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 ひとに成る前にばけものに成ってしまった人間、世界から切り取られた事象。わたしは平和島静雄という男に、そのような評価を下していた。

「おんなじ化物のくせに、よくも君は偉そうにそんな見解を持てるもんだね」

 わたしの正面に座した折原が、にっこりと笑う。その長い指がストローを引っ掛けて、目の前のアイスティーを掻き交ぜた。グラスの底にこごったシロップが、ストローの生んだ渦に巻かれてぐるりと澱む。わたしはそれを見ながら、フレンチドレッシングのかかったサラダを咥内に押し込んだ。3月某日の昼休み、わたしの通う大学の食堂での出来事である。
 わたしの家系は、忍者を生業としてきたものらしい。映画村でもないのだ、今日びそんなものは外国人観光客にも流行らない。言葉にしてしまえば何とも陳腐で面白みのないものだが、実家はそれに必死にしがみついているような所だった。遺伝子に組み込まれた身体能力を育てあげるための訓練を、親族の誰もに課していた。よく話に聞くような、笹を毎日飛び越えるといったようなこともやっていた。今となればわたしなんかでも漫画でよく見るような怪物じみた跳躍をすることもできるようになるのだが、日常生活において利便性を感じる場面になど滅多にお目にかからない。せいぜい遅刻しそうな時に障害物をまるっと無視して駆け抜けることが出来るくらいだし、その程度ならパルクールに精通した折原にも可能な範囲のものだ。わたしが化け物ならば折原だって化け物だ。以前そう零したら、岸谷に鼻で笑われたが。
 わたしの身体能力は平和島の怪力に類するものではない。それだけはご理解頂きたいものだが、折原は頑なにわたしを化物扱いするし、平和島などは明らかに同族意識を持ってわたしに接してくる。死ねばいいのに。

「でもねぇ、君はシズちゃんよりかはよっぽど話がわかる化物だ。だからこうしてわざわざ大学まで足を運んだりするんだよ、俺は」

 くすくすと喉の先だけで笑いながらの折原の言に、わたしは顔をしかめた。折原の薄っぺらい嘘に反吐が出る。この男は、平和島よりもわたしの方が余程壊れやすいと知っているのだ。だからわたしを傷つけにくる。それは硝子にやすりをこすりつける行為に酷似している。核には触れず、表面だけを少しずつ削り取っていくのだ。磨り硝子のように濁ったこころの中は、もう何も見えはしない。折原は聡い。もうわたしが気付いていることなどとっくに知っていて、それでもなお私を欺く嘘をつく。わたしをもっとも効率的に傷つける術を心得ている。こんなに有り難くない天賦の才がかつて存在し得ただろうか。折原は間違いなく神に愛された存在だった。何処の邪神にかは知らないが。

「俺は君を愛してる。君はヒト未満の生物だけど、俺の言葉に素直に傷ついてくれる。うん、愛おしい。ともすれば人間よりも愛してるかもしれないなぁ」
「お前の歪んだ愛なんか要るか。わたしは普通に平凡に愛されたい」
「はは、化物が高望みすんなよ」

 いつも通りの毒舌を吐き出す折原の、その胡散臭い笑顔だけは凄まじく爽やかだ。さっきから近くを通り過ぎていく女の子たちがちらちらとこっちを見ているのもそのせいだろう。折原がどんなに薄情な奴だろうと、春夏秋冬いつでも厨二病を拗らせたような黒ずくめだろうと、世の人々はこの爽やかな笑顔にいとも簡単に騙される。顔がいいというのはそれだけで人生における大きなメリットだ。人間様だって所詮生物なのだから、優秀な遺伝子(つまり美男美女)には本能的レベルにおいて甘くなる。その愚劣さに胸が悪くなる。わたしの表情が硬くなったのを目敏く捉えた折原は、それはもう嬉しそうに目を細めた。こいつはもう、異常性愛でも持っているんじゃなかろうか。

「で、何しにきたの。わたしとくっだらない愛議論するために来たわけじゃないでしょ」
「あー、うん。まぁ本題もくっだらない事なんだけどさ」

 はい、と折原がわたしに寄越したのは、よく観光地なんかで売っているご当地キャラもののストラップだった。

「…なにこれ」
「露西亜寿司一同から、慰安旅行のお土産だってさ」

 そういえば、この間門田がそんなことを言っていた気がする。木の桶の中で柴犬のデフォルメキャラクターが入浴しているデザインの、可愛いストラップだ。袋から出して携帯にでも付けようと思ったが、折原が取り出した携帯にも同じストラップがぶら下がっているのを見てやめた。折原とお揃いなど、一瞬たりとも許容できるものではない。愛用のショルダーに無造作に入れると、大事にしなよ、と折原に笑われた。あんたに言われなくても。何か言い返そうとしたが、その前に折原が携帯を耳に当てながら席を立った。相手はすぐに出たらしい。何語なんだかよくわからない言語で話し出す折原は、ひらひらと私に手を振って食堂から立ち去った。


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