※海常:春


どこまでも続く水色の空と咲き始めた花壇の花が、扉の開け放たれた体育館内から見えていた。賑やかな小鳥の囀りが耳に飛び込んでくる。春、海常高校男子バスケ部は新入部員を迎えた。
在学生である部員と対面するように、新入部員が並んでいる。強豪校であるため、入学式の前から練習が行われる。今日がその初日だった。
黄瀬は初々しく輝いているように感じられる新入部員達から視線を逸らして、広い体育館を見渡す。笠松たちが卒業する前と部員数はさほど変わらないというのに、体育館がどこか寂しく感じられるのは黄瀬の心情が影響しているからだろうか。
あんなに優しく黄瀬を叱ってからかって宥めてくれた人たちとは、たったの一年しか一緒にいられなかった。寂しい、行かないで。声には出さずに言う黄瀬に、笠松たちは今までと同じように頭を撫でてくれた。遊びに行くからサボるなよ、と言葉を紡ぐ声はひどく優しく耳に残った。涙が零れそうになるのを堪えて頷いたのは、二週間ほど前だったか。今もまだ目を瞑ると、卒業していった先輩たちの、頼りになるユニフォーム姿が瞼の裏に鮮明に浮かぶ。

「黄瀬」

「っ、何、スか?」

隣に立っていた同学年のチームメイトに小声で名を呼ばれて、ぼんやりとしていた黄瀬は驚いてしまった。黄瀬よりも10センチほど低い身長の彼は、笠松の後を引き継ぐPGである。
新入部員の自己紹介をするから並べと言われて、何となく定位置になっていた列の一番端に立ったのは十分以上前。強豪校の新入部員ともなると、それなりに数は多い。よそ見をしていたことを咎められるだろうかと身構える黄瀬に、チームメイトは再び口を開いた。

「知り合いか?」

「へ?」

「帝光中出身だって」

視線で示された先には、190センチは超えているだろう長身の、枯茶の髪に鋭い目つきの少年が立っていた。全体的に筋肉がついて、均整のとれた体。ポジション的にはセンターだろう。
黄瀬はそこまで観察して、隣に立つ友人の質問を思い出す。知り合い、か。

(あんな子、いたっけ……?)

黄瀬は僅かに首を傾げる。頭の中でどさどさと中学時代の記憶を引っ繰り返してみたが、そのどれもが目に眩しいほどの色鮮やかなものばかりだ。
赤、青、紫、緑、桃、そして水色。どれもが目に焼き付いて離れない大事な色。忘れることなどできない、モノクロだった世界を綺麗に染め上げてくれた色。黄瀬の帝光中バスケ部の記憶は、全てが主張の激しい美しい色で塗り潰されている。

「知らない、と思う」

「あー、帝光は部員数多いもんな」

はっきりとはしない黄瀬の返答を、友人は気にすることもなく受け取った。部員が百人以上もいるなら、知らない奴がいたって不思議じゃねえよ。フォローのつもりか囁くようにそう言って、友人は黄瀬の背中を軽く叩く。
本当のことを言うわけにもいかず、黄瀬は困ったように笑みを浮かべて再び視線を新入部員の列に移す。列の端に立っている“同中出身の後輩”と目が合った気がした。





「あの、ちょっと待って!」

黄瀬が帝光の後輩らしい新入部員に声をかけたのは、聞き逃してしまった名前を訊くためだった。新入部員に課されたメニューは終わったようだし、彼は着替えるために部室へと戻るところだろう。
体育館と部室棟までの間、今にも沈もうとしている夕日が黄瀬の金髪を赤銅色に染めている。

「名前、教えてくれないっスか?」

近くで見ると、背の高さがはっきりと分かる。緑間くらいの身長だろうか。きつい目つきで僅かに見下ろされる視線に、黄瀬はいたたまれなくなった。ぼんやりせずにちゃんと自己紹介聞いておくべきだった、と今更後悔しても遅い。

「……帝光中出身の桐生雅喜、です。あんたはキセキの先輩たちに夢中だったんで、俺のことなんか知らないでしょうけど」

「え」

「それじゃ」

それだけ答えると桐生は身を翻してしまった。部室へ向かう角を曲れば、その姿はすぐに見えなくなってしまう。予想外のことに黄瀬はその場に立ち尽くしていた。
帝光中時代は、黄瀬の入部時期が影響して一学年下との関係が微妙だったことは知っている。自分たちよりも入部の遅かったやつが急に先輩になってしまうのだから、彼らも戸惑ったとは思う。
だけれど、今の、桐生の態度は何なのだろう。桐生は、睨んでいるといっても過言ではない目つきだった。後輩とは、先輩をあんな目で見るものだろうか。少なくとも、黄瀬の笠松たちに対する態度とは違う。

「嫌われてるのかなぁ」

年下が苦手だという自覚はあった。仕事先では大人たちに囲まれて、中学時代は赤司たちばかりを見ていて後輩と接触する機会も数えるほどしかなかった。末っ子のように扱われるのに慣れてしまって、年下の子とどう接すればいいのか迷ってしまうから困るのだ。そういった態度が表に出てしまっていたのだろうか。
どうしようかなぁ、と黄瀬はその場にしゃがみ込む。帝光中出身ならば、桐生はすぐにレギュラーにもなるのではないか。海常が勝つためには、チーム内での不和などあってはならないのに。
悩む黄瀬の小さく丸まってしまった体を、海へと完全に沈む直前の夕日が赤く照らしていた。



***



「桐生君ですか、覚えていますよ」

いつものマジバで黄瀬の正面に座った黒子はそう言って、シェイクのカップに手を伸ばす。黄瀬が黒子を呼び出したのは、午前練だけで部活が終わった日のことだ。桐生のことを覚えているかどうか、覚えているならどんな印象だったかを知りたかったのだ。

「ほんとっスか?」

訊き返す黄瀬の隣に座る火神は、相変わらずトレーにチーズバーガーのピラミッドを築き上げている。黒子と黄瀬の会話に耳を傾けながら、火神は口いっぱいにチーズバーガーを頬張った。
桐生の、黄瀬に対する態度は徹底している。先輩呼びもしないどころか、下の名前にさん付けで呼んでくるあたりなめられているに違いない。体育会系の厳しい縦社会を強要するつもりはないけれど、同学年が先輩と呼ばれているのに黄瀬だけ呼ばれないのは何だか寂しい。

「えぇ。濃い茶色の髪の、目つきが鋭い子ですよね。紫原くんがいなかったら、彼がスタメンだったんじゃないでしょうか」

「げ、そんなやつが海常にいんのかよ」

「ますます手強くなりますね」

会話を交わす誠凛高校バスケ部・光と影コンビの隣で、黄瀬は唸る。
そんなに強い子ならばほんの少しでも印象に残っているはずなのに、と思うが、黄瀬の記憶は依然華やかな色に覆われたままだ。記憶の隅から隅まで、鮮やかな色ばかりで塗り残しなんて存在しない。
青峰の華麗なドリブルと、緑間の確実な3Pシュートと、紫原の鉄壁の守備と、赤司の適切な指示と、黒子の綺麗に飛んでいくパスと。思い出すのは、練習だったり試合だったり、部活終わりの買い食いの光景といった、今はキセキの世代と呼ばれるようになった皆との楽しくて懐かしい思い出ばかりだ。
テーブルに伏せっていた黄瀬の柔らかい光色の髪を、さらりと黒子が手にとって撫でる。顔を上げた黄瀬に向かって、黒子は僅かに眉を下げて微笑んだ。

「君は本当に、僕たちのことが好きですね」

少しだけ、桐生君の気持ちも分かる気がします。小さく呟かれた黒子の言葉に、黄瀬も火神も首を傾げるばかりである。


2013.01.03.


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