彼らの悲哀
少し昔の話をしましょう。
ある村の豪農の子と、その村で村八分を受ける娼婦の子はとても仲が良かったのです。
豪農の子は誰もが羨む美しさと才覚を持っていて、しかしその全ては娼婦の子に捧げるために存在しているのだということを了としていました。豪農の子にとって、がりがりに痩せた娼婦の子は世界の誰より愛おしい存在だったのです。
その一方で娼婦の子は、秀でたところなど何一つない自らの全てを、たった一人の妹を守るためのものであると考えていたのです。ふくふくした頬っぺたに、大きなほくろのあるもみじのようなお手て。娼婦の子にとって、妹はたった一人の肉親でした。
実の母親に存在を否定され、食べるものすら与えられなかった娼婦の兄妹に、豪農の子はいつもこっそりと米や麦を与えていました。まだ歯も生えず、物を噛むことの出来ない妹には重湯を与えることも忘れずに。
豪農の子の生きがいは娼婦の子の幸せであって、娼婦の子の幸せは妹の笑顔でできていました。思えば、何と弱い依存関係でありましょうか。しかし幼い2人の子供はそれに気付くこともなく。
ある正月、豪農の子に遠い地にある忍術学園への入学の話が持ち上がったのです。寮制であるそこでは、そうやすやすと生家に帰ることは許されません。しかし豪農の子は、二つ返事でその話を受けました。
豪農の子から与えられる食料を糧として日々を生きていた娼婦の兄妹は、彼なくして生きていくことなど難しいでしょう。まだ乳飲み子の妹などは特に。
豪農の子はそれを知って話を受けたのでした。妹が飢えで死んでしまえば、娼婦の子の全ては自分に向くのではないか。そういった、幼い残酷さがその決断の裏にはあったのです。
いってらっしゃい。そう言って笑った娼婦の子に、罪悪感を感じないではなかったのですが、豪農の子はそのまま村を発ちました。賢いとはいえど十にも満たない子供にとって、赤ん坊の生死はあまりに軽いものであったのです。
忍術学園に入学して初めての夏休み。豪農の子は優秀であったために補習もなく生家に帰省しました。
帰ったなら一番に娼婦の子に学園の話をしよう。そういった決意を胸に帰省した豪農の子は、その決意を違えることなく。自分の家に帰るより先に、まっすぐに娼婦の子の住む小屋へ向かったのです。
そこで、彼が見たのは。
入学前と同じように、小屋の真ん中に座ってこちらを見ている娼婦の子の姿でした。豪農の子の記憶の中の彼と比べて随分、それはもういっそう痩せてしまっていたのですが、豪農の子を見て微笑むその優しげな眼はそのままでした。
豪農の子は娼婦の子が抱く麻布を見て、まだ生きていたのかと思いました。その時に彼の中に生まれたどうしようもなく残酷な気持ちを、否定する術はありません。
おかえり。笑う娼婦の子に、豪農の子は近寄って、そして。
驚愕したのです。
妹にもただいまをしてあげて。
そう言って娼婦の子が豪農の子に見せたのは、腐りかけた赤ん坊、かつてそうだった何かでした。
飢え死んだ赤ん坊の死体をあやし続ける娼婦の子は、傍目にも完全に狂ってしまっていました。
この子ったら、いつもいつも泣いてるんだ。僕が抱いていないと駄目なんだよ。
微笑む娼婦の子を見て、豪農の子は背筋が冷えるのを感じました。
嗚呼、嗚呼。壊れてしまった。
豪農の子がどうとも思わなかった命は、愛しい娼婦の子を壊してしまうほど重いものであったのです。知らなかったでは済まされない失態でした。だってもう、すべては壊されてしまっていたのです。
すまない、すまない。
そう言って泣き続ける豪農の子を、娼婦の子はなだめ続けます。
どうして泣くの?どこか痛いの?
豪農の子は、娼婦の子の問いに答えることは出来ませんでした。彼は、ただただ謝り続けたのです。
――忍術学園に、天涯孤独となった娼婦の子がお寺の稚児となって編入したのは、その年の秋の事でした。
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