1日目


黄瀬君というみたいですよ、と黒子が差し出したのは、蔦が這うような独特の書体で『黄瀬涼太』と印刷された一枚の紙だった。言葉を話せない、字も書けない、こちらの言うことは分かるらしい、という状況の中では、ただ一つ名前が判っただけでも都合が良くなるものだ。
人間でないのなら警察に行ってもしょうがないと結論を出して、昨夜はそのまま解散となった。そういうわけで金髪改め黄瀬は未だ俺の部屋にいる。



寝て起きたら夢だったということを期待したのだが、現実は思い通りにはいかないらしい。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。
三月末の室内とはいえ布一枚では心許ないと思い貸した俺の服は、黄瀬には少し大きかったようだ。身長は然程変わらないというのに、襟元が緩めに開いて鎖骨が覗いている。

「ほら、食えよ」

白いスープカップを黄瀬の前のテーブルに置く。きょとん、と彼は不思議そうに首を傾げたが、正面に座った俺が食事を始めたのを見て同じようにスープに口をつけた。
少なからず黄瀬のことを考えて作った朝食メニューは、野菜スープとベーコンエッグとトーストだ。和食よりは洋食のような気がした。
見よう見まねでナイフとフォークを使い、ベーコンを切り分けるのに奮闘している黄瀬を盗み見る。黄金色の髪は窓から差し込む朝日でキラキラと目に眩しいくらいに輝いて、蜂蜜色の瞳を覆う睫毛は邪魔じゃないのかと思うほど長い。鼻梁は綺麗に通っており、薄い唇はスープを飲んだばかりで艶々としている。それはもう恐ろしく整った見目だ。詩人がいたなら神様の最高傑作とでも形容するだろうし、詩人でなくても万人が美しいと称賛するに違いない。
一口大に切り分けたベーコンを口に運んでは不思議そうな顔をし、試しにメープルシロップをかけてやったトーストを小さく噛みちぎってはとろりと瞳を細める。
結論から言うと、黄瀬はベーコンもメープルシロップも初めて食べたみたいだった。ナイフはおろかフォークの使い方も分からないとなれば、ますます人間離れしている。実験的に持たせた箸も、何の用途か分からないようである。
黄瀬がゆっくりと食事をする傍らで、俺は彼の優に三倍はある量の朝食を食べ終えて部活の用意を始めた。春休みといえども、部活は休みにはならない。
スポーツバッグにタオルやら着替えやらを詰め込んで、あとはもう家を出るだけといったところで黄瀬を見る。皿に残ったトーストの一欠片を口に押し込むところだった。

「俺は部活行ってくるから、大人しくしてろよ」

テーブルの上の食器を流しに持って行き水を張り、そのままスポーツバッグを肩にかける。別に黄瀬が暴れるなどとは思っていないが、口をついて出たのはそんな言葉だった。俺の顔を見て黄瀬は頷くと、にっこりと微笑む。行ってらっしゃい、とでも言われたような気分になった。







◇◆◇








「黄瀬君、どうしてますか?」

黒子にそう問われたのは、昼休憩のことだった。朝はゆっくりと話す時間がなかったのだ。
サンドウィッチを摘む黒子の隣で、惣菜パンの山を一つ一つ減らしながら俺は口を開く。

「何も変わりないぞ。朝はちゃんと飯食ってた」

「それは良かったです」

「甘いもん好きなんじゃねーかな」

メープルシロップのかかったトーストを口に含んだときの、ゆるやかに細められた双眸を思い出した。メープルシロップよりも甘そうな蜂蜜色の瞳は一層濃くなり、薄い唇は控えめに弧を描く。瞬時に、メープルシロップが気に入ったのだと判断できた。

「今日は、寄り道出来ませんね」

紙パックのジュースを啜りながら、黒子が言う。ガラス玉のような瞳が俺を見つめていた。

「黄瀬君が待っているんでしょう?」








◇◆◇







黒子の言葉に急かされるように、部活が終わるとすぐにシャワーを浴び着替えて部室を後にした。寄り道もせず、競歩に近い速度で家までの道を進む。
時間にして十二時間しか一緒にいなかった相手のことを思って、帰宅を急ぐというのもおかしな話だ。それでも、家を出るときに見た笑顔と、黒子の待っているという言葉が胸にひっかかっている。早く帰らなければ、という気にさせられる。
二段飛ばしに階段を駆け上がって、鍵穴に鍵を差し込んでドアを開けた。玄関に入ってドアを閉め、鍵とチェーンをかけたところで一息吐く。ゆっくりと靴を脱いで揃えてから、廊下を大股で移動しリビングへと繋がるドアを開けた。
ガチャリという音に反応して、床に座っていた黄瀬がこちらを見る。

「……ただいま」

言うか言うまいか迷って口にした言葉に、黄瀬はぱちりと瞬いてにっこりと微笑んだ。テーブルとソファの間の床にゆったりと座ったまま、彼はこちらを見上げている。

(ん?)

変な感じがした。朝食を摂ったときも、黄瀬は今座っている場所にいた。向かい合って食べたのだから、間違えるはずがない。そのときのガラステーブルの棚に置かれた雑誌の位置とか、ソファに出来た皺の位置とかを思い出してみるに、黄瀬は朝から一ミリたりともその場を動いていないことになる。

(大人しくしてろって言ったから、動かなかったのか?)

身じろぎ一つしないなんてあり得るのだろうか。朝も思ったが、やはり黄瀬は人間というには心臓以外にも色んな物が欠けているようだった。
明日も部活がある。俺が家を留守にしている間ずっと、黄瀬は指の一つも動かさないのだろう。もしかしたら、瞬きさえしていないのかもしれない。そんなのは、ただの人形と変わらない。

「明日から、俺と一緒に部活行こうぜ」

俺以外の人とも交流してみれば、ナイフとフォークの使い方以外にも多くのことを学べるんじゃないか。少しずつ、人間らしくなるのではないか。俺はそう期待して、黄瀬をバスケ部の練習に連れて行くことを決めた。








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