マンモーニども | ナノ


▼ melone

 暗殺稼業に任務報告など要らない。どんな方法を使ったところで足がつくのだ。紙媒体もすぐに焼却すべき、データ修復が可能な電子媒体などもっての外。ただ標的が死んでいるという、そしてその犯行が捜査不能であるという、その事実だけがあれば十分。
 例えば各地区での統率チームや、私たちと同じくポルポ直下の護衛チームなどは電子メールのやり取りをしていると聞いたことがある。まったくもって平穏なことだ。対して私たちのチームは、暗殺の任務ですらボスの「何処其処の誰々が何らかの動きを見せているようだ」という婉曲極まりない言葉で動いている始末である。もしも組織に捜査の手が及んだ場合に「末端のチンピラが勝手にやったことで、組織とは何の関係もない」と切り捨てるための布石であろう。殺しの犬など、社会的に底辺に位置する後ろ暗い組織でも鼻摘みものの、どこまでも底辺の生ゴミであるのだから。
 机に散らばった標的の資料から目を離し、一度伸びをする。長時間同じ姿勢でいたために固まった筋肉が動いたことで、痛みに似た感覚が背筋を駆けた。どうやら随分集中していたらしい。壁掛け時計は一時間以上前から日付の変更を教えている。傍らに置いた炭酸水の瓶は温くなって、瓶の表面にびっしりと着いていた水滴さえもう無くなっていた。瓶を手に取って室温と同じ温度になった炭酸水を口に含めば、僅かに残った炭酸が舌を刺激する。早く眠らなくてはと、喉を伝い落ちる冷たさとともに感じた。炭酸の痛みは焦燥の熱さに少し似ている。
 炭酸水の瓶に蓋をして、冷蔵庫に戻そうと立ち上がる。引いた椅子の脚がそっと床を擦って、小さな音がした。深夜の空気は音をよく響かせる。私が意図せず発してしまった音は、それぞれの寝室で眠る仲間の何人かを起こしてしまったに違いない。俄かに苦い思いが沸いた。

「……」

 ふと、自分がたてたものではない音が私の鼓膜を撫でた。きしりきしりと規則正しく聞こえるそれは、古びたアジトの床板が軋む音である。私は寝室の扉に視線を投げて、手の中の瓶を揺らした。炭酸水がちゃぷりと振動を指先に伝える。
 キッチンに降りて炭酸水を冷蔵庫に戻すのは無理そうだと、諦念がぐるりと胸中で渦巻いた。だってもう、音は私の部屋の前まで来ている。
 私はひとつ溜め息を吐いて、部屋の扉に歩み寄ってそれを開ける。扉の向こうにあったのは、夜闇に浸かった廊下と。

「……どうしたの、メローネ」

 所在無げに立ち竦む、彼の姿だった。
 私の頭越しに部屋から漏れる光が、メローネを照らす。いつものアシンメトリーな服は着ていないし、いつものマスクもしていない。それが何だか物足りなく感じられてしまう私は、多分に日常に毒されている。

「タルトゥフォ……」

 ぼんやりとした声が私の名を呼ぶ。彼は寝起きなのだと、頭の奥で考えた。きっとこのまま扉を閉めて、知らない振りで眠ってしまった方がいいのだろう。電気スタンドの弱い光は、彼の目許の雫を光らせていた。涙。苦々しい思いが喉奥に広がる心地だった。
 ――またか。そんな言葉が心中で漏れる。珍しいことではなかった。メローネが私の部屋を深夜に訪れるのは。

「タルトゥフォ、タルトゥフォ」

 私が苦い思いを噛み締めている間にも、メローネは一つ覚えのように私の名を呼び続ける。

 泣き虫坊や、マンマはここには居ないわ。そう言い聞かせることも出来るのに、溜め息ひとつで彼を招き入れてしまう私はやはり甘いのだろう。冷徹で合理的であるべき暗殺者には向いていない。
 メローネの腕が伸びて、私の体を掻き抱いた。成人男性が全力で抱きついてきたために、私の筋と骨が怪しげな音をたてる。寝惚けた彼には通じないだろうと思いながら、私は強めにメローネの背を叩いた。メローネは首を左右に振って否を主張すると、しかし一度私の体を解放する。それが私の意に沿ったわけではないことは、既に知っていた。彼は昼間より幾分乱暴に扉を閉める。それから私をベッドに突き飛ばすと、のそりと重たい動作で私の上に股がった。彼の鼻先が、私の胸に埋まる。

「……早く眠ってしまいなさい」

 私は諦念とともに呟いた。これは夜這いなどではないのだもの。夜泣きである。でかい大人の男の。
 何をするでもなく、ただ私の胸に顔を埋めて泣きじゃくるメローネの頭を撫でる。指に絡む金髪が鬱陶しかった。彼の涙が染みた胸元が冷たい。
 パパー、マンマ、と小さく呟く声がした。私はそれに反応を返すことなく、ただ彼の髪を指先で撫でていた。早く眠ってしまえばいい。凪いだ思考でそう考える。静かな夜は考えすぎてしまうことが往々にしてあるのだ。そして自分の傍の空白に耐えられなくなる、そんなことがよくある。メローネに限らず、誰にでも。今夜は一体どんな思考ゆえの夜泣きであるのかは知らないが、眠る以外に彼の不安を打開する方法はないように思えた。
 ぎゅう、と彼が私を掻き抱く力を強める。メローネは後方支援型のくせに妙に力が強い。再び自分の体が軋む音を聞いた。

「おやすみメローネ。あんたも早く眠った方がいいわ」

 私は言う。そう、早く眠ってしまった方がいいのだった。いつものように泣き疲れて、子供みたいに体を丸めて。その方が楽なのだ、私も彼も。
 タルトゥフォ、とメローネが私の名を呼ぶ。私は返事をしなかった。その必要性を、既に感じていない。


**


 目が覚めた。目を刺すあおやかな光に、そういえば昨夜はカーテンを閉めなかったのだと思い出す。壁掛け時計を見ようと体を捻るが、まだ眠っているメローネの腕に体をホールドされていて、視線は文字盤に届かなかった。

「メローネ、離して頂戴」

 シーツを波打たせて、私はメローネの足を蹴る。私の髪に顔を埋めるメローネが、小さく唸る。

「メローネ」

 もう一度語気を強めて呼んだ。そうしてやっと、彼はもそりと身動ぐ。私の頭上で、彼が目を開ける気配がした。

「…………タルトゥフォ?」
「……私が誰だって構わないから、早く離して頂戴。いつまでも惰眠をむさぼる習慣はないの」

 のそり、起き上がる彼の仕草は重たい。拘束を解かれた私はさっさとベッドから降りて窓を開ける。今日も天気がいい。そう思いながらも、太陽が既に高い位置にあったことに気分が澱んだ。

「うーん……あれ?俺どうしてタルトゥフォの部屋で寝てるんだ?」

 後ろから、ようやく覚醒したらしいメローネの声が聞こえてくる。

「知らないわよ。用を足しに行って戻る部屋を間違えたんじゃあない」

 素知らぬ振りで答えて、私はいまだにベッドで座るメローネの金髪を鷲掴んだ。ぐい、と頭髪を引かれて、メローネが私を見る。その瞳に写るのは苦い顔の私だ。

「早く出ていってくれない?人に着替えを見せる趣味はないの」

 最後に頭を一撫でして離れた私の手を見送って、メローネは眠そうに数度瞬く。そしていつもの顔でにやりと笑った。

「なんだよ、見せてくれたっていいだろ?俺とタルトゥフォの仲じゃないか」
「馬鹿」

 いつも通りの軽口に短く返すと、メローネはからからと笑ってベッドから降りた。大人しく部屋から出ていくあたり、また部屋に戻って二度寝を決め込むのだろう。

「……」

 私は部屋を出る彼の背中を見送って、溜め息をひとつ吐いた。今日もメローネは、夜泣きのことを覚えていないらしいと確認できたのだ。仕方のない男。人の睡眠を阻害しておいて。
 クローゼットから服を取り出してベッドに投げる。今日任務の予定は入っていない。標的の情報収集に勤しむことになるだろう。視線を机上の資料に投げて、メローネが開け放したままにした扉を閉めようと歩み寄る。

「…………何してんのよ、あんた」

 と。扉を閉める前に、その影に立っていた男を見咎めた。2メートル近い図体で、よくもこんなに気配を消し仰せるものだと感心すらしてしまう。自分のチームのアジトで気配を消す意味がさっぱり分からないが。

「昨晩は大変だったようだな、マンマ」
「……張っ倒すわよリゾット」

 私の剣呑な視線を受けて、我らがリーダーはぎこちなく笑った。作り笑いではないのだろうが、表情筋というものがすべからく死んでいる男なので、ほとんど全ての表情がぎこちない。これでは潜入捜査は無理だろうなとぼんやり考えた。

「聞こえていたなら助けてくれてもよかったと思わない?お蔭で体は痛いし寝疲れするし最悪だわ」
「そう言ってやるな」

 リゾットが銀髪を揺らす。厚い掌が伸びてきて、私の肩を軽く叩いた。

「お前の優しさにはよく人が集まってくるんだ、俺が押さえつけてどうにか出来る問題ではないだろう」
「……傍観の言い訳ならもう少しマシなものを考えたら」

 私が言い捨てると、リゾットはまた静かに笑った。まったく、他人事だと思っていやがる。気に入らないウドの大木め。


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