尾浜勘右衛門の不快



 柊先輩が「死にたい」と言わなくなったのは、生徒たちの間では有名な話である。
 学園一の死にたがりな先輩が呼吸と同じくらい日常的に漏らしていた言葉であるのに、とみに幸せそうに笑うようになった柊先輩は、そんな言葉をおくびにも出すことが無くなった。
 天女さまが来てから、というよりは、先輩が彼女を「みぃちゃん」と呼んで構い倒すようになってからの傾向である。
 先輩の死にたい発言に気を掛けていた者もうんざりしていた者も、すべからくそれは喜ばしいことだと口を揃える。そりゃそうだ、近くにいる人間が死にたいと漏らして平静を保てる人間などそうは居ない。
 しかしその一方で、「前のような柊先輩に戻って欲しい」いう生徒が多いのもまた事実だった。だって、最近の柊先輩は何かがおかしい。具体的にどこがとは言い難い。目も正気だし、表情も自然で、言っていることの辻褄が合わないということもない。けれど最近の、特に天女さまに関するときの先輩は、どこか心ここに非ずといったような、地に足のついていないような雰囲気を醸し出しているのだ。

 今グラウンドの真ん中では、ハチと食満先輩が組手試合中だった。流石に5,6年の合同演習ともなると出る技もえげつない。俺の相手は善法寺先輩だから結構大丈夫そうだけど。
 こういった授業の時、手加減?何それ美味しいの?で白兵無双の七松先輩の相手は、大抵6年生の中でも実践に秀でた生徒が担当することが決まっていた。授業の初めに貼りだされたその相手は、確か件の柊先輩であっただろうか。
 その七松先輩と柊先輩は、今現在俺の目の前で談笑しているわけだけれど。

「なんだかんだで柊と手合せすることってあんまりないよな!自主トレで柊と組手やろうとすると仙ちゃんが怒るし」
「そういえばそうだっけ。言われてみると小平太とは授業でしか取合ったことないね」

 それぞれの方法で体をほぐしている2人は、次に順番が回ってくるらしい。うんと伸びをした柊先輩が、ふと七松先輩の名前を呼んだ。

「……ねぇ小平太」
「んっ?どうしたんだ柊」

 両腕を交差して前に伸ばしていた七松先輩をじいっと見た柊先輩は、おもむろに口を開いた。

「みぃちゃん、今なにしてるのかな」
「…………柊」

 柊先輩の言葉を聞いた途端、七松先輩が不機嫌そうに表情を曇らせる。しかし柊先輩はそれに気付くことなく、そっと遠くに視線を投げていた。
 ああ、また、まただ。天女さまのことが絡んだ時の柊先輩は、こんな風に目の前の物から視線を外す。その行動はとても顕著で、きっとそのことに気付いているのは俺ばかりではない。というより、気付いていないのは当の柊先輩だけだろうと言ってもいいくらいはっきりした傾向だった。
 俺と柊先輩との接点は無いに等しいし、そのため俺の柊先輩に対する認識は好きでも嫌いでもないとかその程度のものだった。しかしどこか異常性を感じさせる柊先輩の様子は、俺の胸を悪くさせた。いや、きっと得別な感情を抱いていないからこそ、憐閔よりも先に不快が出て来るものなのだろうか。

「今頃、事務の仕事でもしてるんじゃないの」
「そっか」

 いつになく素っ気ない七松先輩の返答にも気付かず、柊先輩はただ、見せたくないんだと、それだけ言った。

「見せたくないんだ。殴りあいとか、そういうの」



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