003



 何処か重たい橙の光の中で、項垂れる彼がどうしようもなく羨ましく思えたのだ。絵画のようなその空間に、私も入りたかった。透子はその一心で彼に声を掛けた。
 ……そして、今に至るわけである。

「悲しいと思うんです、凄く」
「……うん」

 ぐすぐすと泣きながらそう訴える彼の背を、透子はずっと擦っていた。どうしてこうなっているのだろうと、彼女は必死に考える。驚いたことに挙動不審すぎる透子から礼を言って豆乳を受け取った彼は、そのまま透子に愚痴を言い出したのである。まるで酔っぱらいのように。手にした豆乳の紙パックがワンカップに見えて仕方ない。しかし酒の匂いは全くしない。一口二口程度で酔っぱらうような下戸でもない限り、彼は素面ではないかと思われた。
 どうしたんだ青年、つらいことでも有ったのか青年。
 透子も透子で、自分から話し掛けた手前引っ込みもつかずに彼の話をずるずると聞いていたのだった。すっぱりと切り捨てられないこの性格が自分の短所であると、まぁ自覚はしている。

「いらないって捨てられたものはじゃあどうすればいいのかって、憐れでならなくて」
「うん」
「そんな、自分本位過ぎると思うんです、捨てるだなんて。要らないものも抱き込んで、ずっと持っていたいんです、俺は。痛くても苦しくても辛くても、全部俺の持ち物だから」
「……うん」

 透子はゆっくりと瞬いて、ちらと隣で泣き続ける彼を見る。癖のある黒髪はタカ丸好みかと思われる艶やかさだし、涙に濡れた睫毛はふるふると震えるほどに長い。しゃくりあげるたび、露わになった白い喉が上下した。
……美男子である。昔の知り合いにも美人は少なくなかったし、今の雇い主であるタカ丸も、些かユルいが美形といえば美形である。しかし、今隣に居る彼は、その中でも一二を争う正統派の美男子だった。

「俺は、持っていたいんです」
「……持ってたらいいよ」

 そろそろと吐き出した自分の声は平生に近い平淡な調子で、ぽつりと地面に吸い込まれていった。驚いたような顔で振り向く彼と目が合う。…いや、驚いているのとは違うのだろう。もとから目がぱっちりとして大きいのだ。

「持ってなよ。抱いてるのも捨てるのもあんた次第だと思う。でも持ってる限りあんたには相応の責任が伴う。逃げたくったって持ったままじゃ重くて逃げられやしない」
「……は、い」
「捨てないってことはね、苦しいよ。自分の内包してるもんが自分を苛むんだから。…でもね、捨てるのも苦しいことだから、それだけは覚えておいた方がいい。捨てるってことは、それに付随する全てのものも捨てなくちゃならないってこと」
「……」
「わかった?」
「…はい」

 ぐっと。まるで至極重たいものでも持ち上げるように、彼は顔を上げた。涙に濡れたその頬は上気して赤い。ぐし、と目元を乱暴に擦ると、彼は透子に向かってにこりと微笑みかけた。それを見て、透子の口角も自然と上がる。

「…あの、ありがとうございました。愚痴みたいになってしまって」
「いいよいいよ、話し掛けたの私だし」

 照れ隠しのように豆乳のストローに口をつける青年にひらりと手を振って、透子は立ち上がった。腕時計が示す時刻は、もう今日の終わりにほど近い。さっさと帰って寝なければ明日に響くなぁ、と思いながら透子は再び歩き出そうとした。

「っあの!」
「……ん?」

 ふいに腕を掴まれて振り向くと、いまだ涙を湛える彼の目とかちあった。

「…あの、また会えますか」
「……」
「っいや、変な意味じゃなくって、その、また、話を聞いて欲しいと、思って…」

 しどろもどろに言い訳する彼の顔と、彼に掴まれた腕を交互に見比べる。そうして何往復めかに見た彼の目は、また泣き出しそうに潤みだしていた。

「…仕事の帰りはいつもここ通るからさ」
「っ、」
「会いたくなったら来なよ」

 吐き出した言葉は、少しだけ嘘だ。時々大通りの方を辿って帰るし。でも、そんなのはただ自分が帰宅ルートを変えれば済む話だ。

「じゃあね」
「はいっ、それじゃあまた…!」

嬉しそうに笑う彼にもう一度微笑んで、透子は今度こそ公園を後にした。











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