005



 店の前でタカ丸と別れて、透子は件の小路の前にあるコンビニに入る。もう8月も半ばだ。店内は冷房で肌寒いくらいだった。今日髪を切ったことで露わになった首筋が緩やかに粟立つのを感じる。
あれから、このコンビニで豆乳を買うことが慣例になっている気がする。慣例とはいってもここ一週間ほどのことだし、まだ3回ほどしか来たことは無いのだが。なんとなく、これは慣例化するかもしれないと、そういった予感がある。彼がもう来ることは無いとしても、自分はここが帰り道である限り公園の様子を窺うのだろうと思っている。
 まるで昔の恋人を思うような自分の行為をどこか後ろめたく感じながら、透子はレジに豆乳を置いた。毎日この時間にレジに立っているらしい中東系の男に、いまや勝手に親近感を覚えてしまっている。アリガトゴザマス、と相変わらずたどたどしい日本語を聞きながらレシートを受け取った。レシートだけを渡す時も彼は相手の手を包み込むように渡すので、透子は何となく彼の渡してくるレシートをレジの隅に置いてある不要レシートの箱に入れられずにいるのだ。レシートを取っておくほど大きな買い物でもないのになぁ。4枚溜まった豆乳だけが記載されているレシートを見て、そろそろ処分しようと思いながら透子は財布を閉めた。手にした紙パックの冷たさに、指先の温度が奪われていく。
コンビニを出ると。透子は足早に道路を渡りきった。交通量が多かったら絶対に出来ないよなぁ、と思いながら、透子は息を吐く。目の前に伸びる小路は、やっぱり暗い。
 足を進めるたびに、かつかつという足音がどこか鈍く響く。もうこのパンプスも大分くたびれてきたから、そろそろ買い替え時だろうと思う。今月は割と金銭的に余裕があるから、今度買いに行こうと決める。
 ふと顔を上げると、もう公園の前に差し掛かっていた。いつものように透子が公園のベンチを見遣る。……いた。
 ベンチに居心地悪そうに座るその影は、記憶の中の彼のものと一致した。少し考えてから、透子は方向転換を交えて公園に足を踏み入れる。すると向こうもこちらに気付いたようで、足早に近寄ってきた。

「っあの、こんばんは!」
「…うん、こんばんは」

 緊張しているのか、記憶の中のものよりも多少上ずった声に、思わずくすりと笑って返す。彼が慌てたように突き出してきた手の中には、自分が先ほど購入したのと同じ紙パックがある。
思わず受け取ってしまったそれは、勝手から時間が経っているのか、びっしりと水滴がついていた。

「これ、この間のお礼です!あの、良かったら…」
「…ああうん、ありがと。じゃあ私もこれ」

 透子が代わりにと差し出した紙パックに、相手が狼狽するのが分かる。彼はひとしきり慌てたあと、ああだかううだかと呻いて大人しく紙パックを受け取った。
 彼から受け取った豆乳のパックは、ずっと握っていたのか既に生温くなっていた。冷えきっているよりは、これくらいの方がいい。透子はベンチを指さして、目の前で首元を撫でる彼に、座ろうかと声を掛けた。

「あの、豆乳好きなんですか…?」
「え?」
「あ、いや、俺も好きなので…それだけ、です」

 ベンチまでそう距離もないが、透子も彼もそう急ごうとはしない。ゆっくりと緩慢に歩を進めて、ベンチに近付いていく。
 別に好きってわけじゃないんだけどな。透子はそう思いながらも黙って歩く。単に安くなっていたから買っただけで、それからは何となく慣習的に買っている。それだけである。

「あ、ちょっと待ってください」

透子がベンチに腰掛けようとすると、彼はいそいそと屈んでベンチに何かを敷いた。それが白いハンカチであることに気付いて、透子はつい噴き出してしまった。

「っえ、何か、可笑しかったですか」
「いや。はは、ドラマの中みたいだなって。それだけだよ」

 どうぞ、と促されたので、透子も拒否することはせずにハンカチの上に座る。いそいそと隣に座った彼を見て、透子は豆乳のパックにストローを刺した。そのまま口を付けて吸うと、やはり口の中に流れ込んできた豆乳は生温い。
 見ると、隣の彼も透子に倣ったのかストローに口を付けている。どこか現実味のない人だ、とそう思う。何というか、俗っぽくない、のだろうか。
 そのまましばらく沈黙が続いた。透子はぼんやりと、少しだけぎこちないこの空間が好きなのだと思った。ぽたりと、水滴が透子の指を伝ってジーンズをはいた脚に落ちる。

「………っあの!」
「ん?」

 いきなり話し掛けられて、ストローを咥えたまま隣を見る。ぱっちりとした両目が透子を見据えていた。

「お名前、何ていうんですか」
「……水沢透子」

 淡い橙の光の中に響いた自分の声も、どこか現実味がないように聞こえた。











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