彼の祈願
小平太が天女を拾ったのだという。いや、正しくはグラウンドに落ちてきた少女を受け止めたのだったか。普通そんなことをして骨折で済めば御の字であるというのに、当の彼はといえば今日もけろりとした顔で僕をバレーボールに誘ってきた。
それはそれとして。今の忍術学園の噂は、その天女さまの処遇で持ちきりらしい。
忍術学園はその機密性故に敵が少なくないのだ、外部からの珍客に対しては警戒しすぎるということはない。現に上級生は天女さまを追い出すように学園長や先生方に談判を行っているらしい。
「仙蔵は、天女さまに会ったことがある?」
僕の膝に頭をのせて目を閉じた仙蔵の髪を撫でて、僕は彼にそう問うた。
「……柊、あの女の話はしないでくれ」
眉を下げて僕を見上げた仙蔵が、上半身だけを起こして僕に口付けてくる。仙蔵の薄い唇が僕のかさついた下唇を食んで、ほんの少しの擽ったさに息が詰まった。
「仙蔵、どうしたの?」
「私はあの女が嫌いだ。愛しい柊があの女のことを考えていると思うだけで身が焦げそうなのに、」
するり。仙蔵の細いが筋ばった指が、僕の頬を撫でる。そのまま下がった彼の指は、僕の首に巻かれた包帯の縁をそろりとなぞった。その下の、数本の躊躇い傷を思う。この世界に罪悪感を感じつつも死ねない僕は、きっと世界一の臆病者なのだと思った。
「後生だ柊、もうあの女に興味を持ってくれるな。あまり私を嫉妬させないでくれ」
「…仙蔵」
僕の口は彼の名を呼んで、しかしそれだけでそれ以上動くことをやめてしまう。
僕は仙蔵に嫉妬して貰えるような、そんな上等な人間ではないんだよ。
そう言いたかったけれど、そのように僕が自分を卑下すると、いつも仙蔵は泣いてしまう。僕は蔑まれて当然の人間であるというのに、仙蔵のなんと優しいこと。
「あの女には会わないでくれ。知りたいとも言わないで。柊、愛している、愛しているから」
「うん、僕も仙蔵のことを愛してるよ」
仙蔵の震える瞼に、今度は僕から口付ける。僕のかさかさした唇が触れたって痛いだけだと思うのに、仙蔵はいつも僕に口付けをねだるのだ。
「……柊、」
仙蔵の顔が歪む。ああ、泣きそうだろうか。
泣かないで。あやすように仙蔵の髪を撫でれば、仙蔵はまた僕の唇に自身のそれを重ねる。
そっと、入り込んできた仙蔵の舌が僕の上顎を舐めて、おずおずと伸ばした僕の舌を絡めとる。
「んっ、…ふ」
どちらのものとも知れない息遣いが部屋に響く。それを頭の隅でぼんやりと聞きながら、脳裏に甦る懐かしい泣き声に涙が出そうになった。
薄桃色のふくふくした頬っぺたが、大きな黒子のあるもみじのようなお手てが、僕は大好きだったんだよ。
どこに届くとも知れない独白が頭を占める。ああ、ああ、こうして僕はいつも、世界と彼女への罪悪感で死にたくなる。
大好きだったよ。神様、願いが叶えられるならひとつだけ。もう一度彼女に会わせてはくれませんか。
大好きだったのです。嘘ではないのです。ただ僕は、罪をつぐないたいだけなのです。
だから、どうかどうか神様。
もう一度あの子に、みぃちゃんに会わせては下さいませんか。
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