゅわしゅわと、ぬるい二酸化炭素水が喉を伝い落ちていった。
 リゾット・ネエロという男は、凄腕の暗殺者である。私が知る中でも最強の部類に入るスタンド遣いであり、仕事をよくこなし、顔の造作も頭の回転も良く、恵まれた体格で、部下の信頼も厚い。だが、何でも完璧な人間というものはこの世に存在しないのだ。どこかで秀でた人間は、そのバランスをとるようにどこか欠けた部分を持っている。
 リゾットの場合は、生命を維持しようという気が全くないのだと言っていいほど、日常生活に無頓着なのだった。
 例えば、これを食えと言って食べ物を出してやらなければ食事をしない。例えば、裸に剥いてシャワーの水流のなかにぶちこまなければシャワーを浴びない。例えば、さらにカーテン1枚隔てたところで見張っていなければ体を洗うことすら放棄する。例えば、無理矢理にでもベッドに寝かせて布団を被せなければ睡眠をとらない、など。

「E noi dovrem ahimè, morir morir.」

 ――それならば嗚呼、悲しいことに。私たちは死ななくては。
 そんな1節を口ずさんだのは、先程リゾットが歌っていたトゥーランドットを聞いたからだろう。誰も寝てはならぬ。秘められたその名にたどり着くまでは。

「タルトゥフォ」

 ふと、後ろから声を掛けられて振り向いた。リゾットが立っている。ーー髪から雫を滴らせて。

「……あんた、髪くらいちゃんと拭いて来なさいよ」

 顔をしかめて廊下を見ると、やはり転々と濡れていた。体を拭いて寝間着を着たはいいが、どうやら髪を拭かないままリビングまで来たらしい。
 ああもう、とリゾットをソファーに座らせて彼の肩にかけてあったタオルをとる。がしがしとリゾットの頭を拭いて、今度は廊下を拭かなければと雑巾をとりに走った。

「タルトゥフォ」
「何よ」

 戸棚から出した雑巾で床を拭きながら、リゾットの呼び掛けに答えた。
 ソファーに座っていればいいのに、彼は私の傍まで寄ってきてしゃがみこむ。跪いて床を拭く私と目線を合わせようとしているのだと気付くのには、少し時間を要した。熊のような図体を丸めるものだから、廊下に大きな影が落ちる。
 私が床にぽつぽつと落ちた水滴を拭いていると、頭上から静かに、低い声が落ちてきた。

「今夜は一緒に寝よう」
「……はあ?」

 顔を上げると、リゾットの黒真珠の目がしっかりと私を見詰めていた。

「なに、あんた今日は寝かしつけなくても寝てくれるわけ」
「タルトゥフォが一緒に寝てくれるなら」
「……?」

 意味がわからない。いつになく真剣な顔のリゾットは、理解が及ばずに瞬く私に、言葉を重ねるように言った。

「イルーゾォとは一緒に寝ていると聞いた」
「……それはまあ、だってあの子ベッドに縛り付けておかないと寝ないんだもの」
「メローネとも一緒に起きてくるところをよく見る」
「メローネは夜泣きで甘えに来てそのまま寝ちゃうんだからしょうがないでしょ」
「ホルマジオとも連れだってバールに行く」
「そりゃあ、だって2人して暇だったんだもの、出掛けもするわよ」
「ペッシのことは特に気にかけているようだし」
「後輩を可愛がるのは当然でしょ。情が沸いてないとは言わないけれど」
「俺にはしてくれないのにギアッチョの傷の手当てをしていたり」
「だってあんたはメタリカで血を固めて勝手に治してるじゃない」
「プロシュートとは特別親密そうだ」
「幼馴染みだもの」
「……」
「……」

 だから、俺とも一緒に寝てくれ。
 リゾットはそう締め括った。やはり意味がわからない。

「寝るだけでいいの?」
「ああ」
「セックスするんじゃなくて?」
「そういうんじゃない」

 やはり、本格的に意味がわからない。性欲処理じゃなくて、一人で寝られないわけでもなくて、なのに私に添い寝を頼む意味が分からない。
 しかし、私を見詰める黒真珠の目があまりに真剣なので、私はつい吹き出してしまった。

「あは、ふっ……まあ、いいわよ」
「本当か」

 ぱあ、とリゾットが目に見えて嬉しそうにするのを見て、この鉄面皮が珍しいと私は少し目を剥く。なんだ、こいつ案外。

「あんたって、見かけによらずマンモーニなのねぇ」

 くすくすと笑いながら床を拭き終えて立ち上がると、バスルームの洗面台に向かって雑巾を投げる。明日の朝にでも洗って掛けておくことにしよう。

「もう夜も遅いし、寝てしまいましょう。ニンナナンナを歌ってあげるわ」
「……そこまで子供じゃない」

 少し不満げにするリゾットに、また笑みがこぼれた。
 まったく、うちのマンモーニどもはどいつもこいつも、手のかかる奴らばかりだ。

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