マンモーニども | ナノ


▼ pesci

 果たして、これを暗殺と呼べるのだろうか。
 床や壁、さらには天井にまで散った血や肉片を眺めながら考える。まるで部屋をミキサーにでもかけたような惨状だった。暗殺という言葉の意味を考えれば、もっと目立たない方法を用いて然るべきであると思うのだけれど。
 私は溜息を吐いてから壁際のソファーに身を沈め、脚をそっと組み直す。にちゃり。足下には先ほどまで各界の名士であったはずの肉塊が散らばって、私が足を動かす度にヒールと床との間で粘着質な音を響かせていた。どこかの誰だかが何とかという賞をとった記念のパーティーで、まさか自分たちがこんな目に合うとは想像もしていなかったに違いない。
 息を吸う度に噎せかえるほどの血臭が肺を満たす。私自身は汚れていなかったけれど、帰ってすぐにシャワーを浴びなければ染み着いた臭いは落ちそうになかった。だからこの手口は嫌いなのだけれど、対抗組織への見せしめという目的がある以上そうも言っていられない。顔も知らない我らがボスは、敵と見なした人物の最期が凄惨であればあるほどお好みらしい。まったく難儀なことだけれど。

「ペッシ、そろそろ良いかしら?早く帰ってシャワーを浴びたいわ」

 南の空に宙吊りになった月を眺める。私の今日のパートナーであるペッシは、南向きのバルコニーで外の空気を吸っていた。四方八方が血肉にまみれたこの風景に気分を悪くしたらしい。暗殺を生業にするチームの新人にしては、大変神経が細くできているようだった。そんな後輩は彼が始めてで、私を含むチームの面々は些か彼を扱いあぐねている。プロシュートだけは違うようだけれど。
 私の声が夜闇に消えて数秒の沈黙が降りる。聞こえなかったかしらと私がもう一度口を開くと、外から「ごめんよ姉御」という弱々しい声が返ってきた。聞こえてはいたらしい。その後何度かえづく音が聞こえてきて、それからやっとペッシは部屋の中に戻ってきた。顔が青白い。

「慣れてもらわなくちゃ困るわ。あんたもゆくゆくはこういう任務に就くことになるのよ」

 ソファーから立ち上がった私は、彼の背を擦ってやろうと近寄りかけて、しかし寸でのところで思いとどまった。
 いけない、甘やかしてはならないのだった。ある程度暗殺者として育ってからであれば良いのだが、最初に「ゆっくりでいいわ」なんて言ってしまえば、その新人はいつまでたっても育たない。そしていつまでも新人気分でいたならば、すぐに足下
を掬われてお陀仏という世界に私たちはいるのだ。
 私はどうにも後輩を育てるのが苦手らしい。あのメローネすら真顔で「俺の教育担当がタルトゥフォじゃなくプロシュートで本当に良かったよ。タルトゥフォの指導って甘やかして人を駄目にする典型だもんな」と言い出すくらいだ。今回はたまたま、件のプロシュートがインフルエンザに罹患して隔離中なのでペッシと一緒なだけであって、ペッシの本来の指導だって私には任されていなかった。
 ペッシは再度室内を見渡して、「うう」と小さく唸る。えづきこそしなかった事を褒めてやるべきだろうかと考えて、やはり分からないことには手出ししないことにした。

「姉御はそのぅ、こういうことには慣れているんですかい」

 涙目になったペッシが、私にそう問う。「こういうことって何?」と尋ね返そうとして、それはいかにも白々しいと思ってやめた。

「グロテスクなものへの耐性は、どちらかと言えば女の方があるんですってね」

 代わりにそんな、答えにもなっていないような言葉を返して、私は部屋から出るべく歩き始めた。肉塊とテーブルの間を縫って、血溜まりの中を進む。それに倣ってかペッシもまた歩を進めようとして、また「うう」と呻いた。可哀想に、もう少し暗殺稼業に慣れてから私に付けば良かったのに。もしくはもっと穏やかな任務の時に連れて来るべきだったか。一人そんなことを考えて、しかしこれがいけないのだと思い直す。私の情はどうにも、人を弱くするタイプの厄介なものらしいから。そんな優しさはもはや害悪である。甘やかに毒が滴るような。
 それであるから私は本来後輩とは付き合うべきでないのだけれど、チームの任命権を持つ我らがリーダー……別名朴念仁は、私が新人と関わらないのを良しとしない。曰く、「お前のような優しい人間と触れ合わないのは新人にとっても損だ」と。それで芽が育たないどころか慢心から枯れてしまうなら世話はない。やはり暗殺バカのウドの大木には暗殺だけを任せておくのが一番良い。

「向いてないからって足を洗える世界ではないのだもの。慣れてしまうのが良いわ。こういうのには覚悟より何より慣れが必要なの」

 突き放すように発した言葉は、しかし妙にふわふわと宙に浮かんだ。あまり上手く放り投げることが出来ない。手取り足取り教えてやるのが私には向いている。そっちの方が教えている錯覚ができて楽だもの。これだから私は教育者には向いていない。

「うん、頑張るよ」

 私の不器用な突き放しに、ペッシは青い顔でそう答えた。あら、案外ただの甘ったれではないのね。私は自分の眉が少しだけ跳ね上がるのを感じていた。努力しようという意志が垣間見えるあたり、無駄にスレたストリートチルドレンよりは見込みがあるように思える。
 期待してるわ、と笑いかける。甘やかしてはならないと言っても、これくらいは許されるはずだ。ペッシがえへへとはにかんだ。あら可愛い。

「ありがとうよ姉御。姉御は母さんみたいだね」
「……マンモーニ、それ他の女に言ったら殴られるわよ」

 和んでいたところに突然のマードレ扱い。私は苦い思いでそう言った。上げて落とすのがいやに巧妙だ。それが天然なのだから質が悪い。きょとんと私を見返すペッシは、恐らく誉め言葉のつもりでそれを言ったのだろう。しかし男にマンマ扱いされて喜ぶ女はそうそういない。マンマ扱いを最上級の尊敬だと思い込むのは、女を知らないイタリア男の悪い癖だ。
 グロテスクを極めた赤い部屋から出ると、建物の廊下は驚くほど平穏に満ちていた。胸の悪さから少しは立ち直った様子のペッシが、慌てたように両手を挙げる。

「ち、違うんだよ姉御!あの、姉御が歳をとって見えるってことじゃあなくてさ、その、母さんみたいに優しいって意味でさ!」
「小娘じゃあないんだからそれくらいは分かるわよ。でもね、私もそろそろ三十路が見えてきてデリケートなのだから、少し配慮して頂戴ね」
「うへぇ、ごめんよ姉御……」

 ペッシの慌てぶりが可笑しくて、怒る気もなくなってしまう。指で額を小突けば、涙目で見返された。このいじられっ子気質。プロシュートが気に入るのも分かる気がする。あれは昔から子供じみた加虐癖を持っているから。

「イルーゾォといいあんたといい、どうして私の後輩には面倒なマンモーニが多いのかしらねぇ」

 脳裏を過った後輩たちを思考でなぞりながら言う。イルーゾォとペッシばかりでなく、メローネやギアッチョもまた手がかかる。今のところ後輩のマンモーニ率は100%だ。本当に難儀なこと。チームで一番手のかかるモノクロームのデカブツのことはこの際考えないことにした。

「逃げるときにこの屋敷の使用人に見つからないかなぁ」

 私の隣で、ペッシが不安げに呟く。この期に及んでまだそんなことを言っているのか、仕方のないこと。

「そんなの全員殺すに決まっているでしょう。一族郎党犬まで皆殺しにしろって、ボスからのお達しよ」

 私がスタンドを発現させながら言う。ペッシはまた青い顔に戻って、小さく「ああ」と呻いた。彼が一人前になるまで、一体どれ程の時間が必要かしら。

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