図書室に寄ったのは参考書を借りるためだ。なんとなく甘い香りがした気がしたのも、案外気のせいじゃなかったのかもしれない。飴好きの後輩は、本棚の陰に置かれた小さな椅子に座って、やけに分厚い文庫本を読んでいた。緩やかに上げられた顔が、双眸が、こちらを認識した。眠たそうな目に映る俺が、まるで水面下にあるように、波打つ。

「……お久しぶりです、宮地センパイ」

眠気を誘う声は穏やかで、しかし、冷たかった。初めて会ったときを思い出す。何にも興味を示さない、自由気ままな猫を彷彿とさせる表情は、何度か会う度にレッテルの張り替えを余儀なくされていたというのに。

「……おー」

「今日は部活無いんですか?」

「いや、今終えてきたとこだけど」

「……、ああ、もうそんな時間ですか」

名字が少し途方に暮れたような声で、呟くようにそう言った。文庫本を本棚に片付けて、立ち上がる。改めて見ると、何故か今更身長差に驚かされた。高2女子として高いのか低いのか、とかは関係なく、自分の身長が平均より高いものだから、身長差はどうしても生まれてしまうものだ。
ちらりとこちらを見上げた視線に、ぐらぐらした。

「じゃあ、私帰りますね」

「は? 待てよ、送る」

「はい?」

「遅くなるときは1人になんなっつったろーが、轢くぞ」

「……いいですよ、要らないです。みまなに怒られちゃうし」

そこで初めて、名字が笑顔を見せた。いつもと変わらない、少し悪戯げな笑み。なのに、何故か、拒絶されたような気がした。彼女の口から出た、その名前のせいだろうか。

「……見たのかよ」

「見えたんですよ」

面倒だと言うように肩を竦めた彼女に、ずくりと心臓が痛い悲鳴を上げた。

「怒られるかよ。別に、付き合ってねーし」

「知ってますよ、付き合ってないことも、宮地センパイが付き合ってなくてもキスくらい出来ちゃうことも」

「名字、」

「でも任那はセンパイのこと好きなんですよ?」

「名字!!」

腕を掴む。名字が顔を歪ませる。からん、と、何処かから何かが床に落ちる。赤くて透明な丸いそれは、蛍光灯の光を閉じ込めてちかりと光った。

「好きなんだよ」

気が付いたら、そう口走っていた。
名字の双眸が、やっと俺を捕えた。ゆらゆらと揺れたあと、困惑の色を湛えて、耐えきれないと言いたげに伏せられる。手の力が抜けた。細い腕が、俺の手から滑り落ちる。ごめんなさい。小さな謝罪が聞こえた。

「ごめんなさい、宮地センパイとは、」

暫く言葉に迷って、名字は結局何も言わず閉口した。鞄を掴んで、そのまま俺の横を通り過ぎて行く。すぐに扉を引く音がして、この部屋に1人きりになった。

心臓が、痛い。



(チャイニーズ・ラッカー)
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