雨の中の花嫁


今日も、雨が降る。
粗末な厩の隅で膝を抱えながら、黄瀬は激しい雨音に混じって聞こえてくる村人の声に耳を傾けていた。
隣村の畑は、全て水没してしまった。
この村の畑がだめになるのも、時間の問題だろう。
半ば怒鳴りながら交わされる会話に、村人たちが切羽詰まっているのが分かる。
それもそのはずだ。もう何日になるか分からないほどずっと、雨が降り続いている。地面はぬかるみ、畑には水が溜まり、川と畑の境もあやふやなものになってしまった。
お天道様の光さえ届けば、と黄瀬は思う。この馬さえいない雨漏りだらけの厩も、少しは過ごしやすくなるのに。湿ってしなしなになった藁に包まって寝るのは、気持ちのいいものではなかった。
一層激しさを増した雨に加えて、雷鳴も聞こえ始める。壁板の隙間から見える稲妻に怯えながら、黄瀬はしっかりと抱え込んだ膝に額を押しつけた。





涼太、と名前を呼ばれた。
随分久しぶりに聞いた気のするその名が、自分のものだと思い出すのに時間が要るくらいには誰にも名前を呼ばれていなかった。それは誰にも必要とされていなかったことと同義だ。
厩の入り口に立った義母は、黄瀬を手招いてみせる。呼ばれるまま立ち上がって近付いた黄瀬の手を引いて、義母は厩を出た。雨の降る中、手を引かれるままに細い道を歩いて辿り着いたのは、村で一番立派な村長の屋敷だった。
門まで迎えに出て来た村長に出迎えられ、黄瀬は義母と共に家の中へと上がる。土に垢にと汚れた黄瀬の手を引く役目は、村長の下女へと取って代わった。
広い湯殿へと連れて行かれ、頭のてっぺんから足の先、身体の隅々までを洗われる。そして単衣を着せられて向かった先には義母の他にも何人かの下女がいて、理由も知らされないまま白くて重い着物を纏わされた。
同じようにされるがまま、顔に白い粉を塗られて真っ赤な紅を唇に引かれたところで、黄瀬はようやっと喋ることを許された。

「これは、何ですか?」

「花嫁になるのですよ」

久しぶりに交わした言葉だからだろうか、義母の言うことが黄瀬には分からない。
両親を亡くした黄瀬を引き取って、厩とはいえ雨風の凌げるところにおいて飯を与えてくれた義父と義母には感謝している。いつか恩返しをしようとも思っている。それが何故、花嫁という言葉に繋がるのだろうか。

「……花嫁、というのは、女の人がなるものではないのですか?」

黄瀬は、頭の中の少ない知識を引き出しながらそう問うた。年はもう十五になって、胸はもちろん膨らまないし体も女のように柔らかくは無い。どこからどう見ても、黄瀬は男であるはずだった。
疑問を呈した黄瀬を、義母は嗤う。

「女でも男でも変わりないのです。どうせ喰われるのだから」

それに、と言葉を続けたのは、村長と共に部屋へと入って来た義父だ。

「お前の名には“水”が入っているから、喜ばれるだろう」

どういう意味なのだろう。黄瀬の知りたいことは何一つ分からないままだ。
大人たちに促されるまま立ち上がり、重くて綺麗な着物に苦労しながら歩く。下女に真っ赤な傘を差し掛けられ、先を行く義父に従って辿り着いたのは、村を流れる川だった。
雨で増水した川の水は茶色く濁っており、轟々と音を立てている。その脇に幾人もの村人たちが集まって、黄瀬を待ち構えていた。
どうしたのだろう、と未だに理由の分かっていないのは黄瀬だけであるようだ。
後ろ手にされた腕を重石のついた縄で結ばれても、ぼうっとしたまま黄瀬は首を傾げる。雨の中にいていいのだろうか。こんなに白くて上等そうな着物だから、泥がはねて汚れてしまったらどうしよう。
状況が分からずぼんやりしている黄瀬の肩を、村長が掴んだ。にっこりと優しげに微笑みかけ、そうして村人にも聞こえるように大きく口を開く。

「龍神様の花嫁となり、雨が止むよう頼んでおくれ」

どん、と力を入れて背中を押されてしまえば、黄瀬は為す術もなく川の中へと飲み込まれてしまう。白い着物が、瞬く間に濁流に飲み込まれて消えた。





――あぁ、イケニエかぁ。
冷たい水に体が触れてようやく、黄瀬は自分の役目を理解した。泳ぎは不得手ではなかったけれど、ただでさえ重い白無垢が水を吸い、重石は重力に従ってどんどん川底へと沈んでいく。
けれど不思議なことに、いつまで経っても息は苦しくならなかった。口の中に水が入り込むこともなく、あんなに濁っていた水も黄瀬の周りだけ綺麗に透き通って見える。まるで、何かの膜に包まれ守られているようだ。
そう思う黄瀬の目の前に、のっぺりとした顔が現れた。驚いて目を瞠る黄瀬の頭に、声が響く。

『花嫁さんですか』

頷く黄瀬に、そののっぺりとした生き物はどこか神妙に頷き返した。

『それでは、しばらく眠っていて下さい』

小川の流れのように心地好い声に、術にでも掛けられたみたいに黄瀬はすとんと意識を手放す。
黄瀬を覆う大きな泡を器用に転がす生き物は、水を伝って聞こえてくる主の言葉にただ従うのみである。

『テツヤ、それの世話係は任せたよ。僕の屋敷に運んでおくれ』

『分かりました』

ブクブクと口から小さな泡を吐きながら、黄瀬を連れた生き物は水の流れるままに屋敷のある町を目指した。




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