立花仙蔵の焦燥




 これ、6年長屋の裏に落ちてましたよ。
 そう言って綾部が持ってきたのは、柊が愛用している鉄扇だった。しっかりとした性格であるにも関わらず、柊はよく自分のものを無くす。私物に執着を持つ方ではないので、恐らくは自分のものであるという意識が薄いのだ。
 手慰みに弄んだそれは、文次郎の算盤ほどでないにしろ、ずっしりとした重みがある。これで頭など殴られたら、かすっただけでも失神は必至だろう。柊が持っている分には、そんなに凶悪なものとも思えないのだが。

「もしもの時のために必要だろう。得意な武器くらいは肌身離さず持っておくものだぞ、柊」

 私は柊の部屋で、ほとんど捕虜か何かのように拘束された柊に語り掛けた。
 猿轡を嵌められているのは自分で舌を噛み千切らないように。縄脱けが出来ないように関節を外した状態で縛られた手足は、布団の上に力無く横たえられている。見舞いの者が居るときは外されているが、誰もいない日中は目隠しと耳栓がされて、柊は完全な闇の中に放り出される。
 それは、入学時から幾度か繰り返された、柊の自殺未遂を防ぐ手段のひとつであった。年に何度もない事だが、一度この処置がなされると、柊には水以外のものはろくに与えられない。与えることが出来ないのだ。固形物を食べさせようと猿轡を外した途端に自らの舌を噛もうとするのだから、如何ともしがたい。

「今度は首を吊ろうとしたのか?可哀想に、また思い出してしまったのだな」

 邪気のない視線を私に投げてくる柊にそっと微笑む。柊の頭を撫でた私の指の間から、私のものよりいくらか荒れた柊の髪が滑り落ちていった。すっと柊の目が気持ち良さそうに細められるのを見て、私はいつものように安堵するのだ。

「随分やつれてしまったな。大丈夫、あと3日もすれば拘束も外れる。そしたら一緒に町まで饂飩でも食べに行こう」

 一度狂乱状態に陥った柊が落ち着きを取り戻すには、およそ1週間という時間が必要だ。自然柊の拘束はその間続く。1週間の強制的な断食で痩せ衰えた柊を見るのは辛いが、それでも柊の死体を目にするよりは余程マシだ。

「……、…」
「うん?どうした?」

 柊の唇が小さく動く。柊の唾液にまみれた猿轡は、舌の動きは押さえても口の動きを制限することはない。衰弱しているために声は出なかったが、息の音だけは私に届いた。

 み ぃちゃ ん も。

 みぃちゃんも。みぃちゃんも一緒に、町に行こう。
 柊の唇から読み取った言葉の繋がりに、その真意に、息が止まりそうになる。また、またなのか。またその名前が、私と柊の間に立ち塞がる。

「……柊、疲れているな。今と昔がごちゃ混ぜになっている」

 もう寝るといい、と柊の枕元にあった目隠しをまた巻き付ける。柊は微かな抵抗を示したが、衰弱した柊のそれは何の障害にもならなかった。

「おやすみ、柊」

 睦事のように囁いて、柊の薄い耳にまた栓をした。最後にかさついた柊の頬に接吻をひとつ落とす。
 愛しい柊、可愛い柊。本来なら忘れてもいい過去に、柊はまだ捕らわれているのだ。
 時折柊にちらつく後悔を、その名を。私はまだ、認めることができずにいる。




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