※エア新刊ネタ。パラレル。
火神20歳前後、黄瀬14歳。

(本文サンプル)



古くから伝わる貴重な書にも見られる『猛獣』という言葉は、この国では獰猛な獣ではなく人間を意味している。肉を食らう獣と互角に戦うことのできる人、それが『猛獣』と呼ばれる者たちのことだ。人間の体より何倍も大きな獣を相手に武器もなく身体一つで戦う様は、年寄りから子供まで楽しむことのできる娯楽である。贅を凝らした遊びなどない時代から脈々と、王族から地主、商人や農民の身分関係なく、退屈した人々を喜ばせてきた。闘技場の中で行われる見世物であり、これまで死んだ獣の数と『猛獣』の数はそう変わらない。あるときは獣に食われ、あるときは獣が倒され、その惨劇さえも、娯楽に飢えた人々にとっては、つまらない生活に落とされた一種のスパイスとなるのだ。
さて、水の都とも呼ばれている大陸の西に位置するこの街にも、他の街と同じように大きな闘技場があった。街を治める黄瀬家所有の闘技場は、象徴である水の流れを外壁や座席に模し、琥珀の産出地として知られていることから至る所に小さな金色の宝石が埋め込まれている。それは、この街の代表でもある黄瀬家の人々を表すような色でもあった。光色の髪に、蜜色の瞳。一等似合うのは水のように透き通った青色だと、街の住人は大人から子供まで十分に知っている。

火神という赤い髪の『猛獣』がこの街にやって来たのは、その評判を聞いた黄瀬家の当主が直々に望んだからだ。強い『猛獣』がいれば、街の外から見物人がやって来る。宿屋が潤い、飲食店も土産物屋にも客が増える。見物客はこうして街に金を落としていく。私腹を肥やすことではなく街のことを一番に考えて行動してきたからこそ、黄瀬の家は慕われ敵を作ることも無い。
水色の髪をした黒子という青年に連れられた火神は、逞しい体をしていたが大人しく、今まで見て来た好戦的な『猛獣』とは違うように感じられた。黄瀬家の当主は笑みを浮かべて二人を屋敷へ迎え入れ、大きな屋敷の北端にある部屋を黒子と火神に貸し与えた。当主が出て行くように命じるか、あるいは黒子と火神がこの街を出たいと思うまでは、二人はずっとこの屋敷で衣食住の保証をされた生活を送ることになる。

『猛獣』に怯えた侍女が大げさすぎるほどに火神から距離をおいて部屋へと案内するのを、柱の陰から見ている少年がいた。黄瀬家を象徴するようなさらさらと流れる光色の髪、蜂蜜のように蕩けんばかりの双眸はきらきらと輝いている。当主の末の息子であり、両親と、年の離れた兄姉たちに十分すぎるほどの愛情を注がれて育った黄瀬は、好奇心旺盛な子供だった。今も、生まれて初めて見る『猛獣』に心臓がどくどくと大きく脈を打っているのが分かる。本の中だけでしか見ることのできなかった強い獣が、こんなに近いところにいるのだと思うと黄瀬は嬉しかった。火神と黒子は、歳の離れた兄姉たちと同じ年くらいだろうか。当主である父からは、『猛獣』に近付くなとは言われなかった。言われていたとしても、黄瀬がその言いつけを守るわけはないのだけれど。大きな体、燃えるような赤い髪。火神という『猛獣』は、強すぎるほどに黄瀬の興味を惹いていた。

***

「触れてはいけませんよ」
黄瀬の白い手が火神に向かって伸ばされるのを見咎めて、黒子は口を開いた。これで幾度目になるか分からない。この人目を引く美しい少年は、どうしたことか『猛獣』である火神をひどく気に入ってしまったらしい。『猛獣』と呼び名がついていても、人間である。火神が黄瀬に野生の獣のように危害を加えるなどとは思っていないが、万が一にも不慮の事故があっては困るのだ。目に入れても痛くないというほど溺愛されているのだろうことは、黄瀬の表情と仕草を見るだけで十分に分かるのだから。これまでで最も居心地の良い環境を、ちょっとした不注意で失ってしまうのは残念に思えた。
「どうしてダメなんスか?」
幼い子供のように頬を膨らませた黄瀬が言う。黒子が何も言わないと分かると、黄瀬はいつものように小さく呟いた。黒子っちばっかりずるい、と。
黒子は火神に触れることができるし、火神は黒子としか喋らない。黄瀬が話しかけても、火神は何の反応も示さない。火神の耳に馴染む低い声は黒子にしか向けられていなくて、黄瀬がその声を聞くことが出来たのは二人に纏わりついていたからだ。
「黄瀬くん」
黒子は少年期特有の儚さを感じられるような黄瀬の白い手を握って、言い聞かせる。
「君と『猛獣』は、住む世界が違います。黄瀬くんは貴賓席に座り、火神くんは一番下の砂にまみれた舞台に立って戦います。火神くんが貴賓席から見下ろすことはありませんし、黄瀬くんが獣と戦うこともありません。君と火神くんは、近づき過ぎてはいけないんです」
何度も何度もそう説教されても、黄瀬は懲りなかった。火神の逞しい体に触って、色んな話を聞きたいのだ。兄や姉が読み聞かせてくれたどんな寝物語よりも、きっと火神の声で語られる日々の話の方が面白い。もっと火神のことが知りたいのだと何よりも雄弁に語っている蜂蜜色の双眸に、黒子は溜息を吐き、ずっと二人のやり取りを見ていた火神は僅かに目を細めた。

火神の髪は殺してきた獣の血で染まった色なのだという噂のために、使用人たちは黒子と火神の部屋へ近付きたがらない。それを利用して、黄瀬が二人の元へ食事を運んで来るようになった。配膳係の侍女に言えば、彼女たちは心底ホッとした様子で黄瀬にその役目を譲ってくれる。中には、内心『猛獣』を恐れながらも仕事だからと申し出を断ろうとする者もいたが、それは黄瀬のお願いという甘い声と表情でどうにでもなった。愛されて甘やかされて育った黄瀬は、自分の武器を十四歳の子供にしては十分すぎるほどに理解している。
小さめのサービングカートを押して、屋敷の一番北にある部屋の前まで辿り着く。重厚な扉を数回ノックすると、ゆっくりとドアが開いた。
「……黄瀬くん」
「今日はねぇ、ビーフシチューっスよ!」
呆れた表情を隠しもしない黒子に、黄瀬は元気に言う。客人用にしては殺風景にも見える部屋にカートを運び込んで、持ち上げた鍋をテーブルの上へと置いた。黒子は食器棚から皿を取り出している。殺風景な部屋には、大きなソファとベッドがある。部屋の奥にはまたドアがあって、その向こう側が火神の部屋だということも黄瀬は気付いていた。『猛獣』である火神に向けられる屋敷内の人々の感情も考えて、黒子がそこを火神の部屋だと指定したのだろうということも分かっている。その他に、もう一つ、出入り口からほど近いところに扉があって、今はそこから小さく水音が聞こえてきていた。
食器を並べることに集中していた黒子が、ドアノブに手を伸ばす黄瀬に気付いて慌てて駆け寄る。ドアノブが動き、きぃ、と音を立てて開いたそこには脱衣所があった。風呂場との区切り戸が閉められていなかったために、蒸気に覆われた全裸の火神が目に入ってくる。自分よりも少しばかり高い位置にある黄瀬の目を両手で塞ぎながら、黒子は火神を咎めた。
「どうして君はいつも風呂場の戸を閉めないんですか」
「あー、閉めると窮屈に感じんだよ」
「危うく黄瀬くんが火神くんの裸を見てしまうところでした」
「裸くらい、いいじゃないっスか。男同士なんだし!」
「君は黙っていてください」
好奇心旺盛な子供は手に負えません、と黒子が何回目になるか分からない溜息を吐きながら、脱衣所のドアを閉める。そして、ようやく黄瀬の目を隠していた手を離した。
「黒子っちのケチー」
「ケチで結構。黄瀬くんも、ご飯食べていくんでしょう?」
「うん、もちろん!」
最近は、黒子と火神二人っきりの食事に黄瀬も加わるようになった。黒子が湯気をたてるビーフシチューを皿に注いでいる間に、風呂から上がった火神が席につく。黄瀬の正面に黒子が座り、黒子の隣に火神という配置は、三人で食卓を囲むようになった最初から決められたものだった。黄瀬と火神が四人掛けのテーブルで一番遠くなる形である。
猫舌なのかスプーンに少しだけ掬ったビーフシチューをゆっくり口へと運ぶ黄瀬とは違い、火神は豪快にビーフシチューと添えられていた焼き立てのパンを消費していく。その様を魅入られたようにじいっと見つめる黄瀬に向かって、黒子はまた注意をするはめになる。お行儀が悪いですよ。服が汚れます。黒子は『猛獣使い』であるはずなのに、これではまるで黄瀬の教育係のようだ。その言葉に慌てて食事を再開する黄瀬へと、黒子は胸の中で小さく呟いた。そんなに熱心に見つめられると火神くんが溶けてしまいます。



(中略)



世界に存在するもの全てを打ち消してしまうのではないかと思えるほどの激しい雨が地面を叩き、時折闇色の空に稲妻が走った。しんと静まり返った廊下を、黄瀬は北端の部屋に向かって足音を立てないよう慎重に歩いている。
今夜は南の大広間で晩餐会が開かれており、『猛獣』の健闘ぶりを称えるためのそれには『猛獣使い』である黒子だけが出席していた。火神が欠席しているのは、『猛獣』として恐れられているのはもちろん、夕方の見世物で怪我をしたらしいことも考慮してのことなのだろう。これは黄瀬にとって、紛れもないチャンスだった。黒子が火神の傍にいない上に、普段は屋敷のあらゆる所にいる使用人たちも客人たちの世話で忙しい。誰も黄瀬に構っている暇は無いのだ。もしものことを考えて、乳兄弟であり客人の一人でもある高尾に、黒子を引き留めるよう頼んでいる。これで、予想よりも早く黒子が晩餐会を辞そうとしても、高尾が時間稼ぎをしてくれるはずだ。
ノックもせずにそうっと部屋の扉を開ける。殺風景な部屋を横切って、一番奥にあるドアの前に立った。これでようやっと火神に触れることが出来るのだと思うと、黄瀬の心臓は今までにないくらい大きく脈打ち始める。どくどくと、体中を熱い血が巡っているのが分かった。
音を立てないようにゆっくりとドアを押す。きぃ、と小さく軋んで開いた扉の向こう側に明かりはついておらず、カーテンの引かれていない窓から差し込む雷光が部屋の中心に置かれた大きなベッドの存在を知らせた。息を潜めて、黄瀬は部屋へと侵入する。火神は怪我をしていたと使用人たちが言っていた。それならばベッドで休んでいるだろうか。動けないほどの怪我なのか。雷が室内を照らしたのは一瞬で、今はもう暗闇に塗り込められてしまって何も様子は窺えない。
そう広くない室内の半分以上を占拠するようにして置かれているベッドに近付くのは、明かりがなくても簡単なことだった。黄瀬はほんの少しだけ迷ってから、靴を脱ぎベッドの上へと乗り上げる。ベッドの横に立って手を伸ばしただけでは、そこに人がいるのかどうか分からなかったからだ。ぎしり、と黄瀬の体重を受けて、ベッドが静かに軋む。
「近付くなって、黒子に言われてんだろ」
「っ!」
突然聞こえた声に反射で肩を震わせる黄瀬を、夜目の利く火神の赤い双眸が捕らえた。暗闇の中にあるというのに、光色の髪は明るさを纏って、蜂蜜色の瞳は好奇心に輝いている。かがみ、と形の良い唇から漏れ出た声がいつもよりも甘く聞こえ、じわりと火神の傷に響くような気がした。
「でも、俺、どうしても火神に触りたかったんスよ」
「どうせ触るだけじゃ満足しねぇんだろ」
「お話もしたいっス!」
ねぇ、かがみ。甘ったるい舌足らずな声に、火神の眉間に皺が寄る。獣の鋭い爪に裂かれた傷が熱を持って疼く。すぐ近くにいる無邪気な子供は、火神が血の匂いを帯びていることにも気付かない。何も怖いものなど知らないのだという一切の濁りも無い、宝石みたいに綺麗な瞳が歪むときは来るのだろうか。医者にもらった薬のせいか、火神の脳は常よりもぼんやりとして正常な働きを失っている。
大きく軋んだベッドの音が耳に入るのと、背中に柔らかいシーツの感触を覚えたのは同時だった。黄瀬の細い手首は両方とも、火神の体温の高い手でベッドの上に縫い止められている。ぱちぱちと瞬く黄瀬の理解を助けるように窓の向こう側で閃光が走り、天井を背にした火神の、血の色の瞳が見えた。
「かが、み」
黄瀬の発した声は、轟いた雷鳴に掻き消される。
火神に触れられている。その手はしっかりとした骨とそれを覆う筋肉の存在を柔らかな皮膚の下に隠して、黄瀬に触れている。そう感想を抱く前に、火神に嬉しさを伝える前に、黄瀬の口は火神の口で塞がれてしまった。緩く開いていた唇から、火神の厚みのある舌が入り込んできて黄瀬の舌を絡め取る。それは柔らかい頬の内側を撫で、歯列をなぞり、口蓋を掠め、十分に咥内を嬲った後に出て行った。形の良い唇から細い顎までを火神のぬめった舌が這って、黄瀬が飲み込みきれなかった唾液を舐め取っていく。



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エア新刊ネタをやってみたかったのです。安定のパラレル病ですが、満足してます。


2013.03.16.
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