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どんという鈍い音、けたたましい音をたてて止まる列車、慣性にしたがって前につんのめる体。どこかでグシャリという音がした気もするが、そんなことはノボリもクダリも認めたくはなかった。
しかし、目の前の現実はそれを許さない。
恐る恐る目を開けた2人の前には、真っ赤に染まったガラスがある。つうう、と。雨のように伝い落ちる、赤と透明の雫。
地下鉄に雨は降らない。
***
クダリはバラエティ番組を見ていた。番組の名前なんか知らない。液晶の中では知らない人たちがばかみたいに笑っていた。そういえば話は変わるけれど、ケンタロスの子宮は千切れただろうか。楽観。
今日はクダリもノボリも早番だったから、夕食を家で一緒に食べた。目玉焼きは嫌いだ。
ヘマタイトはバトルサブウェイの点検があるとかで夜まで仕事らしい。それだけが残念だった。
すたすたすた。
ノボリが慌てたように(それでも死にかけのノコッチみたいに静かに)リビングを横切って、書斎に入っていく。ノボリの書斎は本がたくさんある。なんだか溺れて死ぬ気がする。きっとノボリは溺れて死ぬのだ、ドザエモン。死ぬなら腸詰めのオボンの実を磨り潰しながらがいい、と思いながらクダリはテレビを見た。
ノボリがまたのたうつヨマワルみたいにリビングを横切った。手にはカッターナイフ。もしかしたら、またリストカットする。クダリには分かるのだ、脳に刺繍針を刺したときみたいに、ヒ゜ーンと。だって双子だもの。クダリは思う。流れた赤は新しい命を生むものかどうか。
***
「まだ切ってる」
クダリの呟きに、ノボリは目の前の鏡越しにクダリを見た。泥濘のような目だ、淀んだ、きっとミロカロスは住んでいない。
クダリがバラエティー番組を見終わっても、ノボリはまだ洗面台を睨み付けるように自分の手首を切りつけていた。約30分、切っていたことになる。そんなに切ったら切る場所が無くなるだろうに。クダリはそれだけが心配だ。
「洗面台をお使いになりますか」
「んーん。ボク、シャワー浴びに来た」
そうですか、と返したノボリは、しかし血のついたカッターナイフをすすいでタオルで拭いた。だらだらと血が腕を伝って肘で溜まる。モモンの果汁みたいだった。
「…ヘマタイトさんは、彼女のご友人だったそうですよ」
ノボリが唐突に発した言葉に、クダリは服を脱ごうとする手を止めた。
「ヘマタイト?ヘマタイトがどうかしたの?」
「だから、ご友人だったのだそうです。私たちが轢いた、あの」
「ヒイタ?なに言ってるの、ノボリ。ボクわからない」
「自殺なさったでしょう。私たちが運転する車両の前に飛び降りて」
「ノボリ、」
なに言ってるの。クダリが再度聞こうとしたところで、洗面台の鏡が動いた。ぎょとり。ぎょとぎょと、ぎょとぎょとぎょとぎょと。鏡に、目が開いている。
それはもう、鏡に映るノボリが見えなくなるくらいに。茶色い虹彩の、睫毛の長い、奥二重の真ん丸い、目が。目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が目が。鏡に。
「……いたい、」
…………気付いたときには、クダリは鏡に拳を叩きつけていた。ぽたり。クダリの拳から流れた偽物みたいな血が、鏡に入ったひびを伝うように落ちる。落花。
「…忘れるのもいい加減になさったら如何ですか」
ノボリがクダリを一瞥して、リビングに歩いていった。
「……なにを、言ってるの」
クダリの問い掛けはノボリに届いたかどうか。
灰色の両目から涙をだらだら流しても、クダリの顔は笑顔以外の表情を作ってはくれない。
わかんないよ。助けて、たすけてよ、ヘマタイト。
雨なんか、どこにも降らない。
2011.10.06.
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