6日目


「火神っち」

甘い声に呼ばれて目を覚ました。変な呼ばれ方だとは思ったが、寝起きの頭ではそこまで考えられず、“かがみ”という響きが入っていたことにだけ反応したようだった。
カーテンの引かれていない窓から入り込む朝日が、白い室内を照らしている。同じように白いベッドの上で、黄瀬が身を起こし、眩いほどにきらきらと光を反射させながら俺を覗き込んでいた。

「黄瀬、大丈夫なのか!?」

「大げさっスよ。こんなのがなくても、腕動かせるっス」

黄瀬は笑いながら、片腕を固定しているギプスを指差す。

「ってか、お前喋れるんだな」

そう言う俺に、黄瀬は少しだけ眉を下げてみせた。もうすぐお別れっスからね、と呟く声が耳に入ってくる。
どういうことだよ、と訊く俺のために、黄瀬は口を開いた。

「気が遠くなるくらい長い間、空の上からずっと見てたんスよ。人間って楽しそう、羨ましい、って。で、とうとう我慢するのにも限界がきて、人間になりたいって神様に頼んだんス。ダメもとだったけど、神様は俺に甘いから我が儘をきいてくれた。人間にしてくれた。喋れないっていう条件と、三日過ごしたら天界に戻るっていう期限付きでね」

黄瀬が俺の前に現れてからは、とっくに三日なんて過ぎ去っている。眉を顰める俺に向かって、黄瀬は微笑んだ。

「そう、期限守らなかったんス。あんまりにも、火神っちと過ごすの楽しかったから。何にも出来ない俺に色々教えてくれるし、もっと色んなこと知りたくなっちゃって」

それに、と黄瀬は続ける。

「神様が何で“喋れない”っていう条件付けたか分かるっスか?人間が、俺のこと面倒臭がって相手にしなければいいと考えたからっスよ、きっと。にも関わらず、火神っちは優しかった。火神っちだけじゃなくて、黒子っちも先輩たちもね。喋れないのに、表情から汲み取って世話してくれたでしょ?すごく嬉しかった」

ぱちり、と音がしそうなほど大きく黄瀬が瞬いた。金色の長い睫毛が、日に焼けていない滑らかな頬に影を落としている。

「神様は俺に甘いけど、それと同じくらい独占欲も強いんスよ。なかなか戻らない俺に痺れを切らして起こしたのが、昨日の事故。早く帰って来いっていう忠告。だから、火神っちのお世話になるのはこれで終わり。最後の我が儘に、喋れるようにしてもらったっス。火神っちにお礼言いたくて」

俺の両頬に、黄瀬の白い手が添えられる。見つめて来る濃い蜂蜜色の瞳に、俺の顔が映りこんでいた。

「人間のお礼の仕方、テレビで見たからたぶん合ってると思う」

自信満々にそう言った黄瀬の形の整った唇が、俺の唇に触れた。一秒もないくらい短いキスの後、黄瀬が微笑う。

「火神っち、ありがとう。楽しかったっスよ」

うっすらと朝の光に透けていく黄瀬の背中に、白いものだらけの病室よりも真っ白な翼が現れる。きらきらと綺麗な金髪をどこからともなく吹いてきた風に靡かせて、蕩け出しそうな蜂蜜色の瞳に俺を映したまま、黄瀬は姿を消した。







◇◆◇








「やっぱり、黄瀬君は天使だったんですね」

ぼんやりとしたまま病院を後にし、学校へと到着した俺が大まかに事情を説明すると、黒子は納得したように頷いてみせた。

「知ってたのか?」

「いえ。でも、もしかしたらとは思っていました。本で読んだ天使の外見描写そのものだったので」

薄い色のガラス玉のような瞳が、俺を見上げてくる。

「黄瀬君がいなくなって寂しいですか?」

「あー、そうかもしんねえな」

「甲斐甲斐しく世話焼いてましたしね」

幼い子供を持つ父親のようでしたよ、と言って黒子は笑った。まさかその子供に、テレビで放送されていた映画を参考にしたとはいえ、キスされたなどとは報告出来ない。

「またいつか、黄瀬君に会えるといいですね」

「……そうだな」

神様に我が儘言ってまた遊びに来いよ、そう胸中で呟いた言葉は、空の上にいる黄瀬に届いただろうか。
どこまでも青く澄み渡る空には、黄瀬の翼のように白い雲がふわりと浮かんでいた。






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