※捏造設定。帝光。黄瀬視点。


帰ろうと思って開けた下駄箱からは、その中身が姿を消していた。またか、と一つ溜息を吐いて脱いだ上履きを再び履き直す。
あと二か月もしないうちに卒業式を迎えて俺の顔なんて見なくて済むようになるのに、と思いながら、とりあえず校舎を一回りすることにした。無くなった靴は、どうせ見つからないに決まっているけれど念のため、だ。
廊下や階段をランドセルを背負った生徒たちと擦れ違いながら最後に辿り着いたのは、木造の旧校舎。今は物置として使われている埃っぽい校舎内に入ると、どこからかピアノの音が聞こえてくる。
二階の廊下の突き当たり、音楽室という煤けたプレートの掲げられた教室の中は、カーテンで遮られて見えない。誰が弾いているのかも分からないし、もしかしたら幽霊かも、と考えて少し可笑しくなった。そのまま音楽室を背にして、廊下に座り込む。
しんしんと冷える空気の中、耳に流れ込んでくる音楽は温かくて心地よかった。ゆっくりと目を閉じる。
卒業まで一カ月と少しとなった二月の夕方。校舎内に響く音色は、どこまでも澄んでいた。



あなたにワルツを




三学期になると、掃除の担当場所が音楽室に変わった。
掃除が終われば放課である。我先にと音楽室を出て行く同級生を尻目に、俺は教室の真ん中を陣取るグランドピアノの前に座ってみる。

(えっと……)

二年前に聴いた音を思い出しながら鍵盤に指をのせた。
あれから卒業までの毎日を旧校舎に通ったけれど、とうとう演奏者の姿は見れずじまいだ。だから、模倣はできない。

(こう、だったっけ?)

けれども音感は優れている方だったから、記憶に残ったメロディーを追うように人差し指だけを動かしてみる。途切れながらの拙いそれでは、やっぱり物足りない。
曲名だけでも訊いておけばよかった、と物思いに耽っていると、音楽室のドアが開いた。

「黄瀬?」

「あ、緑間っち」

「ピアノを弾いていたのは、お前か?」

緑間っちは俺の隣へと近寄って来ると、そのまま鍵盤の上へと両手をのせる。
長い指が複雑に動いて紡ぎ出すのは、俺の記憶と寸分違わない曲だった。気持ちが弾むような軽やかなテンポで、最初から最後まで流れるように鍵盤を叩いた緑間っちがピアノから手を離す。
純粋にすごいと拍手を送る俺の隣で、彼はテーピングの施された左手で眼鏡を押し上げた。

「ピアノ弾けたんスね、緑間っち!あと、その曲の名前教えて欲しいっス!」

「名前は無いのだよ」

「え、名前ついて無いんスか?それなら何で緑間っちこの曲知ってるんスか?」

名前のついていない曲なんてあるのだろうか。名前はついていないけれど、ピアノを嗜む人にとっては有名なのだろうか。
首を傾げる俺を一瞥して、緑間っちは口を開く。

「これは、俺の作った曲なのだよ」

緑間っち作曲できるんだ、と感心しながら、傾げていた首を今度は反対側に傾ける。俺があのとき聴いたのは、緑間っちの作った曲で、でも弾いていたのは…?
頭の上に疑問符が浮かんでいるだろう俺に向かって、だからお前はダメなのだよ、という聞き慣れたセリフが降ってくる。

「お前とは、同じ小学校だ」

「えっ、マジっスか!」

そう言われれば、帰る方向は同じで何気に家も近かった。同じ小学校に通っていたとしても、何の不思議もない。
気付かなかった、と呟いた俺を見て、緑間っちは瞳を細める。

「そういえば、黄色い頭の子犬がこの曲を聴きに来ていた時期があったな」

僅かに緩められた頬に、当時の自分のことを言われているのだと気付いてぱちりと音がしそうな程大きく瞬いた。

「気付いてたんスか……?」

旧校舎の中は薄暗く、音楽室のドアや窓には全部重たいカーテンが引かれていて、外からはもちろん中からも様子は見えなかったはずだ。
再び首を傾げる俺の隣で、緑間っちは鍵盤の上に緋色のキーカバーを敷いた。

「一度、うたた寝していただろう。それをたまたま目にしただけだ」

自分で決めた練習をこなして音楽室を出た瞬間、足元に転がっていた金髪に驚いた、と言って、緑間っちはそのまま鍵盤蓋を閉じる。

「行くぞ」

その言葉に、ようやく部活のミーティングがあることを思い出した。もしかして、彼はわざわざ迎えに来てくれたのだろうか。
壁に掛けられた音楽室の鍵を取りながら、一歩先を行く緑間っちにおねだりしてみる。

「また、あの曲弾いて欲しいっス!ね、お願い!」

弾んだ俺の声にわざと大きく溜息を吐いて、仕方ないのだよ、と零された言葉は優しかった。


一月の冷える学校の廊下を二人並んで歩く。耳にしっかりと残るワルツのメロディーが心地よかった。




2012.08.22.
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