綾部喜八郎の協力
穴の中には私だけ。蛸壺を掘るとき、私はいつだって私と向き合っているのだ。私だけ。ああ、なんて素敵。
目の前の土の壁を、踏鋤のフミコちゃんで拓きつつ、私は考えていた。どうにも、あの天女さまとやらは好き勝手やり過ぎている感がある。
柊先輩がまた死のうとしたらしい。先日ぼろぼろになって帰ってきたばかりだというのに、せわしないこと。
私は別段、柊先輩のことが好きでも嫌いでもない。けれど、私の周りはそうではないのだ。
例えば滝夜叉丸。例えば兵太夫。例えば、そう例えば、立花仙蔵先輩。
特に立花先輩などは、遂に怒髪天を突いたらしい。今日などは天女さまの背中を射殺しそうな勢いで睨み付けていた。もともと気が長い方ではない先輩が、天女さまに自殺行為を命じられたらしい柊先輩と恋仲であるというのは周知の事実である。
(もう長くはないな)
がつん!とフミコちゃんが石か何かとぶつかった音が響く。フミコちゃんを引き抜くために丸めていた背を伸ばすと、私のおとがいから汗がぽたりと落ちた。
長くはない、長くはない。立花先輩の理性が続くのも、天女さまの命が保障されるのも、今の学園のこの状況も。もう長くは、ない。
「喜八郎、上がってこい」
ざり、という音とともに、ぱらりと上から土が落ちてきた。長時間下を向いていたために痛む首を反らせると、紅を混ぜた藍色に染まった空と立花先輩が見えた。
「上がってこい」
立花先輩がもう一度言う。立花先輩が穴の中の私を認識したことで、私は私と向き合うことができなくなった。失楽園。
懐から苦無を取り出して蛸壺から這い上がると、地上に出る寸前のところで立花先輩に引き上げられた。案外、腕力のある人なのだなぁ。立花先輩の白い肌を見ながら思う。
「どうかしましたか、先輩」
「何も聞かずに協力しろ」
おやまあ。私は口癖となりつつある感動詞を飲み込んだ。確かに長くは続かなかったが、終わりがこんなにも早いとは。
「立花先輩、殺すのですか」
「お前は小平太と一緒に裏山への抜け穴を掘るだけでいい。今夜中にだ」
「随分早急なのですね。学園の外に連れ出してやるおつもりで?」
「穴が完成したら長屋に戻って寝ていろ。お前は何も知らないのだ」
「ところで、柊先輩は大丈夫でしたか?」
「……喜八郎」
柊先輩の名を出したとたん、立花先輩は苛々と頭を掻いた。どうやら、柊先輩の自殺騒動は地雷らしい。
「何も聞かずに、と言っただろう。消灯後に学舎裏だ」
それだけ言って、立花先輩はくるりと踵を返して行ってしまった。ぽたり、私の顎を伝った汗が落ちた。
ああ、どうにも。
「長くはないなぁ」
長くはない、長くはない。
長引かせたくは、ない。
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