身を隠して、足音を立てないように細心の注意を払って、息を殺して、その場を去った。今見たものがなんだったのか、理解してしまったのだ。冷静だった、白い視界に先ほどの事実が浮かび上がっていた。階段の下まで来たとき、何か、黒くて熱くてねばねばしたものが心臓と肺を占領していくのを感じた。呼吸が上手く出来ない。知っていたのだ。知らないふりをしていたのだ。私を経由した手紙の内容も、体育館を使いたがったあの子も、友人とセンパイが関係を持ったことも、生徒会長が私を気遣ったことも、私なんかより猫みたいに気紛れに揺れる金糸も、見上げたらくしゃりと笑う姿も、全部、私は、理解していた。どれもこれも、隅から隅まで、余す事なく、一部始終、完全無欠に、徹頭徹尾、わかっていたのだ。

ただ、納得出来なかった。知っていても、理解していても、受け入れられなかった。何度か会っただけだ。何度か話しただけだ。そんな余地は無かった。
運命なんて思いたくない。そんなもので私の感情が決定されてしまうなんて、許せない。だけど、なのに、私は確かに、簡単に、単純に、安易に、一瞬で、あっさりと、落とされたのだ。

(なんで、)

なんで、貴方だったんだろう。

ずるりと身体の内側を何かが滑落する。筋肉が弛緩して、糸が切れたように座り込んだ。歩かなきゃ、こんなところで座り込んでちゃ通行の邪魔だ。胸が痛い。動かなきゃ。動けない。暑い。熱い。

「名前……? 名前、どうしたの!?」

階段の上のほうに顔を上げた。視界が滲んで、私の名前を呼んでる誰かが誰だかわからなかった。



私が見たものは、宮地センパイと友人が唇を重ねた、丁度その時だった。

任意の任に刹那の那と書いて「みまな」と読むのだと、自慢気に笑う表情を思い出した。彼女は明るくて快活で、ときどき、盲目なところがあった。あの人以外考えられない、なんてマンガみたいな台詞が似合う子だ。

「名前……何かあったの?」

「……ごめん、大丈夫」

「全然大丈夫に見えないよ、名前がそんなになるの初めて見たもん」

階段の下で座り込んでいた私に保健室まで付き添ってくれた友人が、心配そうにこちらを覗き込んだ。初めて。そうかもしれない。取り乱すことなんてなかった。人前で泣くなんていつ以来だろう。
なんで泣いているんだろう。悲しいからか、苦しいからか、悔しいからか。
ただ、綺麗だった。口付けする2人は、とても美しかった。沈もうとする陽光が、透明な橙で世界を満たしていた。2人の世界があった。陳腐な表現をすれば、まるで、絵画の世界のようだと、思った。

「元気出しなよ、名前らしくないじゃん。あ、そうだ、飴食べる?」

困惑しながらも必死に励ましてくれる友人の姿に、少しだけほっとした。それが伝わったのか、友人は安心したように微笑んだ。ほら、と投げられた飴玉を受け取る。はちみつのイラストが描かれたパッケージを破って、透明な橙色の口に含む。甘い。甘かった。あの景色を脳内に強く描く。憧憬のようで。羨望のようで。皮肉のようで。絵画のようで。再認識する。どうしようもない事実を、今、受け入れる。

私は、宮地センパイが好きだ。



(ゴールド・スパーク)
(back)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -