中在家長次の誘因





 天女の部屋は、くのたま教室のはずれにある小さな庵だ。学園長先生の庵とは違う、四畳半もあればいい程度のものだ。くのたま達が作法の授業で使うことのあるそこに生活用品を持ち込んで自室として使うように言われているのだと、いつだったか山本シナ先生が仰っていた。見張り、ということもあっての配置だろうと思う。その庵はくのたま上級生の長屋にほど近いのだ。同性と言うこともあって、くのたま達は忍たまよりもさらに天女に厳しい。勿論それを表に出すことは無いが、あの恐ろしいくのたまの目を掻い潜ることは、プロの忍者だとしても難しいだろう。
 そして今、私はその庵に向かっていた。夜中に忍たまである私がくのたま長屋に近付くなど自殺行為に相違ないが、今夜は幸いにもくのたま上級生がみな実習で出払っているのだ。もしも彼女たちが長屋で眠っていたなら、私は武器を持ち出してでもこの役を拒否しただろう。
くのたま達が張り巡らせた罠に掛からないように慎重に、私は歩を進めていく。下級生の仕掛けたものならともかく、上級生の仕掛けた罠は悪辣この上ないのだ。とんだ貧乏くじを引いたものだと思う。
 しかし行きで安全な道を探っておけば、帰りはその道をたどれば良いだけだ。まさか四年生の綾部のように四半刻にひとつ罠を設置するような変わり者がくのたまにいるわけもあるまい。かの童歌とは逆で、行きでこわい思いをしてしまえば帰りは楽なのである。
 月明かりに照らされた草庵をみて溜息を吐く。ここにたどり着いただけで何だか命拾いをした気分だった。

「……天女さま」

 ぼそり。呟くように零れた声は恐らく中には届かないだろう。私は障子に手を掛けて、それをすす、と滑らせた。月明かりが中にさして、そう広くない庵の中でもぞりと何かが動く気配がする。

「誰……?」

もとより拙い月明かりの下を歩いてきたため、私の目が庵の中の暗闇に慣れるのは早かった。幾分寝乱れた布団の中で、天女が起き上っている。

「天女さま」
「…長次、くん?」

 目をこすりながら天女が驚いたような声を出す。どうしたの?と彼女が笑った。月はもう高い。

「仙蔵の、遣いで」
「仙様の?」
「…はい、裏山で待つと」

 今日の私は幾らか饒舌だ。それは天女に状況を嘯くためもあるのだが、やはり。
 常とは違うのだろう。今から起こるであろう事象に、驚いたことに私は昂揚している。それは忍びとしての性か、それとも。単に私と言う一個人、中在家長次自身の性なのかは分からない。

「でも、どうしよう…私、寝間着だし…」
「…そのままで構わないと、存じます。案内いたします、さあ」

 私が差し出した手を、天女がとる。甲のあたりに大きなほくろのある、小さな手だ。私はその頼りなさに目を細めた。こんな手に掻きまわされるほどに、私の友は弱い。
 そのか細い手を引いた私の真意は、恐らく私自身にも分からない。ただ南中した月だけが、それを知っていた。


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