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 池袋には何かと都市伝説が多い。例えば、黒バイクの首無しライダー。或いは、色のないカラーギャング。或いは、人間離れした怪力の喧嘩人形。或いは、愛を叫ぶ妖しの刀。或いは、或いは、或いは或いは或いは。

 或いは、忍者の血を引く少女。


 ある人は作り話だと一笑に付し、ある人は彼女がビルの間を跳ぶのを見たと言う。信憑性は無くもないが有り得る可能性は低い。都市伝説とはとかくそういったものであると、服部薫子は認識している。高校時代からそういった都市伝説のいくつかと接触してきた彼女は、非現実にいくらかの免疫がある。映画の中を生きているようだ、というのはそれらとの関わり合いの当初彼女が頻繁に口にした言葉のひとつであるが、最近になってからはあまり言うことも無くなっていた。今なら死んだ人間が生き返ったりしてもそれほど驚かないだろう。人間とは慣れる生き物である。


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 ある日曜日の午後、60階通りをうろつく薫子は、一言で言えば大和撫子といった風体である。日本人形のように切り揃えられた長髪は漆黒、化粧っ気のないかんばせは平凡に少し色を乗せた程度、スタイルは可もなく不可もなく、といった全体的に控えめな仕上がりである。大学院生、本来ならば女性と呼ぶべき年齢の彼女は、しかし少女といっても差し支えない童顔をきょときょとと辺りに巡らせていた。時折、合成皮革の滑らかなショルダーからマスコットにまみれた白い携帯を取り出して開け閉めする。その姿は明らかに誰かと待ち合わせをする態度のそれである。

(暇だなぁ…)

 しかし実際は、薫子に池袋をうろつく目的など存在しない。強いていうならば目的を探すことが目的、だろうか。無計画どころか無目的。池袋ならば暇そうな顔見知りのひとりやふたり、と思っての行動なのだが、結局ただの散歩に終わりそうである。

 暇そう、というキーワードで薫子に思い付く 人物は大体4人である。高校の同級生で現在も比較的親交のある、平和島静雄、岸谷新羅、門田京平、折原臨也だ。彼らに面と向かって暇そうだと指摘すると怒るのだが(折原だけは平生通りにまにま笑っている)、薫子から見れば皆等しく暇人である。薫子はその中から、今現在最も自分と遭遇しやすいであろう人物を絞り出す。
 まず折原臨也。彼は新宿に住んでいるため論外。暇だからとわざわざ電車に乗ってまで会いたい男ではない。むしろできれば会いたくない部類に入る。
 次に岸谷新羅。彼は今薫子がいる地点からそう遠くないマンションに住んでいるのだが、いかんせん引きこもりだ。薫子がマンションに押しかけるにしても、今日は日曜日。彼は今頃愛しの首無しライダー、セルティとDVD観賞でもしているに違いないのだ。自分が行けば、優しいセルティならいざ知らず、岸谷は一刻も早く薫子を帰したがるに違いない。したがって彼は除外。
 さらには平和島静雄。彼の現在の仕事、遅滞料金の取り立ては、むしろ対象が家にいる可能性の高い休日に忙しくなる傾向にある。多分そうなんじゃないかと思う。ただの学生である薫子はそういうことに詳しくはないのだが、彼は見た目に反して些細なことでキレてしまう。触らぬ平和島には本当に祟りがないので、ここは放っておこう。取り立てが終わった後の彼は当社比3割増で機嫌が悪いのだ。よって彼も除外。
 とくれば頼みの綱は最後のひとり、門田京平である。彼は休日どころか平日でも、何故か渡草のワゴンで池袋近辺を徘徊している場合が多い。一応定職に就いていると聞いてはいるのだが、一体何の仕事をしているものなのか。興味がないのできかなかったり、何かのきっかけで知りたいと思っても聞くのを忘れたりで、薫子はいまだにそれを知らずにいる。

「よし、決めた」

 薫子は再度ショルダーから携帯を取り出し、電話帳から門田の番号を選択する。門田に何か食べ物を奢ってもらうのでもいいし、渡草から聖辺ルリの新しいシングルを聞かせてもらうのでもいい(もっとも、薫子は芸能人など聖辺ルリと羽島幽平くらいしか知らないのであるが)。狩沢と遊馬崎と萌え談議に花を咲かせるのでもよかった。最悪何やら怪しげな拷問に付き合わされるのでも、暇に時間を食われている現状よりはマシだった。薫子はわくわくと胸を踊らせながら、学友より幾らも旧式な携帯の決定キーを押す。ちょうど3コール目が終わった頃に、喧騒を伴った門田の声が携帯から流れ出た。

『薫子か?今何処だ?』
「?60階通りだよ。どうかしたの?」
『ああ。東口の前で静雄と臨也が暴れてるんだ、来てくんねぇか』

 門田の声からは既に諦めが滲んでいる。それに呼応するかのように、薫子の顔も苦々しげに歪んだ。出来れば面倒事には首を突っ込みたくないのに、彼らは無理矢理薫子をそこに引っ張り込む。それは高校時代からの薫子の常であった。どうせ門田と合流するならそちらに行かねばならないし、と半ば強引に自らを納得させ、薫子は了解の意を門田に伝えて通話を終了させる。暇からは解放されそうだからいいじゃないか。ともすれば重くなる自身の気持ちを叱咤して、薫子は東口の方へと一歩、踏み出した。


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「サイモンは?」
「露西亜寿司の慰安旅行だと。今頃温泉にでも浸かってるよ」

 東口前に着いた薫子を迎えたのは、喧騒そのものだった。道路脇に停車されている見慣れたワゴンに近付くと、顔見知りの面々が笑顔で挨拶をしてくる。それに笑顔で返して、門田の影から喧騒の中心を窺う。
 見慣れたバーテン服と黒の上着が見えた。完全にブチ切れているであろう平和島の手には引っこ抜いたガードレールが、今日は虫の居所が悪いのか応戦を決め込んだらしい折原の手にはナイフが握られている。喧騒の向こうには呆れたように笑う、見覚えのあるドレッドヘアー。一応平和島は仕事中だったようである。

(ばかじゃないの…)

 この現実離れした大喧嘩に、雑踏の多くが足を止めている。こんな場所ではすぐに警察が来てしまう。そんなことになっても折原の方は何とかするだろうが、平和島は確実に器物破損とかでお世話になるだろう。薫子はもう一度心中で呟いた。ばかじゃないの。むろん大事なことだからである。

「これ、わたしが止めたらハンバーガー奢ってね」
「…なんで俺が」
「依頼したのは貴方ですもの」

 おどけたようにすまして頤を反らせる薫子に、門田が苦い顔を向ける。しかしすぐに無駄だと気付いたのか、門田は溜息をつきながら、1個だけだ、と恨めしげに喧騒の中心をねめつけた。
 約束だからね。
 楽しげに弾んだ薫子の声が門田の耳朶を撫でた時には、もう彼女は走り出している。大腿にあたってはねるショルダーを、薫子は一瞬邪魔くさそうに見遣った。がしかし、すぐに無視して喧騒に向かって走る。速い。翼のように左右にひろげた両腕をひとふりすれば、その両手の中にまるで手品の如くボールペンが現れた。喧嘩の当人たちが薫子に気付いた時にはもう、薫子は彼らに向かって人間離れした跳躍を披露している。次の瞬間には、平和島と折原の肩に薫子のぺったりとした白いパンプスが乗り、ボールペンの先端が、サングラスを避けて平和島の右目に、折原の眉間に、ぎりぎりの距離を保って静止していた。

「…ばかじゃないの」

 薫子は溜息とともに、3度目の罵倒を吐き出した。








 池袋には何かと都市伝説が多い。例えば、黒バイクの首無しライダー。或いは、色のないカラーギャング。或いは、人間離れした怪力の喧嘩人形。或いは、愛を叫ぶ妖しの刀。或いは、或いは、或いは或いは或いは。





 或いは、忍者の血を引く少女。



人になりたい化け物の話




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