▼ white and gray
ヘマタイトが謹慎処分にされた。列車の前に飛び出そうとしたかららしい。
謹慎処分は怖いだろうなぁ、とクダリは思う。だって暗いところはマッギョが飛び出してくるかもしれないからだ。マッギョは平たいからダメだ。とにかく暗いところは駄目なのだ。
クダリはヘマタイトが好きだ。可愛くて優しくて、いじわるしない。そりゃあ少し仏頂面だけれど、そんなのはノボリで慣れているし。とにかくクダリはヘマタイトが好きだった。もしかしたら世界でいっとう好きなのかもしれない。クダリは自分に優しくしてくれる人ならみんな大好きだけれど、ヘマタイトほど優しい人はこの世にいないんじゃないかと思う。
昨日も月に騙されて手首を切って血で床に目つぶしをかましたノボリはふらふらしながら仕事に行った。クダリは今日非番だから、ヘマタイトの家に行ってみようと思っている。
今日は道路に沢山目が開いていたけど、おひさまがフライパンを温めていたからクダリは意気揚々と外に出た。やっぱり卵はスクランブルエッグが好きだ。クダリのかかとが道路の目玉を踏む。空がギャッと叫んだ。
***
ヘマタイトのマンションはライモンシティの隅っこにある。隅っこは危ないよ、落ちちゃうよとクダリは再三ヘマタイトに言うのだけれど、ヘマタイトはクダリの言うことを聞いてはくれない。ここがいいのだと、ヘマタイトはいつも。そこは落ちちゃうのにどうしてなの、ヘマタイト。
ヘマタイトの部屋のドアのノブに、まんまるい目がぱちぱちと瞬いていた。いつもならヘマタイトの近くには目玉はないのに、厭だなぁとクダリは思った。菜箸があればいいのになぁ。そう思ってみても仕方ない。今日の朝ごはんは塩鮭だったから、きっと菜箸は工場の廃油のなかに沈んでいるのだろうと思う。仕方ないのでノブでぱちぱちぱちぱちぱち、まるでジャローダの足みたいに瞬く目の睫毛をぶっちりと抜いた。そしたらドロッとした緑の何かが出てきて、それはぼとりとクダリの靴を汚した。きたない。クダリは特別綺麗好きなわけでもないけれど、やっぱりこれは厭だなぁと思うのだ。
「どうしたんですか、クダリさん」
ふっと横合いから声を掛けられた。目玉ひとつない綺麗なマンションの廊下には、お月様みたいなワンピースを着たヘマタイトが立っていた。手にはコンビニのビニール袋。ノボリは喜び勇んでヘマタイトに駆け寄った。
「ヘマタイトだヘマタイトだ!かわいい!すき!10000光年ぶりだ!」
ヘマタイトを前にするとどんどん好きが溢れてきて、クダリはよく自分を止められなくなる。ぎゅうと抱きしめたヘマタイトの身体は小さくて暖かい。かわいい。
「一昨々日ランチをご一緒したばかりですクダリさん。今日は非番ですか?」
「そう、ボクお休み!ヘマタイト、謹慎って。ノボリが言った。ヘマタイト、暗いとこイヤなの?だから出てきたの?」
「買い物です、牛乳が切れていましたので。謹慎と言っても1か月も閉じこもっていたのでは死んでしまうのですよ、クダリさん」
ヘマタイトがクダリの手をポンポンと叩いたので、クダリはヘマタイトを開放する。ヘマタイトはドアの前に立って、お茶をお出ししますから上がっていってください、と言った。ヘマタイトの出した鍵が、ドアノブの目玉に吸い込まれていく。ずぶり。目玉が潰れた。ぬらぬら光る鍵を引き抜いて、ヘマタイトがドアを開ける。
「どうぞ、クダリさん」
「うん。…あ、お風呂かして、ヘマタイト。ボクの靴、汚れちゃった」
「靴?」
ヘマタイトが首を傾げて、クダリの足元に視線を落とした。
「綺麗なものだと思いますが」
「え?」
クダリが視線を落とすと、靴は一昨日ノボリが磨いた姿のまま太陽の光を反射していた。
そうか、あれは水溶性だから空気中の窒素に溶けるのだったっけ。
「どうします、お風呂なら使って貰って構いませんが」
「…ああ、ううん。いらない。大丈夫だったよ」
「それは良かったです」
ではどうぞ。ヘマタイトに招かれるままにクダリはヘマタイトの部屋に入る。ヘマタイトの部屋はホルマリン漬けのバラの匂いがして、クダリはとても好きだ。
***
ヘマタイトの部屋で夕飯を食べたクダリが自分のマンションに戻ると、ワイシャツにスラックス姿のノボリが玄関に立っていた。その右手には半透明のピルケースが握られている。
そのピルケースに開いた目玉が、クダリの代わりにぱちくりと瞬く。
「どうしたの、ノボリ」
「クダリ貴方、今日の分の薬を飲んでいませんね」
「あぁ」
「あぁ、ではありません。お医者様に言われたでしょう、毎朝飲みなさいと。それとも今日は幻覚を見なかったとでも仰るのですか?」
「ああ、うん、見た。みえてる」
「ほら御覧なさい。これに懲りたらきちんと薬を飲むのですよ」
ノボリのネクタイの先が開いて、ぎょろりと目玉が出来上がる。
ああ厭だなぁ、とクダリは思った。
2011.10.03.
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