マンモーニども | ナノ


▼ ghiaccio

 このリストランテのピッツァは嫌いではない。少し具材が多すぎて味が五月蝿いきらいがあるけれど、素材への拘りを勘違いしたような質素なピッツァよりはずっといい。外食は好きではないが、オフの日の昼食くらいパスタ調理から逃げたっていいだろう。
 最後の一切れにかじりついて、ドルチェのことを考える。ここでティラミスでも摘まみたいところだ。しかし給料日前の今は、リストランテの片隅でピッツァをかじる余裕こそあれ、加えてドルチェを頼むような出費は想像の中に留めておくべきだった。まったくもって貧困は不幸である。
 口内のピッツァを飲み込む。私は椅子の背凭れに体を預けながら、テーブルを挟んだ向かい側の席に視線を投げた。そこは長らく空席である。リストランテに入って店員に案内された時には確かに連れが居たのだが、彼はすぐ戻ると言い置いて出て行ったきりだ。構わず料理を頼んだ私の食事が今終わったところなので、概算するに彼は30分も外で用を足していることになる。私はふむと顎を撫でて思案した。これはあまり良い兆候ではない。教育係のプロシュートとは反りが合わない彼の教育を丸投げされた私の経験は、面倒なことになっているに違いないと警鐘を鳴らした。
 テーブルに代金を置いて席を立った。釣りはいらないからと多めに置くことが出来ないのが辛い所である。思うに、彼はこちらが迎えに行くまで戻っては来ないだろう。店員が寄ってきて代金を数えはじめるのを尻目に、リストランテの出入り口に向かう。全く面倒なこと。

「きゃ、」
「おっと、失礼」

 扉を開けて外に出ようとすると、タイミングを同じくして入って来ようとしたらしい人影とぶつかりそうになった。驚いて短い悲鳴を上げてしまったことを恥じて、私はそっと唇を撫でる。いけない、上の空で気配を読み違えたかしら。

「ごめんなさい、考え事をしていて」
「いいえ、こちらこそ。貴方の小鳥のような心臓が驚きに止まってしまわなくて良かった」

 眉尻を下げて罪を口にすると、相手の青年は零れ落ちそうに大きな目を細めてそう言った。この国における口説き文句は挨拶のようなものなので、私は微笑だけで答えない。相手も心得ているのか、「どうぞ」と言葉少なに私に道を譲ってくれた。あら、あどけない顔をしているくせに存外スマートなこと。

「Grazie.」

 私が扉をくぐると、彼は微笑んでウインクした。通りの石畳を数歩歩いたところで、背後に扉が閉まる音を聞く。……流行っているのかしら、あの前髪。まるでリングドーナツを並べたみたいな。


**


 路地に停めた白のスポーツカーに歩み寄る。中には誰もいなかった。けれど、良く磨かれた車体のフロントガラスに大きな手形がひとつ。今日の地雷はこれかしらと、私は一つ瞬いた。しげしげとその手形を見つめた後、一旦表通りに戻る。ショルダーバッグから財布を取り出して、露店でリングドーナツを2つ買った。やはり甘い物の誘惑には勝てそうにない。
 路地裏に戻ってドーナツの袋を開けようとしたところで、路地裏から何かが倒れるような音がした。私は少し眉を顰めて、バッグから車のスペアキーを取り出す。いつ何時襲撃を受けてもいいようにと、同行者にスペアキーを渡しておくのは車の持ち主の常だった。案外思慮深いその行動には頭が下がる。
 私は後部座席のドアを開けると、抱えていた袋をシートに置く。何かを持ってキレた彼に接触すると、持っているものを壊されかねない。ついでにスカートをたくしあげて、ベルトで吊っていた暗器も全て取り外す。彼に限らず、情緒不安定な時のうちのチームの奴らに近付くときには丸腰に限るのだ。変に気を張っているから、凶器を持っているだけでスタンド攻撃を受けかねない。
 ついでにショルダーも助手席に投げやって、車を出る。鍵をかけると、同時にもう一度何かが倒れる音がした。次いで、今度は怒鳴り声。チンピラみてぇなことしてんじゃねえわよ、小さく毒づいて、少し開けて置いた窓からスペアキーを投げ込む。これで完全に丸腰だ。
 ヒールを鳴らして路地裏に入ると、そこは酷い有様だった。石畳と煉瓦の壁には血が飛び散って、ただ1人巻き毛の連れだけが立っていた。その足元には、ゴミみたいにぼろぼろになった男が倒れている。フロントガラスに残っていたのはあの男の手形かしらと、そんなことをぼんやり考えた。

「ギアッチョ」

 私が名前を呼ぶが、巻き毛の男――ギアッチョは反応しない。怒り心頭といったところなのだろう。ああ厭だ。このまま踵を返して、歩いてでもアジトに戻りたい。

「アアア゙アア゙ア゙アッ、くそっ、痛えっ……痛ぇなクソッ!!!!」

 返事の代わりに、彼の怒号が響く。つまり、忘れ物を取りに車に戻ってフロントガラスの手形を発見、犯人を捜し出してこうして報復しているということだろうか。そうすると、もうかれこれ30分、彼はこうして怒っていることになる。足元に倒れて呻くしかしなくなった男を、それでも殴って蹴って、拳や足の痛みにまた怒る。その繰り返し。もう最初に何に対して怒っていたのかさえ覚えていないのだろう。ギアッチョは大変な癇癪もちだから。
 思い切り足元の男を蹴って、それで腹の虫がおさまらなかったのか拳で煉瓦の壁を殴る。よく見れば、ギアッチョの拳からは血が流れているようだった。この世界に入るまで怒りで我を忘れる人間なんていないと思っていたが、まあどん底の世界にはそれなりにいるらしい。例えば車に手形を付けられただけで怒る奴とか、外見を笑われただけで怒る奴とか。怒りで前後不覚になるタイプの奴ほど、そのきっかけは世間的に見て馬鹿馬鹿しいものが多いようだった。

「あ゙、ア゙ア゙ッ、くそ!!!むかつくぜぇええ!!!くそがっ!!!!!!!」

とうとう声まで枯らして、男や壁を殴り続けた拳は血がにじむくらいの怪我では無くなってきた。そろそろ、そろそろだろうか。

「ギアッチョ」

 私がもう一度、今度は些か強く彼の名を呼ぶと、ひとりふたりは射殺せそうな視線が向けられた。そこらのチンピラなど尻尾を巻いて逃げそうな眼光から、しかし私は目を逸らさない。まるでライオンか何かと対峙するときのようだ。正直ライオンの方がどれだけ良いだろうかと思うけれど。

「手から血が出てる。こっちに来て、手当てしましょう」

 私を睨み付けながら動かないギアッチョに歩み寄る。彼まで数歩というところで、突然ギアッチョの手が伸びてきて私の髪を鷲掴みにした。拳の血が髪に付いたような、べたついた感触がする。それには目を瞑るとしても、頼むから抜いてくれるなよと、半ば陰惨な気持ちで思う。髪が抜けていたらギアッチョの飲み物に塩基性洗剤を混入させることも辞さない所存だ。
 獣のように荒い息で私を睨むギアッチョに、こちらも挑むような視線を投げる。今日はいつもよりも少し虫の居所が悪いらしい。殴られたら厭だなと、頭の片隅でスタンドをいつでも出せるような用意をする。正直私のスタンドではギアッチョのホワイトアルバムに勝ち目はないのだけれど、商売道具の顔を傷つけられることを考えたら無いよりはましだ。
 しばらく膠着状態を演じた後、ギアッチョの眼にちらりと理性の色が戻った。

「ギアッチョ、帰るわよ」

 畳み掛けるように声を掛ければ、ギアッチョは目が覚めたような様子で瞬いた。ゆっくりと髪から手が離れていく。髪は抜けていないようだ。内心でほっとする。

「ねえ、私ドーナツを買ったのよ。一緒に食べましょう」

 苦笑と共にそう言うと、どうやらギアッチョは完全に怒りから戻って来たらしかった。どこかばつの悪そうな顔で、「おう」と目を逸らされる。
 私は足元に倒れた男を一瞥して、命に別状がないであろうことを確認した。後でこの辺りの警邏に小銭を握らせておかなくてはならない。それとこの地区を仕切っているパッショーネのチンピラにも。確かここを仕切っているのはポルポの覚えがいい若造であった気がするが、どうだっただろう。リゾットに確認するべきか。
 私がそう考えながら車に戻るべく踵を返すと、ギアッチョはのろのろと私についてきた。一歩歩いて躊躇うように止まっては、また一歩歩くようなゆっくりとした進みで。亀のような背後の足音に、このままでは埒があかないと、私は勢いよく振り向いた。すると彼は怯んだのか、びくりと後退ろうとする。私は構わずに彼の腕を掴んだ。

「何よ、怖いことなんてしないから早くいらっしゃい」
「…別に、そんなんじゃねぇよ」

 いじけたように唇を尖らせて、しかし掴んだ腕を引けば特別抵抗もせずにギアッチョは私についてくる。まるでおいたをした子供だ。

「リストランテで食べたかった?あんたの帰りが遅いから支払して出て来ちゃったわ」
「……ドーナツでいい」

 拳に怪我をした男と髪に血をつけた女なんて、店に入れてももらえないでしょうけれど。子供のようなギアッチョの様子に笑って、私はそう言葉を継いだ。

「早く帰りましょう。消毒をして包帯を巻いてあげるわ」

 それからパスタでも茹でてあげる。私はそう言って、喉奥で笑った。しょぼくれるギアッチョがあんまりに可笑しかったからだ。

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