引き込まれる
私の母は、いわゆる食堂のおばちゃんで、箱根学園の寮で働いている。その母がギックリ腰になってしまい、大学の長期休暇中の私がしばらく代わりをすることになった。
年齢の近さからか、最初は学生たちから好奇の目で見られていたけど、時間が経つにつれ、徐々にそれもなくなっていった。そして、役目が終わりに近付く頃には、どの子がどれぐらい食べるのか分かってきた。
「新開くん、今日も大盛りにしておくね」
こそっと、私がそう伝えた相手は、明るい茶髪の癖毛の男の子。いつも美味しそうにたくさん食べてくれるから、本当はいけないんだけど、毎回ついサービスしてしまう。
「おっ!サンキュー、●●さん」
私のサービスに対し、新開くんはお礼を言った。彼は食器の返却の際に、よく話しかけてくれる。だから、仲良くなった。
せっかく仲良くなったけど、この仕事も残りわずかだ。もうすぐ会えなくなってしまうと思うと、少し寂しくなる。
そんな、ある日のことだった。食堂の外の出入り口のドアが壊れてしまい、中からしか入れなくなってしまった為、私は男子寮の廊下を突っ切って歩いていた。すると、ちょうど部屋から出てきた新開くんと遭遇した。
「あれ、●●さんだ」
新開くんは私を発見し、歩み寄ってきた。私も出会ったのが彼で、少し嬉しかった。それから、しばらくその場で談笑した。
「へえ。●●さんて、大学生だったんだ」
「うん。だから、実は新開くんとは歳が近いんだよ」
「マジか。なんとなく分かってたけど、そんな近かったのかあ」
にこにこと、和やかな雰囲気だった。
「でもさ、ここ男子寮だぜ?」
「うん。知ってるけど」
「女子生徒は入寮禁止なんだよなあ」
「あー。そっか、私って、下手すると生徒に見えるかもしれないね。でも、入館証を持ってるから、大丈夫だよ」
「まあ、先生に怒られることはないだろうけどさ」
じゃあ、なんだろ。どうも、そのことを言いたいわけじゃなさそうだ。
「いやさ、●●さんみたいな可愛い子が、こんなとこふらふら歩いてたら、危なくないかなって」
「ああ!心配してくれたんだね」
紳士なのは、とてもいいことだ。私をおだてても、食事を大盛りにしてあげることぐらいしか利点はないけど。
「盛りのついた男たちが寝泊りしてる部屋が並んでるわけだからさ、ちょっとは危機感持った方がいいと思うんだけど」
「えー。そんな猛獣みたいな」
そんなドキドキハラハラな少女漫画みたいなこと、実際にあるわけないのに。
「やだなあ。大丈夫だよ。それに、危なそうな人には近付かないしね」
「そっか。なら、いいんだけど」
心配してくれるなんて、いい子だな。確かに、どこかの部屋に急に引きずり込まれたら、逃げられないかもしれない。
「あ、そうだ。●●さんにいいものやるよ」
新開くんが、ふと何かを思いついたように、そう言った。
「なに?」
「オレの部屋まで来て。すぐそこだから」
「そっか。楽しみだなあ」
新開くんが私の手を引いて、部屋まで案内してくれた。すぐそこだと言ったけど、彼の部屋は結構遠かった。
「ここ、オレの部屋。同室の奴は今日はいないんだ」
そう言ったと同時に、新開くんは部屋のドアを開けた。それから、よく分からないうちに、私の視界は一気に暗転した。
「えっ」
一体、何が起こったんだ。
そうだ。私は廊下で新開くんに手首をグイッと引っ張られて、部屋の中に引きずり込まれたのだ。それで、ドアを閉められた。だから、光が消えた。
「あれ…。あの」
何かのサプライズかな。もうすぐ私もここを去るし、何かお祝いでもしてくれるのかもしれない。私はそう思った。
「…なに、これ。ドッキリ?」
だけど、何だろう。
私はなんとなく不安になった。
「…」
私の問いに対し、新開くんは何も言わなかった。それにより、余計に緊張が高まった。
「いやさ、ドッキリじゃないんだけど」
「え?…じゃあ」
一体、何だろう。
早くネタばらしをしてほしい。私は既に、不安に押しつぶされそうになっていた。
「なあ、●●さん」
「…っ!」
その時、新開くんの声が急に近くなり、私はビクッとしてしまった。
「オレは、安全だとでも思った?」
真っ暗な部屋の中、耳元でそう囁かれ、私の不安は確信へと変わった。