いつになったら


百日紅が赤紫の花をつけてから三十日を迎え、早々に東から昇った太陽はじりじりと地面を焦がしていた。蝉が暑さを煽るように喧しく鳴いている。

「お前まだ喰われてねーの?」

外の暑さよりは随分と過ごしやすい涼やかな風が通り抜ける屋敷の一室で、青峰が発した言葉に緑間は手に持っていた湯のみを取り落とした。替えたばかりの青い畳にお茶が沁み込んでいくが、口に含んでいたお茶を噴き出さなかっただけマシだろう。
朝から下品なことを言うな、と咎める緑間のことなど意に介した風もなく、青峰は隣に座る黄瀬を見た。

「喰われる?」

「赤司に」

「……征十郎さんは俺を食べないっスよ。ね、黒子っち」

幼い子のようにこてんと首を傾げながら、黄瀬は隣に座る黒子に視線を遣る。
『龍神様は、人を食べたりなどしません』
ひと月前の、宥めるように優しく黄瀬に向けて紡がれた声が頭に蘇る。体中を覆い尽くしていた不安から解放してくれた世話係の言葉を、黄瀬は昨日のことにように覚えていた。
実際、赤司が黄瀬を食べたりするような素振りはない。いつも綺麗な笑みを浮かべて優しく頭を撫でてくれる赤司が、黄瀬を食べたりなどするだろうか。
黄瀬の問いに十分な間を置いて、そうですね、と答えた黒子を、青峰が呆れたような目で見遣る。遅かれ早かれ喰われちまうんだから、とでも言いたげな視線を受け止めて、黒子は一つ息を吐き出した。
黄瀬を不安にするようなことがあれば、それこそ赤司に咎められてしまう。赤司が黄瀬を喰うつもりなのは確かだが、今ここで本当のことを教えて何になるというのだ。黄瀬の不安を煽り、赤司の不興を買って、黒子には何の得にもならない。世話係というのも大変だ。

「黄瀬は、赤司と一緒に湯浴みして一緒に寝てんだよな?」

青峰の問いかけに、黄瀬は頷いた。緑間も、紫原も、黒子も、この部屋にいる誰もが周知の事実を再度確認するかのように青峰は言葉を続ける。

「一晩中、赤司と一緒にいるよな?」

「そうっスよ」

にっこりと嬉しそうに笑って言う黄瀬を見て、青峰は眉間に一つ皺を寄せた。
日中は世話係である黒子や、共に暮らしている青峰、緑間、紫原の誰かと一緒に過ごしていることがほとんどの黄瀬であるが、日が沈むと赤司の元へと呼ばれて朝まで顔を見せることはない。
だから、青峰は黄瀬がもう喰われていると思っていたのだ。
それに、嫁にしたいほど気に入った者と一晩過ごして手を出さないほど、赤司は聖人君子ではない。赤司は聖人ではなく龍神だ。己の手に入れたいもののためなら、村の作物が育たず人が飢えようとも気にしない神だ。
そんな赤司が、黄瀬をまだ喰らっていない。
青峰はそのことに驚き、そして可笑しくなった。
くっくっ、と肩を震わせる青峰を心配そうに見ているのは黄瀬ばかりで、緑間は畳に零れた茶を拭いながら、要らぬことばかりを言う奴だ、と溜息を零している。
笑いが治まらぬ青峰を咎めるように見遣ってから、黒子は隣にいる黄瀬へ向かって言葉を紡いだ。

「黄瀬君、青峰君のことは放っておいてください。あまり構っていると、お馬鹿が伝染ってしまいますよ」

「おい、テツ。馬鹿ってなんだ」

じゃれ合いの様な軽い口論を始める青峰と黒子の間に挟まれておろおろしている黄瀬を、今までずっと黙っていた紫原がおいでおいでと手招いた。座敷の一番涼しい場所で、だらしなく座る紫原の周りには、色とりどりの金平糖が転がっている。
戸惑いながらも青峰と黒子の間から抜け出し、畳に散らばる砂糖菓子を避けて近付いて来た黄瀬を、紫原は膝の上に座らせてぎゅっと抱きしめた。花のような、あるいは蜜のような、甘い香りのする黄瀬に満足すると、金色の髪に隠れた形の良い左耳に唇を寄せる。不思議な色の耳飾りがついているそれを、舐めたいなと思いながら紫原は囁いた。

「気になるなら、赤ちんに直接訊いてみればいいんじゃない」

ぱちり、と琥珀色の瞳を瞬かせてこちらを見上げる黄瀬に向かって、紫原は藤色の双眸をゆっくりと細めてみせた。
黄瀬ちん可愛い、食べちゃいたい。
そう思ったことは、赤司には内緒である。







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