「はい。」

「さんきゅ」

手渡されたコーヒーカップを受け取って、口をつける。少し甘口のカフェオレは、名前の好みの味だ。名前は向かいに座って、デスクの上に広がっていた問題集や筆記用具を片付け始めた。
試合が終われば必ずと言っていいほど、ここに来るのは恒例のことになっていた。隣の家の、幼馴染の彼女の部屋。俺が突然来て勝手に入っても、まるで準備していたみたいにいつもここは綺麗に整頓されているのだ。

「……勉強してたのか」

「ん。そろそろちゃんとしないと」

高3の授業も半分以上が終了しているこの時期だ、部活に明け暮れている生徒なんてもう少ないだろう。大体は既に引退して、進路に向かって勉強しているに違いない。そしてそれは、俺とは別の高校に通っている彼女にも勿論言えることだ。

「クラスに国立大に推薦貰った子がいてさ」

「将来安定だな。おまえも見習え」

「……どーせ私は一生秋田から出れないですよ」

幼いころ東京から越してきた彼女だが、ずっと秋田にいたため、言葉のイントネーションに少し歪みが出てくるようになった。本人は気付いていないようだが、その喋り方が好きなので口には出さない。
「おー、ええでねが」それを聞くと彼女は少しむすっとした表情でこちらを睨んだ。彼女は東京に行きたいんだろうか。いや、この場合帰る、か? ……どちらでもいいか。コーヒーを飲みながら、今日はやっぱり、早めに帰ろうかと考える。それから、卒業までは来るのを控えようかとも。
そしてそこまで考えて、前回来たときも似たようなことを考えていたことを思い出す。俺にとってここは、つまり長い長い道程の中の休憩地点であって、来ないようにと思ったところであまり意味は無いのだ。

「あー、のさ……」

「ん?」

「……悪い」

「え?」

目を丸くして、名前がこちらを見る。コーヒーカップの中に視線を逃がすと、今度は間抜けな顔をした俺と目が合う。

「迷惑だろ」

「……」

「来るの控えっからよ」

顔を上げると、じっとこちらを見つめる彼女がいた。名前は2度、3度瞬きしてから、首を傾げて表情を緩めるように小さく笑った。

「じゃあ埋め合わせで今度ケーキでもおごってもらおうか」

「……は?」

「ちょっと行ったとこに美味しいケーキ屋さんがあるの、知ってる?」

「おい、」

「ガトーショコラがすごい美味しそうなんだよ、むぎゅ」

「黙れ、人の話聞かないやつが食うガトーショコラなんざねえべ」

ぎゅうと頬をつねる。「いひゃい、けんひゅけ、いひゃい」名前は思い切り顔を歪めて俺の手をぺしぺし叩いた。間抜け面。

「出来ないんならおとなしく甘えときなさい」

「は?」

「健介は、私に甘えてたらいいの」

「……その理論はおかしい」

「いいの」

語調を強めて名前はそう言って、ごくん、とコーヒーを飲み干した。……なんだそれ、意味わからん。毒気を抜かれたような気分になりながら、かたんとおかれたカップを眺める。「ごめんなんて言わないでよ」怒ったような早口で言う名前と、視線を合わせても、どうしても何を考えてるかまではわからない。

「……ガトーショコラおごってやるよ」

「えっ本当に?」

「おう」

まあ、いいか。コーヒーを飲みながら、結局この状況に甘えている自分を内心自嘲した。目の前でにやにや笑いながら喜んでいる名前のすねを軽く蹴ってみる。名前は痛い! と叫んで足を引っ込めた。「さんきゅ」「……、うん」照れたのか、頬をかきながら唇を尖らせる。
そうか、ガトーショコラね、覚えておこう。



(冷たくて癖になる)
………………
なんだか小難しいというか回りくどい感じになりました……
停滞感のようなものを感じていただければと思います

お待たせしてしまい申し訳ありません
ほたる様、素敵な言葉ありがとうございました!

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