抗鬱剤 | ナノ


▼ white and gray



 サブウェイマスターのクダリは退屈していた。座席に座って足を揺らしてみても、退屈は紛れない。がつがつと床に打ち付けられた踵が痛いだけだった。ぐにゃり、足が柔らかくなればいいのに。クダリは思う。スーパーダブルトレイン、7両目でのことである。
 窓に空いた目がぎょとりとクダリをねめつけたから、クダリは慌てて目をそらした。しかしそらした視線の先にもまた目があって、じいっとクダリを見ている。オタチごっこ。今日は薬を飲んだのだっけ。なんだか世界がくらくらするので、多分飲んでいないのだと思う。遊園地のコーヒーカップに乗ったみたいだ。目の前が虹みたいだった。
 今日はヘマタイトと夕食を食べにいくはずだったのに、挑戦者がもたついてるせいで就業時間を大幅に過ぎてしまった。でも、スーパーダブルは初めての挑戦者だというから、こんなものだろうとクダリは思う。挑戦者は今18戦目を始めたばかりらしかった。なかなかに健闘している。
 ヘマタイトは優しいから、多分待っていてくれているのだろう。クダリがヘマタイトとの約束だけは忘れないように、ヘマタイトは約束を忘れない。ヘマタイトのそれはクダリに限ったことではないけれど。
 ヘマタイトは優しいけれど、それはクダリにだけ向けられる優しさではないのだ。ヘマタイトを飾り付けた部屋に閉じ込めて、ときどき遊園地やミュージカルに連れていってあげるような生活を夢見るくらいには、クダリは子供じみた男である。ノボリなんかは相手の自由も考えてあげなさいなんて言うけれど、大事なものは大切にしまっておくのは当然だろうなぁと思うのだ。

『挑戦者、4両目で敗退しました。記録は17連勝。これより当列車はギアステーションに戻ります。急な加速にご注意ください』

 ぴんぽーん、とスピーカーが音を吐き出す。クダリはいつの間にかうつむけていた顔をがばりと上げて、勢いよく立ち上がった。するといきなり列車が加速するものだから、クダリはバランスを崩してしまう。手袋をした右手が吊革をつかみ損ねて、尻餅をついた。びっくりしたせいで、息が上がっている。窓の目玉がきぃきぃと笑った。



「お疲れさまです、クダリさん」
「ヘマタイト、ただいま!ぼくのこと待ってたの?かわいい!ぎゅってさせて!」
「クダリさん、もうしています」

 ホームでぽつりと佇んでいたヘマタイトがあんまり可愛かったから、クダリは列車から飛び降りてヘマタイトに抱きついた。ヘマタイトの傍だから、目玉はいない。ただ、世界は眩んだままだった。薬を飲み忘れたからだ。うっかりしていた。
 クダリとヘマタイトの傍を、他の鉄道員が笑いながら通りすぎていく。クラウドなんか相変わらずやなぁ、なんて言っていて、でもクダリは知っているのだ。クラウドだってたまにヘマタイトにキャンディをあげている。

「あのね、ぼくつまんなかった!ずっと座ってたの、そしたらね、窓から笑うからぼく、」
「クダリさん、あつい」
「ん?」

 ぽそり、とヘマタイトが呟いた。ヘマタイトがクダリの話を遮ることはあんまりないので、クダリはびっくりしてしまう。

「聞こえなかった。なぁに、ヘマタイト」
「あついです、クダリさん」
「あつい?ヘマタイト、あついの?風邪ひいた?」

 腕の中でじいっとしているヘマタイトの言葉にクダリは狼狽してしまって、おろおろとヘマタイトの額に手をあてる。手袋をした手でそんなことをしても意味がないことを、クダリは知らない。
 風邪はだめだ、危ない。だって風邪になったら、暗い部屋でひとりで寝ていなきゃいけないのだ。ベッドの下は狭いから、許してくれない。マッギョが危ないかもしれない。

「どうしよう、医務室いく?まだ開いてるかな?」
「違います、私ではなく」

 慌てて問いかけるクダリを静かに制して、ヘマタイトは手を伸ばしてクダリの帽子を取った。ひたりと、ヘマタイトの柔らかな手が額に添えられる。冷たい。

「クダリさん、熱があります。早く帰ってお休みにならなくては」

 クダリの腕の中で、ヘマタイトが言う。クダリは小首を傾げた。
 世界がくらりと歪んで、歪んだ世界の中でヘマタイトだけがクダリを見ていた。
 ああ、これでは見透かされてしまう。クダリはそう思ったので、ヘマタイトをよりいっそう強く抱き締めた。


prev / next

[ back to top ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -