伊月

ルービックキューブとは一般的に、3×3で分割され、それぞれの面にそれぞれの色が塗られた立方体を回して配置をバラバラにし、そこからどの位置にどの色があるかを確認しながら再び6面の色を揃えるゲームである。私のこの認識は、基本的に正しいはずだ。しかし、目の前の彼は揃え方を覚えてしまってからというものの、一般とは少々異なる揃え方をしている。
最初に全体の配色を確認してから、此方に向いている面を一度も変えずに、つまり一度も持ち直したり全体を確認したりせずに揃えてしまうのだ。

「出来た」

かしゃん、と子気味いい音を立てて最後の一手が回され、キューブが机上に置かれる。私がそれを手に取って確認する。赤、緑、橙、青、黄、白。完璧だ。間違いなく、狂いなく、私の手で20回回して配色がバラバラになっていたはずのルービックキューブは、確かに生産された時と同じ状態に戻っていた。

「伊月くん、おかしい……」

「おかしい、って、いや……別に、そんな取り立てて凄いことじゃあないだろ」

「取り立てて凄いことなんだよ伊月くん、貴方はもっと自分の凄さを理解するべきだよ」

鷲の目、というらしい。今見えている視界から、見えない部分を推定して、脳内で組み立てる。それだけなら誰にでも出来る。それが鷲の目と呼ばれる所以とは、今の状況、人の視線さえも情報として捕える精密さ、そして、それを文字通り1秒、その10分の1を争うような局面で武器として機能させるほどの、視界の組み立てとそこからの判断の速さにあるのだろう。
まるで餌を狙う猛禽類が、上空から、地上を見下ろしているように、見えているという。それほどの視野を、脳内に、しかも映像で。
一点に集中してはいけないのだ。常に全体を見渡さなければならない。集中しないように集中するというのは、かなりの精神力が問われる。

どれだけの集中力が必要だろう。正直、ぞっとした。

「目、疲れないの?」

「そりゃ、それなりに疲れるよ。脳の方も」

「だよねぇ、当たり前か……」

目を閉じて背もたれに体を預ける彼を見て、再び、揃えられた立方体に視線を戻す。彼はバスケ部である。ルービックキューブは5分も掛からずに解けてしまうが、バスケの試合はそうはいかない。
バスケのポジションのポイントガードという呼称における「ポイント」とは、いわゆる得点のことではなく、局面、つまり、ゲームの流れを左右させる要点という意味での「ポイント」を意味するらしい。そこを任されているのだ。司令塔、はたまたコート上のコーチとまで呼ばれるポジションだ、状況の把握能力、判断力は他の選手より優れていなくてはならない。
実は私にも詳しくはわからないんだけど。伊月くんは、今日全国制覇すら果たしてしまうのではないかと囁かれている我が誠凛高校の男子バスケ部で、そんな重役を任されているらしかった。

「凄いね、伊月くん」

詳しくない私は、馬鹿の一つ覚えみたいにその言葉を繰り返した。先程は謙遜していた伊月くんも、少し笑って「ありがとう」と返してくれた。

「バスケやルービックキューブじゃ便利なんだけどな」

「やっぱり、弊害があったりするの?」

「弊害っていうか……普段から客観的になりすぎる、っていうか」

「ふうん……?」

客観的になる、ということが、それほど悪いことのように感じられない。自分はどちらかというと感情的な人間だと思っているから、むしろ羨ましいくらいだ。物事を俯瞰から見て、冷静に動くというのは、なかなか難しいことじゃないかと思う。

「普通なら見なくていいものまで、見えちゃったりね」

盲目になれないっていうのは、案外ストレスなんだよ。苦い表情で、そう言った彼の言葉を無言で受け取って、私は解析する。
つまり、「見て見ぬフリ」だとか、「視界の外のこと」と割り切ったりだとか、そういうことが出来ないのだろう。1ヶ所だけ入れ換えたルービックキューブも、視点によっては全面揃っているように見せ掛けることは可能だ。しかし、伊月くんは気付いてしまう。視界の外のことが、見えてしまうのだ。

人が隠そうとするものは、大抵、人に見せないほうが良いものだ。
伊月くんは、普通の人より何倍も、世界の汚いとことかを見てきたのかもしれないなあ、と。漠然と、そう思った。

「でもさー伊月くん」

「ん?」

「勘違い、してない?」

探りを入れるように問い掛けると、伊月くんは首を傾げた。

「どういう……」

「伊月くんは鳥目だから夜の灯台の下は見えないのかな」

「例えが抽象的過ぎるだろ、」

仲良い自信はあったんだけど。だからかなあ。というか、そもそも私がそう思っているだけで、実は伊月くんの客観の対象ですらないとかいうオチなのかもしれない。ルービックキューブの裏面に負けるのか、私。それはちょっと嫌だ。勿体ぶって言葉を濁すと、伊月くんは眉を寄せた。

「結局、どういう意味?」

「伊月くん、好き」

「、え」

伊月くんの綺麗な瞳が、困惑に揺らいだ。ほら。やっぱり、見えてなかったんだね。
かしゃん、子気味いい音を立ててルービックキューブを一度だけ回した。こうすれば、何処から見ても揃ってないってわかる。ただ2か所、動かした一面と、その反対側、そこを盲目に見てさえいなければ。
一番大きく動いた一面と、その反対側は、ぱっと見何も変わらないんだから。

なら、伊月くんは、どっちを見ていたの?

「伊月くんは盲目だよ」

「……名前」

動揺したような、少し赤く上気した顔で、今日久しぶりに名前を呼ばれる。期待しちゃうなあ。なあに? って聞き返したら、状況に見合った言葉を、伊月くんは返してくれるんだろうか。でもそれじゃ意味が無い。今、此処に適切な言葉は要らないって、伊月くんもわかっているはずだ。
伊月くんは、目を閉じて、少し迷って、それから言葉を作りだす。



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