「お前のこと知ってるぜ。紅炎の気に入ってる玩具だ」
いきなり声をかけられて、僕はぼんやりと顔を上げた。いつの間にか窓辺に誂えられた椅子に、青年が座っている。黒い三つ編みを揺らして、我が物顔で座っている。
かぷり。案外小さく綺麗に並ぶ歯が、彼の持つ果実に突き立てられた。溢れた果汁が彼の腕を伝い、肘までを汚す。
「……マギ様」
僕が呟くと、彼は少しだけ驚いたように僕を見た。午後の陽射しを受けて不思議に光る赤の両目を見返して、僕はゆるりと瞬く。
「お前、俺のこと知ってたの」
マギ様は勢いよく椅子から立ち上がると、寝台の縁に腰掛ける僕に近寄ってきた。マギ様が僕の隣に座ったので、柔らかな寝台が少し沈む。
かぷり。マギ様がまた、手の中の果実を咀嚼。強く香った香りで、それが桃だと初めて気付いた。今日はまだ薬を飲んでいないけれど、大分思考が鈍っているようだ。
「いつも紅炎に手引かれてぼーっと歩いてんじゃん、お前。紅炎のことしか知らねぇと思ってた」
「……とても、有名なので」
ともすれば霧散しそうな思考を何とか手繰り寄せて、僕は言葉を紡ぐ。発した言葉もぱらぱらと散り散りになって離れていくから、何だか僕には何も残らないような気になった。少しだけ寂しい。
僕の答えには興味なさそうに、マギ様がまた桃をかじる。こぼれる果汁。勿体ないなぁと思っていたら、自然と指が伸びていた。
「あ?何だよ?」
怪訝そうにするマギ様の腕に伝う雫を指で掬って、口に持っていった。舌で舐めると、果実の香りと甘さが広がる。
「…おいしい、」
自然と頬が緩んで、ネジの飛んだ僕の頭はそんな捻りのない感想を口にさせた。
マギ様が、ふぅんと頷いて僕の口に手にした桃を寄せる。
「食うか?」
ふに、とかじった桃を押し付けられて、唇が濡れる。僕は抗わずに、小さく口を開いてそれに歯を立てた。
じわり。僕の中にとろりとした風味が広がって、あふれた果汁が口の端を流れていった。
「…あまい」
ほわほわとした思考が霧散して、僕はそっと息を吐いた。