「すいません、あの本取ってくれませんか」
俺ぐらい身長があると、たまにこういうことがある。ああ、はい、と適当に頷いて、細っこい指が差す参考書を引き抜いた。手渡そうとして下を向いて、そこで気付いた。
「……うわっ!?」
「ありがとうございます。奇遇ですねー」
けろりとした顔で参考書を受け取った名字は、どうも、とぺこりと頭を下げた。……そういえばこいつ、家この辺だったな。
「金髪でやたら背高い人がいたからすぐわかりました」
「あ、そう……」
「よく来るんですか?」
「ああ、まあ……たまーにな」
へえ、あ、飴食べます? なんて言いながら返事を聞かずにごそごそ鞄を漁る名字が、俺の嘘に気付いた様子はない。正直、推しメンが出ている雑誌が発売される度に来ている。そこそこの頻度だ。たまーになんていうもんではないと思う、少なくとも。
「何味でしょう」
「……ショートケーキ」
「センパイってクレアボヤンスかプレコグでも使えるんですか?」
はい、どうぞ。並んだ片仮名の意味はよく知らないが、渡された飴は確かにショートケーキ味だった。受け取って、そのまま自分の鞄に突っ込む。名字もさすがに本屋で飴を食べることを強制したりはしない。
しかし此処で名字に会うのは初めてだ。彼女があまり来ないだけなのか、よく見るコーナーが違うから会うことが無かったのかは定かじゃない。後者だとしたら、なんというか、先輩として少し、感じるものがあったりなかったり……名字は(我ながら)少し大人しい俺を不審に思ったのか、いつもの暇そうな顔で少し首を傾げた。
「受験勉強ですか?」
「あー、まあ、そうだな」
「なんか申し訳ないです、忙しい時期に勉強見てもらっちゃって……」
多分、先月勉強を教えたことを言っているのだろう。参考書を抱えて微妙な表情をする彼女に、罪悪感が湧いた。本当のところは雑誌がメインで、こっちはついでに見に来ただけなんだが。
こいつは多分、俺がアイドルが好きな、いわゆるドルオタだってことを知らない。別に隠すことでもないが、わざわざ言うことでもないわけで、つまり、言うタイミングを見失ったのだ。どうしたものか、と手の中のビニール袋をこっそり彼女から見えないように持ち直しながら、心の中でため息を吐いた。
「あ、そういえば宮地センパイ」
「ん?」
「今日、みゆゆのインタビュー載った雑誌の発売日でしたよね」
「……なんでそれ俺に言ったんだよ」
「あれ、宮地センパイ買わないんですか?」
……、こいつ、まさか、確信犯か。楽しんでるのか。いやいや、まさか、仮にも先輩だよな俺。名字はうっすらと笑みを浮かべながら、「宮地センパイ、そのビニール袋何が入ってるんです?」なんて抜かしている。……黒だ。
「今日は受験勉強のために参考書見に来たんですよね、センパイ」
「だーもう、わあったよ! 雑誌目当てだよわりいか!!」
「あれ、そうなんですかー?」
「よし轢く」
「やだ怖い」
わざとらしく自分の体を抱いて身を守るふりをする名字の頭を軽くこづいてやった。いて、と呟いて、手が叩いた場所に移動する。ざまあみろ。
「つーかなんでおまえが知って……御手洗か」
「大正解です。宮地センパイはあれで清純派の委員長タイプが好きなんだって言ってました。黒髪ポニーテールがいいんでしたっけ?」
「詳しいな!!」
「私はみゆゆよりちいちゃんの方が可愛いと思います」
「……いや、ちいちゃんはちょっと元気すぎるっつーか。やっぱみゆゆだろ。ポニーテールがぴょこぴょこしてんの可愛くね?」
「ええー」
とか言いながら、名字はけらけら笑った。「宮地センパイ、結構語りますね」「はっはー、轢くぞ」好きなんだよわりいか。名字は何がツボに入ったか分からないが、まだくつくつ笑ってる。
「私もポニーテールにしようかなあ」
「やめとけ、似合わねーから」
深く考える前に返したが、そもそも俺が好きだからポニーテールにするみたいな言い方に引っ掛かりを覚えた。……話の流れに乗じただけなのだろう、深く考えることは別に無いのだが。ですよねー、と苦笑いする彼女は、みゆゆには正直あまり似ていない。どちらかというと、
(……ちいちゃん、っぽい)
「……あの、そんなにガン見されると、穴が開くので」
「、ああ、わり」
穴が開くって。慣用句に掛けたんだろうけど、また珍しい表現だ。
何処にでもいそうで、実は珍しいタイプ。大坪の推しメンがちいちゃんだ。笑顔が絶えない、少し天然混じりのムードメーカー。
「さて、私そろそろこれ買って帰りますね」
「、おう。じゃあな」
「はい、また」
雑誌が入ったビニールを持ち直した。また、なんて、再会を確定する言葉、俺たちみたいに確固とした繋がりがない関係には似合わないだろ。その言葉が余りにも自然に彼女の口から出てくるもんだから、少し期待してしまう。
(……は? 期待?)
期待?
なんで期待してんだ、俺。意味がわからない、ついに変人に当てられたか。少し考え込んでから、本屋を出る。ケータイを開く。大坪の電話番号にかける。1、2、3コール目で大坪が出た。
『どうしたいきなり、珍しいな』
「なあ、名字ってどう思う」
『は、名字? 生徒会の子か?』
「そうそれ」
『どう思うって、……まあ、普通にいい子だな』
「……ちいちゃんに似てね?」
『は? そうか?』
どっちかと言うとみゆゆだろ、大人しくて真面目なところとか……そう、確かに彼女は一見大人しくて根は真面目で、だけどそうじゃなくて。
あー何やってんだろ、俺。
「……いや、いいわ、わり。じゃあな」
『ああ、待て宮地』
「あ?」
『頑張れよ』
ぶつん。通話の終了を告げるケータイを閉じて、ぽつりと何をだよなんて呟いてみる。会いたいと思っているのだろうか。なんで。一見大人しくて生徒会なんかやってる真面目な清純派だからか。でも、そうじゃない、というか、それだけじゃないことは知ってるのに。
(……意味、わかんねえ)
考えることすら億劫だ。鞄に放り込んだ飴を出して、口に入れた。ひどく甘かった。