抗鬱剤 | ナノ


▼ white and gray



 ギアステーションを出てすぐのところに、小さな公園がある。噴水とベンチしかない、公園と言うよりは休憩所みたいなところだ。そこで立ち尽くすヘマタイトをクダリが見つけたのは、残業用の夜食を買おうと地上に出たときだった。月がもう高い位置で蕩けている。

「何してるの、ヘマタイト」

 振り向いたヘマタイトは、やっぱり6月の曇り空みたいに可愛かった。クダリはヘマタイトの薄い掌を掬って、自分の頬に当てる。クダリの骨ばった指にくらべて、随分と細くて柔らかい。ヘマタイトは整備士だから、普通の女の子よりは荒れているはずなのだけれど、そんなのはクダリにとってどうでも良いことだった。ヘマタイトの手指であるという、そのことだけが大事なのだ。

「喧嘩をしてしまったのです」

 ヘマタイトが言う。ヘマタイトの声はほわほわして、夢のなかにいるみたいだ。ふわふわほわほわ、泥で溺れていくみたいで、クダリは少し嬉しくなる。
 ヘマタイトの前では、ヘマタイトのエンペルトと、見慣れないゲンガーが対峙していた。ヘマタイトが瞬く。いつも幻覚で見る目の瞬きは大嫌いだけれど、ヘマタイトの瞬きは好きだった。アロマセラピー。ほわん。

「このゲンガーが私になついてしまって。じゃれようとしてくるんですが、ゲンガーの体は毒ガスですから、エンペルトが怒るんです」

 ヘマタイトはあまり困った様子もなく言う。クダリがゲンガーを見ると、ゲンガーは口の端を吊り上げてしししと笑った。
 割とどうでもいいなぁ、なんて感じながら、クダリはヘマタイトの掌に頬を擦り付けた。クダリにとって、自分とノボリとヘマタイト以外のものは割とどうでもいい。

「ふぅん。バトルで倒しちゃえばいいよ。鋼タイプのエンペルトに毒なんて効かないし、ゲンガーって特攻は強いけど耐久は紙だから、少しだけ有利」
「有利不利の問題ではありませんよ、クダリさん。自分になついてくれているものを切り捨てるのは、気分のよくないものです」
「じゃあぼくが倒してあげる?」
「そういう意味ではなく、」

 ヘマタイトは言葉を切って、口を閉じた。クダリに何を言っても無駄だと思ったのだろうか。ノボリも結構そういうことがあるので、クダリはあんまり気にしなかった。
 ヘマタイトはひとつ瞬いて、エンペルトとゲンガーを見た。ライモンシティは夜でも明るい。煌々と灯る街灯が沢山あって、クダリは何だか迷ってしまいそうだった。

「仕方ありません、今日は一度モンスターボールに入れて一緒に帰ります」

 ヘマタイトが溜め息と共に言う。あまりのモンスターボールあげようか?とクダリが言うと、案の定お願いしますと返ってきた。ヘマタイトはエンペルトの分のモンスターボールしか持っていないのが常だ。余分なモンスターボールを持っていないと、偶然強いポケモンと出会ったとき捕まえられないのに。クダリはヘマタイトのそういうところを、割と迂闊だなぁなどと思っている。
 クダリがヘマタイトの手にモンスターボールを握らせるのを、ヘマタイトのエンペルトが迷惑そうな目で見ていた。

「……入ってくれますか?」

 ヘマタイトがそう言ってこてんと首を傾げると、ゲンガーはまたしししと笑って頷いた。エンペルトがぎゃう、と低く鳴く。ヘマタイトのエンペルトが鳴くのを聞いたのは、クダリにとって初めての事だった。ヘマタイトのエンペルトはアグノムみたいに無口だ。
 光の粒子になってボールに入ったゲンガーを剣呑な目で見送ったあとで、エンペルトもまたヘマタイトの腰のボールに入っていく。そうしてクダリとヘマタイトだけになって、辺りはしんとした。

「クダリさんは残業ですか?」
「うん、そう!あのね、ノボリが怒ったからぼく仕事失敗したの。かわいそう?」
「クダリさんの仕事に不備があったからノボリさんが怒るのだと思いますよ。…とにかく、頑張って下さいね」

 ヘマタイトはクダリの白い帽子を取ると、くすんだ銀の髪をさらりと撫でた。クダリはヘマタイトに頭を撫でられるのが好きだ。だって、手を伸ばしてつま先立ちする姿がとっても可愛い。

「うん、ぼく頑張る!ヘマタイト、気を付けて帰ってね?落ちちゃったらだめだよ?」

 クダリはヘマタイトをぎゅうっと抱き締めて、うきうきした足取りでギアステーションに戻った。夜食をまだ買っていないことを、彼はすっかり忘れている。


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