※帝光。
人じゃないものに好かれる黄瀬くんの話。

傘々日和(さんさんびより)


「黄瀬君」

中学生活最後の全中後にバスケ部を退部し、その影の薄さを駆使して元チームメイトを避けていた黒子は、自分でも意識せぬまま黄瀬の名を呼んでいた。十月に入ったばかりの爽やかな青空の下、雨が降っているわけでもないのに真っ赤な傘を差しているのは異様に思えたからだ。

「あ、黒子っち!」

嬉しそうに振り返った黄瀬は、すぐに慌てた様子で黒子の腕を掴むと傘の下へ引き寄せた。驚いて目を見開く黒子に向かって、困った顔をして黄瀬は言う。

「傘も差さないでどうしたんスか。雨に濡れたら風邪ひくっスよ」

黄瀬の頭上にある傘は、到底日傘には見えなかった。晴雨兼用というわけでもないだろう。舞台女優がひいている口紅のように真っ赤な色は、男物だとは考えにくい。
半分だけ差しかけられる傘の下からは、雲一つない青空と暖かな日差しを注ぐ太陽が見える。買い物袋を提げた女性が、こちらを不可解な目で見て通り過ぎた。




「ここのとこずっと雨っスよねぇ」

相合傘をして歩きながら、黄瀬はそう呟いた。

「ずっと雨でしたっけ?」

「そうっスよ。もう一カ月くらいになるんじゃないスか?」

例え梅雨でも、そんなに雨が続いたりはしない。事実、この一カ月は晴天の方が断然多かった。

「でも、皆おかしいんスよねぇ。雨なんて降ってないって言うんスよ。緑間っちなんて真剣な顔して、一緒に病院に行こうなんて言うの。何そのジョーダン、って笑ったんスけど」

そこで一旦言葉を切って、黄瀬は僅かに眉を下げて微笑う。

「自主練しに体育館に行くと、緑間っちがすっごく怖い顔してこの傘睨むんだよね。毎回毎回、病院に行け、雨など降っていない、ってさ。そんなはずないじゃん。灰色の分厚い雲から、これでもかってくらい雨降ってるのに」

だからさ、最近はもう練習にも行ってないんスよ、と言う黄瀬の、傘の柄を持つ手にぎゅっと力が込められたのが分かる。
最初はからかわれているのかとも思ったが、黄瀬の様子は至って真剣だ。何を言えばいいかも分からず、黄瀬の他愛ない話を聞く。雨など降っていないという一言を言えぬまま、しばらく歩いて黄瀬とは別れた。






「黄瀬君のことですが」

翌日、赤司の元を訪れて黒子はそう切り出した。ぱちり、と将棋の駒を盤上で動かしながら、口にされていない黒子の質問に赤司は答える。

「傘に惚れられたんだよ」

意味が分からない、とでも言いたげに眉を顰める黒子を見遣ってから、赤司は将棋盤へと視線を戻した。

「雨が降れば、傘を使わざるをえないだろう。毎日が雨ならば、毎日傘を使うことになる。黄瀬にだけ雨が降っているように見えているのは、そのせいだ」

「どうして、傘に惚れられたりなんか」

「それは傘に訊かないと分からないが、一つだけ言えるのは黄瀬が弱ったところに付け込まれたということだ」

「弱ったところ……」

「雨が降り始めて一カ月。一か月前は、全中が終わって黒子が退部した頃だろう。それに加えて、青峰も姿を見せなくなった」

顔色を悪くする黒子に向かって、お前たちのせいではないよ、と赤司は付け足した。黄瀬には、見覚えのないものには触るな、見たらすぐに忘れろと忠告していたのにな、と溜息を吐く。

「……何か、対処法はないんですか?」

「そんなものがあるなら、お前があんな状態の黄瀬と出会うこともないはずだ」

対処法は無いのだと、赤司はそう言っている。
片膝を立てて椅子に座る赤司の足元には、民俗学を筆頭に様々な分野の本が積み重なっていた。日本ばかりでなく、外国のものもある。付箋や栞の挟まれたそれらからは、黄瀬を救える手段は一つも得られなかった。

「寺や神社、民俗学者、胡散臭い霊能者にも尋ねたが、誰もが一様に首を横に振るばかり。今は、虱潰しに他の手を探しているところだ」

「黄瀬君は、このままだとどうなるんですか」

黒子の問いに、赤司はその整った眉を顰めて一番現実的な予想を口にする。

「外だけでは飽き足らず、室内にも雨が降り始めるだろう。一日中、傘を手放せない生活になる」

実際、もう弊害は出始めているのだ、と赤司は言う。黄瀬はモデルの仕事を二週間前に辞めたらしい。そう呟く赤司の目の下には、うっすらと隈が出来ていた。





赤司に話を聞いてから、少しでも情報を集めたいと黒子はあちらこちらの図書館に通っている。赤司が既に調べているだろうが、見落としがあるかもしれないから、と様々な本のページを捲ってみるのだ。傘の歴史、日本中の伝承、怪奇小説。思いつく限りの本を一つ一つ調べていくが、似たような事例はない。
柔らかな午後の日差しが届く窓際の席に陣取った黒子は、何十冊目になるかも分からない本をぱたりと閉じて目頭を押さえた。対処法が見つかったならば、お互いに連絡を取ると赤司と約束している。
そちらはどうですか、と赤司にメールを送ろうと携帯電話を開いたところで、地味なイルミネーションがメールの着信を告げた。

「黄瀬君、ですか……」

退部した当初は頻繁に送られてきていた黄瀬からのメールは、最近は少なくなっておりどこか懐かしくも感じる。新着という知らせが付いた未読メールを開いて、そこに連ねられた文面に黒子は顔から血の気が引いた。

『黒子っち、こないだは一緒に帰れて嬉しかったっス!ここのところの雨で、今日とうとう雨漏り始まっちゃったんスよ、びっくりでしょ?だから、俺、部屋の中でも傘差してるんス。なかなか見れない光景なので、写真添付しました。暇だったら見てね!』

文面をスクロールさせれば、添付されている写真を見ることができる。濡れた様子も何もない整頓された部屋で、真っ赤な傘を差した黄瀬が笑っていた。





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不思議な話を書きたかった。

2012.11.04.

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