鉢屋三郎の見物




 柊先輩の失踪事件で先延ばしになっていた組手試合の授業が、今日やっと行われた。まったくもってトラブルメーカー以外の何物でもない柊先輩は、いつも面倒なことをしでかしてくれる。
 実際柊先輩が怪我で欠席しているせいで、七松先輩の相手がこの私になってしまったのだ。何故に私。本当に勘弁してほしい。

(しかもあの天女さまも来てるし)

 苦々しく顔が歪みそうになったが、何とか押しとどめる。件の彼女は今グラウンド中央で行われている立花先輩と雷蔵の試合に夢中だが、見られているいないに関わらず心証を悪くする可能性がある行動は控えるべきだった。だってアレは色の授業の教材で、私たち上級生はこぞって媚を売らなくてはならない状況にあるからだ。はっきり言ってそんな上級生たちの態度が天女さまを調子に乗せている原因の一端であると思わないでもなかったが、だからといって落第するわけにはいかない。

(……げ)

 しかし、学舎の方からよろよろと歩いてきた人影に私は今度こそ顔を顰める。包帯や湿布や添え木を体中に装備して、いかにも「怪我人です」という雰囲気を醸し出している柊先輩が、こちらに向かって歩いてきたのだ。医務室からの外出許可が下りたのか、ここ最近纏っていた寝間着ではなく松葉色の忍装束を着て。
 これで今グラウンドには、私の苦手な人間トップ2が揃い踏みということになる。本当に切実に、勘弁してほしい。

柊先輩はそのままふらふらと天女さまの近くに行くと、その隣に腰を下ろした。近くではハチと勘右衛門、兵助が談笑していて、ハチがちらりと柊先輩を見遣るのが見えた。その顔にははっきりと心配の色が浮かんでいる。
 ふと、柊先輩が天女さまに話しかけた。口の開き具合からして小声のようだが、それなりに訓練したものなら読唇術を使って内容を汲み取ることができる。さらに言えば、ハチたちほど近くに居れば、すこし耳を澄ました程度で聞こえるような声量だろう。

『ねぇみぃちゃん。ナツコを踏んじゃったのは事故だよね?わざとじゃないんだよね?』

 小さく動く柊先輩の唇を読み取ると、そう言っていることが判別できた。ナツコって誰だ。恐らく会話の内容を気にしていたであろう勘右衛門と兵助が、怪訝そうな顔をしている。ただ、柊先輩と同じ生物委員であるハチだけが顔色を変えたところを見ると、飼育動物か何かの名前なのだろう。
 一方天女さまは、「踏んだ」という言葉で察しがついたのか、そっと笑って言った。

『わざとに決まってんでしょ』

小声ではあった。一般人なら聞こえない程度の。しかしここは忍術学園で、彼女の周りにいるのは上級生ばかりだ。彼女は、最初から最後まで自分を偽ることができるほど頭のいい女ではなかったらしい。せめて柊先輩の死にたがりほど一貫して演じていたならば、こうなることもなかっただろうに。

『この際だから言うけどさぁ、あんた邪魔なのよね。私と仙様の邪魔しないでよ。ホンット邪魔、死んでくれる?』

 笑顔だけは綺麗に作り上げている天女さまが、柊先輩にそう囁く。無邪気そうな笑顔と吐き出される暴言のズレは、いっそ滑稽にも思えた。
 きょとりとした柊先輩が、ぱちくりと瞬く。

『せっかく死んでくれるように猪のとこに行かせたのにさぁ、普通に帰って来ちゃって。空気読みなさいよ、マジで意味わかんない』
『……死ねばいいの?』
『当たり前でしょ。さっさと死ねばいいのよアンタなんか』

 吐き捨てるような天女さまの言葉に、柊先輩がゆっくり頷いた。

『わかった』

 ああ、あれは。あの目は。

(やばい)

 私がそう思った瞬間、柊先輩の手の中に手品のように苦無が現れる。そのままそれを自らの喉元に付き立てようとした柊先輩の手を、駆け寄ったハチが間一髪で止める。しかしそれでも柊先輩は止まらない。そのまま舌を噛み千切ろうとするも、ハチがもう片方の手を先輩の口内に差し入れたことにより叶わなかった。
 足押さえろ、おいこいつどうにかしろ、だれか先輩オトせ。先輩や同輩たちが騒ぎ立てて騒然としたグラウンドで、私はただ一人戦慄していた。

(……なんだ、あれ)

 人とはあんなに脈絡なく自らの命を絶とうとするものなのか。たかだか女一人に死ねと言われたくらいで。

(何なんだ、一体)

 七松先輩に頸部を絞められてかくんと力を失う柊先輩を見て、私が覚えていたのは、ただその一つことのみだった。



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