中在家長次の困惑



 長次遊ぼう!という小平太の声に手を振って否と返して、私は長屋の廊下を歩く。手にした返却遅延の貸出カードを確認し、次の目的地を決める。珍しくカードの束の中に柊の名を見つけて、私は少し目を見開く。普段ならば期限日まで数日の余裕をもって返却に来る柊であるために、違和感を禁じ得ない。
 自分の部屋からは幾分離れた柊の部屋の前で立ち止まると、私はからりとその戸を開けた。

「……柊、本の返却期限が、」

 ぞっと、した。
 軋む鴨居から伸びた縄、ばたばたと暴れる細い足。床には、最前まで踏み台の役割を果たしていたであろう書籍が数十冊散乱していた。

「何を、している…!」

 慌てて柊の腰を抱き上げて、げほげほと咳き込む柊を睨む。私に投げ出された貸出カードがばらばらと床に散らばった。
 狼狽する私と対照的に、柊は静かに目を伏せた。それは悲しげに、苦しげに。

「…ちょう、じ、大丈夫だから。はな、はなして、ね?」
「何が大丈夫だ…!」

 ふざけるな、と思う。
 一体何が大丈夫だというのだ。
 私の喉はもとより大きな声を出すことに長けてはいない。両手が塞がっているために、床を踏み鳴らすことで大きな音を出した。今であれば、まだ小平太が長屋裏でバレーボールをしているはすだ。

「柊ー?どうし、うわっ!?」

 思った通りに、音を聞き付けた小平太が部屋に入ってくる。驚いた小平太が、ほとんど反射的に苦無を投げる。黒い刃によって断たれた縄に驚いて、柊の手が慌てたように私の方を掴んだ。私が抱いているのが柊の腰であるために、柊が倒れる心配はあまり無いのだが。

「柊、なに、何して、」

 小平太の震えた声。何をしていたかなど、聞くまでもなかった。小平太の大きな両目から、涙がぼろりと零れ出した。それを見た柊の手に力がこもって、私の肩口をぎゅっと握る。
 ごめん、ごめんね。柊が呟くように言う。床に下ろした柊の身体は丸まって、ずるずると力をなくして座り込んだ。

「ごめんなさい、ごめん」

 そろそろと息を吐き出してうずくまる柊の背を撫でる。柊の背骨の感触はいつだって少し歪だ。

「…このことは、仙蔵に伝えておく」

 呟きのように響いた私の声に、柊が絶望したように顔を上げる。
 やめて。柊の唇が小さく動くのが見えた。

「長次、ごめんなさい。もう、もうしないから、仙蔵には黙っていて、ね?」
「柊、私は覚えているぞ。柊は前にも同じことを言っていた!」

 珍しく厳しい目をした小平太の視線が、柊のそれとかち合う。何故だか私と小平太は柊の自殺未遂現場に居合わせることが多く、そのたびに柊の懇願を受けてそれを仙蔵に言わずにいた。

「今回は、黙っているわけにはいかない。私が来なければ死んでいた」

 私が言い聞かせるように言えば、柊の身体はがたがたと震え出す。

「だ、って、だって、泣いてしまう、泣いてしまうよ……ねぇ、あのとき、あの時だって最後まで、泣き声がずっと…」
「……柊?」

 柊の異変に気づいた小平太の手が、柊の肩に触れる。私が覗き込んだ柊の目は焦点があわずに、瞳孔も目一杯開いて。

「なかな、泣かないでって言った、言ったのに、いつだってみぃちゃんは泣いてて、や、やだ、もうやだぁぁあぁあ!!!!いやぁぁあ!せんぞ、仙蔵ぉーッ!!!!」
「柊…!」

 突然半狂乱で暴れだした柊の身体を、無理矢理に押さえ付ける。小平太を見れば、私と同じように混乱して柊の名前を呼んでいた。

「いや、いや、泣くなよッ…!泣かないでっていってるのに!なんでわかんないんだ、なんでなんでなんでッ!!!!」
「柊っ!!」

 怒鳴るように柊を呼んで舌を鳴らした小平太が、手刀を柊の首筋に叩き込む。瞬間、柊の身体からがくんと力が抜けた。意識を失った柊の頬を、静かに雫がつたう。
 騒ぎを聞き付けた同輩たちの足音を聞きながら、私と小平太は困惑して顔を見合わせた。


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