竹谷八左衛門の信頼


「死にたい死にたいって、バカみたいだ。だったら今すぐ死ねばいいのに」

 苛々苛々、三郎は落ちつかなげに爪を噛んだ。三郎の憎まれ口はいつものことだけれど、今日のはちょっと聞き捨てならない。だって柊先輩は生物委員長だ。直属の後輩である僕は、柊先輩のいいところをきちんと知っている。

「三郎、柊先輩は好きであんなこと仰ってるんじゃないんだぞ」
「ハチは解ってない。絶対あれは好きで言ってるね。死にたい死にたいっていつもいつも。直訳すれば、僕って可哀想でしょう慰めて愛してーって、そういうことだよ」
「お前が先輩の何を知ってるってんだよ!!」
「じゃあ聞くが、ハチはあの人の何を知ってるんだ?外見?性格?人となり?そんなものいくらでも偽れるじゃないか」

 怒鳴ったとたん、紙風船みたく膨らんだ怒りが急速に萎んでいった。束の間の激昂は、逆に僕を冷静にする。驚いたようなクラスメイトの視線、それを意にも介さず僕を見る三郎、教室の文机に両手をついて膝立ちになった僕。

「っ、何って」
「ほら解らないじゃないか。人なんてそんなもんだろ」

 すれた三郎の見解に、どこかで動揺する自分がいた。
 柊先輩は優しい人だ。生き物が逃げ出したときは寝食も削って探して下さるし、危険な生き物の世話は下級生に回さないよう進んでなさるし、虫獣遁の授業で死んでしまった生き物には一つ一つ墓を作っていらっしゃる。
 あの優しさが嘘だなんて、そんな悲しいことを思いたくはない。
 でも、あの笑顔は本物?少しでもそう考えてしまう自分が悲しかった。

「あの人は嫌いだ。所詮かまって欲しがりのトラブルメーカーに過ぎな、痛い!」
「三郎、いい加減にしなよ」

 ガツン、という音と共に、三郎が頭を抑えて悶絶した。三郎の後ろには、にこにこと笑い続ける雷蔵の姿がある。先ほど中在家先輩に呼ばれて図書館に行った級友は、数冊の本と数本の巻物を抱えていた。どうやら、手にした巻物の芯の部分を三郎の頭に打ち付けたらしい。

「そんなこと言って、ハチや柊先輩がどう感じると思うの?お前はもう少し考えて発言するべきだよ」
「っ、だって!」
「だって、何?三郎は僕やハチを目の前で悪く言われて平気だって言うの?」
「雷蔵やハチを悪く言う人間なんかいない!」
「僕やハチだってそう思ってるよ。柊先輩は優しい方だ、嫌われるべき人じゃない、って」

 さっきまで冷静に僕の激昂を眺めていた三郎が、苛々と文机を叩いた。雷蔵はそれを見ながら、聞き分けのない子供を叱る母親のように眉を下げている。

「……もういい!知ったことかあんな人のことなんか!!」

 そう言い捨てて、三郎は足音を荒くして教室を出ていった。もう、と雷蔵は呆れたように腰に手をあてて頬を膨らます。
 僕はといえば、急な展開に付いていけずに呆然としていた。えぇと、追いかけた方がいいだろうか。

「大丈夫、ハチは悪くないから。三郎が謝ってくるまで堂々としてればいいよ」

 と、僕の心を見透かしたかのように雷蔵が微笑む。

「許してやってね、三郎も心底から柊先輩を嫌ってるわけじゃないと思うんだ。ただ、素直にあんなことを仰る柊先輩が羨ましいだけで」
「羨ましい、?」
「うん。三郎は自分の感情を押し隠そうとする癖があるだろ?多分、憧れの裏返しなんだと思うな」
「そっ、か」

 怒鳴ったりして悪かったかな。少しの罪悪感が胸に芽生える。でも、柊先輩を悪く言われるのはやはり許せなかったのだ。ああ言われたら怒るのは仕方ないだろう。

「三郎が言ったのは確かに悪いことだけど、ちょっとだけ理解もしてほしいな。…じゃあ、僕は三郎追いかけるよ」

 ごめんね、と申し訳無さそうに手をふって教室を出る雷蔵を、僕はただ見送っていた。
 先輩の優しさは、嘘ではない。そうだといい。もし優しさが嘘だったとしても、いつだってぽつりと呟かれるあの言葉だけは、否定してはいけないような気がした。

 死にたいと、先輩はほんとうに消え入りそうな声でそう仰るのだ。泣きそうな、痛そうな声で、いつも。


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