彼の献身




「柊先輩、寝ててくださいって何度言ったらわかるんです!」

 忍び装束の帯を結んだ僕に、2年い組の川西左近が詰めよった。毎日見舞いに来てくれる仙蔵や小平太といい、皆は心配しすぎなのではないかと思う。少し油断したから蹴りが入ってしまっただけで、もう普通に歩いたり走ったりできるというのに。

「平気だよ、左近。もう随分と長く寝ていたのだもの、充分じゃないか」
「ダメです!頭に受けた衝撃は後になってからが怖いんですからね!」
「でも、委員会もあるし…」
「そんなのは竹谷八左ヱ門先輩に任せておけばいいんです!まずは柊先輩、ご自分の心配をなさってください!」

 きっ、と眉を吊り上げて僕を叱る左近を、僕は困り果てて見つめる。どうしようかどうしようかと迷っているうちに、左近はまた僕を布団に押し込めてしまった。
 ああ、医務室の布団は嫌だなあ、と僕は思う。6年間も使っている自室の布団とは違い、医務室の布団はふかふかと柔らかい。この布団に身を沈めると、すぐに眠たくなってしまうのだ。

「大丈夫だよ」
「怪我人は大概そう言います、上級生の先輩方は痛みを堪えるから特に」
「本当に痛くないんだ」
「ダメです!」

 ほら、さっさと寝巻に着替えてください!と僕を睨む左近の眼光は険しい。こうなったらもう聞いてはくれないだろうか。
 僕は諦めて、枕元に畳んだ寝巻に手を伸ばした――いや、伸ばそうとした、その時。

「失礼しまーす」

 小鳥のさえずりみたいな声が、医務室に響いた。
 みぃちゃん、だった。事務の制服に身を包んで、控えめに笑っている。

「天女、さま…」

 びっくりしたように呟いた左近ににっこりと笑いかけたみぃちゃんは、僕を指差して、ちょっといいかな?と言った。

「だっ、ダメです!柊先輩は絶対安静なんですから!」
「左近、」

 僕に言い聞かせたのと同じ文句を繰り返した左近の袖を引く。振り向いた左近の眉根は、きつく寄っていた。まるで、何かと戦っているみたいだ。僕が我儘を言ったからだろうか。何だか忍びない。

「大丈夫、大人しくしてるよ」

 駄目だなぁ、と思う。左近は後輩で、僕よりも小さくて弱い。だから僕が守らなくてはならないのに、当の僕がこんな顔をさせてしまっているのでは。きっと、駄目だ。

「……本当ですか」
「うん、本当。ちゃんとじっとしてるよ」

 ぐっ、と。何かを堪えるように唇を噛み締めた左近は、少しだけですからね、と念を押して立ち上がった。

「僕、食堂でお湯を貰ってきますから。その間だけですよ」
「うん。ありがとう、左近」

 ぱたん、と医務室の戸が閉まる。僕とみぃちゃんが二人だけになった医務室は、妙に静かだ。

「どうしたの、みぃちゃん」
「あの…あのね、」
「うん?」
「裏山に猪が出るらしいの。私、怖くて…夜も眠れないの」

 みぃちゃんは、不安げに胸の前で両手を握りあわせる。すん、とみぃちゃんが鼻を鳴らして、その伏せた目を見た瞬間。僕はにわかに、平静を失った。
 ああ、泣きそうだ。

「襲われたりしたらどうしようって、そんなことばっかり…私、わたし…」
「みぃちゃん、泣かないで。大丈夫、大丈夫だから」

 おろおろと彼女の肩を支える僕の、その両腕こそが震えていた。ああ、なんて滑稽な。
 泣かないで、泣かないで。みぃちゃんが泣くと、きっと僕は。
 おぎゃあ、おぎゃあ。どこかで赤ん坊が泣いている。それはきっと、僕の頭のなかで。

「僕が退治してきてあげる。大丈夫、みぃちゃんを危ない目にはあわせないから」

 本当?と顔を上げたみぃちゃんが、花みたいにきれいに微笑む。まさに、天女様みたいだ。

「大丈夫。だから、泣かないで?」

 その笑顔を見て、僕はほっと息を吐いた。泣かないで済むだろうか。笑っていて欲しい。僕が守るから。
 得意な武器くらいは肌身離さず持っておけって、仙蔵が言っていたから。懐に感じるこの重みは、大事なものを守るためのものだ。

「守るよ」

 もう誰も、泣かないように。


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