「ジャーファルさん、お行儀が悪いです」
「お行儀を良くしてこの書類の締め切りが延びるなら、私はスパルトスを超える品行方正さを披露する自信があります」
ジャーファルさんを咎める私の言葉は、ぴしゃりと返されたジャーファルさんの声に斬って捨てられた。ジャーファルさんの黒い目が片手に持った書類の文字列を追い、綺麗に揃った歯列がもう片方の手に持ったパンに齧りつく。
ここは王宮の食堂である。武官や文官が食べ物の乗った盆を持って行き交うお昼時に、ジャーファルさんは食事をしながら仕事をこなしていた。もはや食事が義務に見えるほどぞんざいにパンを齧る姿は、完全に仕事中毒者のそれであった。
私が隣に座るマスルールくんに視線を向けると、無駄ですとでも言いたげに首を左右に振られた。私とてもう十数年の付き合いになるから分かってはいるのだが、ジャーファルさんはこれが一日半ぶりの食事である。そんな昼食くらいゆっくりと食べて欲しかったのだが。
「ちなみにその書類の締め切りは」
「今日の正午です」
ジャーファルさんに聞くと、答えはすぐに帰ってきた。私が視線を巡らせて中庭の日時計を見ると、時間は正午より少し早いくらいだった。成る程、これは急がねば間に合うまい。
それは失礼しました、と謝って、私はスープを飲むのに使っていた匙を置いた。スープはまだ器に半分以上残っていたが、空腹感は既に無くなっていたので持て余し気味だ。
卓を挟んで私の向かい側ではジャーファルさんが仕事片手に白身魚のソテーをおかずにパンを齧り、私のすぐ隣ではマスルールくんが盆に乗りきらないくらいの様々なメニューを掻き込んでいる。そんな2人を、特にマスルールくんを見ていたらお腹がいっぱいになってしまったのだ。
「……マスルールくん」
「ふぁい」
私が名前を呼ぶと、マスルールくんは口いっぱいにものを頬張ったまま返事をする。もぐもぐ、ごくん。私を見ながら大きな顎が数回口の中のものを咀嚼して、飲み下した。喉仏が上下して、膨らんでいた頬が元に戻る。
「何すか、シルディアさん」
「あーん」
と。私は匙でスープを掬って、マスルールくんの口許に持っていく。
マスルールくんは少しだけ目を見開いて私と匙とを何度か見比べた。
「……」
「何をしているんですマスルールくん。ほら、あーんですよ」
マスルールくんは少し迷っていたかと思うと、躊躇うように口を開けた。大きな口が私の持つ匙の先に近付いて、そして。
「いけませんよ、マスルール」
すぱっ、と響いたジャーファルさんの言葉に、マスルールくんの動きが止まった。
私がジャーファルさんを見ると、書類から目を離さずにお茶を啜っている。ぺらりと器用に片手で頁を捲ったジャーファルさんは、茶碗を盆に戻してから言葉を継いだ。
「君もですよシルディア。それくらいマスルールにあげずに全部食べなさい」
「……」
ばれていた。
私は自分の唇が少し尖るのを感じながら、開きっぱなしだったマスルールくんの口に匙を突っ込む。マスルールくんの切れ長の目が責めるように私を見るが、しかし一度口に入ってしまったものを吐き出すことも出来なかったのだろう、彼は不満げながらも匙で運ばれたスープを飲み下した。
「こら、シルディア」
「…だって、お腹がいっぱいなんですもの」
「君に限っては無理をしてでも食べるべきだよ。もっと栄養を摂りなさい」
そう私を叱りながら、ジャーファルさんは開いていた書類をぱたりと閉じた。どうやら食事と一緒に書類の確認も終わったらしく、盆を持ってがたがたと立ち上がる。
今朝はちゃんと粥を茶碗一杯食べたのだから、昼食くらい許してほしい。私の恨みを込めた視線も無視して、ジャーファルさんは「きちんと全部食べさせてね、マスルール」と言い残して去って行った。
「…………マスルールくん、」
「一口食ってあげたじゃないすか。あとはちゃんと喰ってください」
2度目のあーんをしようとマスルールくんを呼ぶと、そうにべもなく断られた。冷たい。
そうして私はふぅと溜息をついて、器の中で揺れる黄金色のスープの量に途方に暮れたのである。